この線はフィラメント

2/7
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 母に促されるまま頼んだバナナジュースはお世辞にもおいしいとは言えなかった。中途半端にしかミキサーにかけられなかったバナナは常温だったらしく、安物の加工乳と混ぜ合わせているせいもあり酸化したサラダ油のような臭いがする。そのうえ、その重ったるい悪臭を誤魔化すために入れられたのはコーヒー用のポーションクリームなのだからかえって性質が悪い。申し訳程度に添加された三温糖の甘みもただただ悪目立ちするばかりで、せめて上白糖を使えばいいのにと文句の一つもこぼしたくなる。  しかし、この悪い冗談みたいな味のするバナナジュースを、冗談みたいに美しい女性である母は、私へそのやわらかな笑顔を見せつけながら「おいしいねえ」と褒めちぎっている。私も「そうだねえ」と返す。 「でも本当に、また千佳と会えるって思ってなかったな……ねえ千佳、お母さんのせいで辛い思いしてきたこと、一度や二度じゃないでしょう? 今更謝っても仕方ないってわかっているけれど、あのね、でも……お母さん、それでもね」 「やだなあ、やめてよ。そういう言葉がほしいから会うって決めたわけじゃないんだからさ。もしかしてお母さん、千佳がお母さんのこと怨んでるとでも思ってる? そんなわけないじゃん。だって千佳はずっとお母さんは死んじゃったと思ってたんだから、だから怨むも何もなかったの。それに……あのねお母さん。千佳だってもう二十六歳なんだよ。もういい大人なの。だからお母さんのこと怨む時間があるなら、むしろ千佳はお母さんのことどんどん知って、どんどん好きになっていきたいよ。十九歳のときおじいちゃんが死んじゃって、ああそうか、ついに千佳はもう独りぼっちなんだって思って、そう気づいて……それからはずっとがむしゃらに勉強してお仕事して、独りで必死に頑張ってきた。頑張ってきたんだよ。でも、なんていうか、やっぱり千佳さ、独りは寂しかったんだ……だから、だからね。千佳はお母さんに会えたこと、本当に、心から嬉しいって思ってるし、千佳はお母さんにもそう思ってほしいなあって……ねえ、そういうのっていけないことかな?」  生ゴミのような臭いのするバナナジュースを、趣味の悪い色柄のストローで一気に吸い上げる。 「ああ、本当においしい! お母さんが好きなもの、これから千佳も好きになっていくんだろうね」  母が両手で目頭を押さえる。 「そうよ。だって千佳はお母さんの子どもだもの。世界一大切な、お母さんの、たった一人の娘なんだもの」  ぐず、と鼻をすすり上げながら彼女はそう言った。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!