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謎はもう一つ残されていた。
彼女の血で満たされたバスタブに浮かぶ九本の折れた赤黒い薔薇だ。
俺は彼女が外側から身体を預けている白い湯気が立つバスタブの方へと目線を移す。きっとアレで手首を切ったのだろう、側に落ちているペティナイフの血濡れた鋭い刃先が事の始まりを告げている。
美しき最後。
10年の歪な関係の幕引きに用意された舞台は非現実的な異国のバスルーム。
彼女が選定したこのホテルは近隣の中では逸脱したハイクラス。特に拘りのバスルームのウリは曲線美が際立つ上質な猫足バスタブと大型の観葉植物を利用したディスプレイ。天然石のガネーシャをかたどった彫刻が冷たく見つめる中で俺は時間を巻き戻す。
──『今から死にます。間に合ってね』
カップに注いだ珈琲が飲み頃になった頃に届いた突然のDM。正直タチの悪い冗談だと思った。
だが嫌な胸騒ぎを覚えた俺は結局カップに口をつける事なく部屋を飛び出した。
このビジネス用のコンドミニアムから彼女が泊まるホテルまでは僅か20分。上手くすればもっと短縮は可能だ。乗り込んだ愛車の黒のコンバーチブルは俺の想いに応える様に踏み込んだアクセルに合わせて力強い排気音を駐車場に響かせた。
だが運悪く目の前のメインストリートで問題が起こる。地元の貨物トラックが横転し積荷のおびただしい数の南国果実が散乱して道を塞いだのだ。
逃げ場の無い大渋滞の中、何度もスマホに目をやり親指の爪を噛む。
『大丈夫か?』
俺の返事に既読はつかない。
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