波乱のはじまり

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波乱のはじまり

 俺、里見 亮太(さとみ りょうた)。システムエンジニア、25歳、男。  もう一度いう、男、25歳。俺は今、人生最大のモテ期にして、貞操の危機を迎えている。 ++++ 「・・・はぁ?あの・・・意味がわかりません」 「だから、転勤の辞令だって。お前、独身で身軽だろ。インドかアメリカ、どっちか選べ」 「やっぱり、おっしゃる意味がちょっと・・・」 「先月、叶が体調崩してインドから戻ってきたろ。代わりに誰かやらなきゃいけないの。あと、アメリカ本社からも、日本向けプロジェクトのコーディネーターに、1人寄こせと言われている」  俺の前で、上司の岳田が踏ん反り返っている。俺は今、one on oneと小洒落た名前のついた、要は週一の個人面談で、岳田から30分延々とダメ出しを喰らうという苦行の真っ最中だった。  岳田は、アメリカの大学院を出たとかで、不自由しない英語力(だけ)をウリに、俺達エンジニアのチーム・マネージャーをしている。  奴はパワハラが標準装備、技術屋泣かせの無茶振りで周りを翻弄し、みんなに等しく嫌われていた。  個人面談は毎回、話しがあちこちに飛び、あらゆる角度から俺はディスられ、最終的に岳田の自慢話を聞くというルーティーンだったが、今回は様子が違った。 「ったく、叶のやつ。入社当初から海外志向っていうから、チャンスをやったのに。あっさり逃げ帰って来やがって」  俺の脳裏に、先月インドからの帰国報告で会社に顔を出した叶先輩が浮かんだ。学生時代にバックパッカーだった先輩は、よく日焼けしてガタイが良かったはずだが、見る影もなく痩せ細り精気の抜けた顔をしていた。    結構仲が良かった俺が声を掛けると、先輩は弱々しく呟いた。 「亮太、インドは手強かったよ・・・。やっぱり日本はいいな・・・。俺は二度と海を渡らない・・。本当に大切なものは、自分の足元にあるんだっけな」  なんだか発言がポエムチックでカオスだった。常に理路整然とした、男気のある先輩だったのに。インドの何かが叶先輩を抜け殻にしてしまった。先輩はそれ以来、無期限の自主休暇に入っており、みんな気を遣って先輩の話題には触れない。俺は心底恐れ慄いた。 「い、インドはないです!アメリカでお願いします!!」  しまった、勢いこんで返事しちゃったよ。 「よし分かった。今から精々英語を磨けよ」  岳田が悪い顔でにやりと笑い、ぽんと何かをデスク越しに投げて寄越した。呆然としながら目を走らせると、某ラジオ局の英会話講座の教本が視界に映った。  あーーーっ、俺の馬鹿やろう!  英語は大の苦手なのに!!家族旅行だって、海外は必死で避けてきたのに!!!  俺の目の前に、2年前ハワイで挙式しようとした姉ちゃんの顔がチラつく。散々言い訳して参列を渋る俺に、姉は鬼の形相で呪いの言葉を吐いた。 「亮太!あんたなんか英語に溺れて、一生苦労すればいいのよ!!」  結局、その年世界中に流行った新種の風邪のせいで、海外渡航は全面禁止になり、姉は挙式をキャンセル。俺は九死に一生を得た。  「・・・姉ちゃんの呪い、半端ねぇ・・・」  辞令から3ヵ月後。鬱々と頭を抱え込んでいる間にも、会社の人事と法務はいい仕事をし、あれよあれよという間に航空券を握らされ、パスポートにスタンプが押され、俺は機上の人となったのである。
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