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体だけが、大きくなりました。人はどうやら年齢を重なるにつれて、利己的部分や浅はかな部分をひた隠すようになるようです。たまに出てくる人間の本性というのは、獣のような獰猛さと人間的な残忍さを兼ね備えた酷く恐ろしい怪物では無く、稚拙さと暴力を持つ幼児のように見えます。
ある大通りの真夜中は、風俗店の看板に使われるネオン灯が薄暗く光っていた。脇道から覗くと「AIKA」という店があり、今夜はそこで過ごそうと決めた。脇道から抜け出ようと、盗人みたいにひたひたと歩いた。落ち着きがなくなったので、ひとまず壁につたったパイプを手に掴ませた。じっとりとした汗をかいた。パイプが自分の汗で湿っているのを感じた。
自分はこういう店に行くのは初めてだ。以前は恋人の存在に咎められ、一生関わりのないものだろうと勝手に思っていたのだが、もう自分はそんなしがらみに囚われること無く、自由に性愛を育む事ができる独り身だ。
恋人には、もしかしたら悪い事をしたのかもしれない。自分は帰りが遅く、深夜まで会社にいることが多かった。だからといって酒にも色にも溺れた覚えはない。まさか浮気をされているとは思わなかったが。
自分は指輪を買おうとしていた。もっと百万くらいするのかと思ったが、意外に安いものもあり驚いた。結婚のことも考えていた。婚姻届はどこでもらえるのだろうか。入籍は緊張しそうだ。そんなことを一人で考えていた。もしかすると一人で考えすぎたのかもしれない。その独りよがりが彼女を寂しさへ追い込んだんだ。浮気はされる方が被害者かもしれない。しかし自分たちの騒動は、間違いなく自分が引き起こしたものだし、彼女は浮気をさせられた被害者だろう。
妄想はもういいか。もう自分は三十五歳だし、誰かとやり直す年齢ではない。大人しく惨めに死んで行けばいい。けれど自分は人間だから、後悔もするし、泣きもした。酒は飲まれそうで怖いから、他の何かで埋めようとした。生憎、金はある。自分がこんなにも汗水垂らして作った金で、風俗店に行くとは思わなかった。
店内は割と小綺麗だった。薄暗く、少し狭い。カウンターにはオーナーが立っていた。三脚の椅子が客用に配置されている。後ろの壁紙には女の写真や人気順位が記され、カウンターの横から奥にかけてのびる細い道からは、いくつかの部屋の扉が見えた。
「いらっしゃいませ。どのような子をお探しですか? 」
どのような子と言われても自分には分からない。だが何も所望しないと、馬鹿に高い女を売りつけられるかもしれないと思った。
「一番安い子でお願いします」
「畏まりました。時間は何分にいたしますか。一時間から三時間までまでございます」
長すぎても時間が余りそうだし、やはりこれも一番短い1時間でいこうと思った。
「1時間でお願いします」
それだけ言うと、オーナーは五分程お待ちくださいと言ってカウンターの横の道から、「3」の番号が書かれた部屋に入っていった。
椅子に腰掛けながら、自分は待ち時間の中で一体何のためにこうしているのだろうと考えそうになった。彼女に裏切らせ、彼女のための金は今や自分の欲に消えている。埋め難い心をこんな場所が満たしてくれるのか。いや満さずとも、慰めにさえなればいい。そういえば一番安い女を選んだ気がするが、どんな顔だろう。
壁を見ると、病弱そうな女が写った写真があった。自分はこんなのに相手をされるのか。もっと美人が良かったが、例え美人が現れても、醜悪そうな老ぼれが現れても結局、自分の泥酔して道中吐き散らすゲロのような性愛の吐き溜めでしかないのかと思うと、もう誰でもいいかとさえ諦められた。
オーナーは何やら部屋に行き、次はあなたの番だよと伝えるようだった。そしてその作業も終わり、部屋から出てきた。
「準備が整いましたので、3番の部屋にお入りください」
招かれた部屋はやはり先ほどオーナーが入った部屋だった。そう言えば五分しか待っていないがいいのだろうか。シャワーは浴びていないのだろうか。前の客の跡がついていたら、気持ち悪くて一時間ずっと何もできないのだろうし、そうすれば汚す立場の自分が言うのも何だが、相手にも悪い気がする。
部屋に入ると、写真の通りの骨ばった体が特徴の女がベッドで腰をかけていた。髪は長く下ろしている。赤い服を着ているが何だか色気の欠片もない。ベッドとシャワーやらがあればいいのだから当然と言えば当然だが、やや広いというだけで、特徴のない白い壁紙に薄汚れが目立つ部屋だった。ハンガーに自分の上着をかけると、じゃあ横になってもらえますかと女が言った。骨みたいな女が敬語を使うのが気持ち悪かった。
もう自分には目的もわからず為すがままの状態だった。どうして自分がこうしているのか知らなかった。ただ、ここで中断するのもこの女に申し訳なかったので、自分の傷心にこれ以上罪悪感が入り込まないようにする意味も込めて横たわることにした。
女が自分の股に座り、服を脱ぎ始めた時、気づいてしまった事があった。それは女の肩が震えていた事だった。
自分はそこでやっと罪悪感が湧き出たようで、どっと冷や汗をかき、足から背まで針で刺されるような寒気がした。自分はこの女が道具であるように感じていたらしく、人間であることをすっかり忘れ、この女はしたくもないことをやらされているのだと気づいた。何が「ここで帰るのも失礼かもしれない」だろうか。強要している立場で何を今更言っているのか。傲慢にも程がある。そうだ。自分は大人しく惨めに死んでいくような人間なんだ。誰かにその不幸を分けて生きるなんて勝手が過ぎる。
自分はそう思い、ばっとベッドから駆け下り店を出た。なんてひどい。なんて最低。あの女には本当に申し訳が立たない。そう思いながら大通りを走った。このまま帰ったら消え入りそうな気がしたので、どこかで呑んで帰ろうと思っていた。
「お客さん〜! 困りますよ。お代も払わずどこかへ行くなんて」
そう後ろからオーナーが追いかけて言った。ああそうだった。金を払わなければ。
「とりあえず、部屋に戻ってください。あなた上着も忘れてますよ。あの子初めての客があなたなんですから、困ってます」
あの女の初めての客が自分だったのか。その初めての客が急に店から飛び出したら驚くだろう。悪いことをした。オーナーが、まあ一番安いのでここまで必死になる必要ないんですけどねと言っていた。それでもやはり自分は悪い気がした。
部屋に戻ると女は怒っていた。
私はこうするしかお金が貰えないから決死の思いでここで働き始めたのに、どうして自分の価値を馬鹿にするような行動をとるのかと叱られた。
自分は人として女を見て、道具のように扱う自分が嫌になった。だから逃げてしまった。女にそう言っても何も聞いてくれない。どうして自分の価値を嘲笑うのか。いかなる理由があっても理解できない。という様子だった。
自分はこの女のことを心底可哀想だと思った。人間としての価値を捨てることを自ら望み、今や道具としての誇りを傷つけられ、怒りに震えている。
自分はこの女に悪いと思った。それはやはり、この女に道具としての役割を与えられなくて悪いという思いがあった。
「次からはちゃんとします。自分が悪かったです」
そう言うと女は、人間の尊厳を捨てた悲しみと、道具としての誇りを取り戻した安心との二つが混じったような顔を見せた。
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