短編「悪い夢」

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 昔から、コンサートやライブへ行くのが日課だった。僕が苦しい時、助けてくれたのは寄り添ってくれる曲達だ。「苦しい時には暗い曲を」アリストテレスの同質効果か何かで、僕はここまで頑張って来れた。どんなことでも曲さえ聴けば何てことなかった。僕はそんな曲を作りたくてシンガーソングライターを目指した。きっと大丈夫、大丈夫……。  中学高校では作曲をしていた。ギターもピアノも弾いたし、怠けてはいなかった。大学は音楽専攻で、たくさんの有名作曲者を世に出した所へ行った。その後、卒業して……応募を繰り返して依頼の仕事をこなして……。  「ああもう消えてしまいたい」  そして、僕は今に廃人になろうとしている。朝起きて机に座ってギターを触り、食事は気が向いた時にでも摂り、夜になれば眠る。  カーテンは閉め切って、依頼があればそれをして、ほとんどは……何の為かわからず作曲をしているだけの生活に身を落としている。二畳半の中で生を貪るような動物は、おおよそ人間とは言えない。こんな小部屋ではため息さえ溜まるようで、この頃息苦しさに苛まれ、海に呑まれるような憂鬱に頭を抱え……満ち足りた懊悩は、三日前に吊り縄を買わせるに至らせた。(僕はこの時、意外に自殺の道具が安価で売られていることが、なんだか自分の命が軽いように見られている気がして、しかしそんなに安いわけがないと憤るわけでなく、むしろその安価に納得する思いをしました。)  これからどうしようというんだ……。憧れだけでは、夢は叶わない。努力をしても、夢には届かない。夢には、憧れと努力と才能が必要なんだと、最近気づいた。  今が昼か夜かの見分けがつかない。さっき起きたばかりだから朝だとか、眠いから夜だとか、当然のことを当然に感じられない。生活リズムの全てが崩れてしまえば、今が何時か、今日は何日か、何の日か、そんなことは知る必要がない。ただ昨日にしたことを昨日通りに、ぼんやりと……ただぼんやりと……過ごしていればいいのではないか。布団から抜け出る倦怠や口にものを運ぶたびに沈む気分……果てには心臓の音すら煩わしい。  こんな僕ではあるが、これでも依頼が来るだけマシな方であるらしい。大ヒットしたアーティストに当てはまる特徴は、最初から人気あるわけではなく、下積みの、人気ない時代があったということである。おそらく僕はそれなんだと思いたかった。今に見ていろ、僕はまだ殻を破れていないだけだ。きっと売れてやる。そう思えたらどんなによかったのか。もし僕を知る人間が急成長を遂げた僕を見たらどう思うだろうか。きっとお祝いをしてくれるだろう。知り合いに自慢話として伝わるだろう。ただ自分はそんな未来の想像が、夢の中ですらできず、憧れのアーティストと同じようなものになりたいなんて夢が、途端に恥ずかしくなり、人に申し訳なくなり、心では無理だと考えていても、もう抜け出せぬ生活が……。  「あの人は今どうしているだろうか? 」  子供の頃に憧れたあの歌、救ってくれたあの歌、何度見たかわからない姿は、今もどこかで僕のような人を救っているのだろうか。しばらくライブには行ってない。大学生の時も卒業後も自分のことに忙しくて暇がなく、今やネットで映像も見れるわけだから、それで我慢していた。あの時と同じ生活ではあるが、間違いなくあの時の方が自分は輝いていた。夢は叶えるか叶えられないかは重要ではない。それに向かうお前が一番かっこいいんだ。どこかで聞いた音楽に、そういえばこんな歌詞があった。本当にそうか? 夢が叶うことは重要ではないのか? なら夢のための人生は、叶う前が一番輝いているという話にならないか? もしそうなら一体どうして僕はこんなにも腐ったんだ。  「ライブへ行こう」  本当は気づいていた。自分がこんなに腐ったわけを。夢を心でそっと諦めているからだと思う。夢を諦めてはいないと、確かに行動で示している。僕の日常は音楽が全てだ。毎日呪いのように、それが使命であるように、鉛のような体を引きずってまで作曲に没頭していても、心で一回でも「もう無理だ」って思った時から、僕の夢は腐ってしまったのだろう。  こんな状態であるから、もう一度憧れたあの人を見て、あの燃え上がるような夢の輝きを、少しでも取り戻せたなら、心に焼き付けてそれを信念として生きようと思った。  ライブ会場に来たのはやはり久々であった。周りにはいっぱいのお客がいる。大きなドームの中に、多数の人が、個人のために、ある人は仕事の合間を縫って、ある人は学生ながらに小遣いを使って、バイト代を貯めて、ここに来ている。ドーム内はうるさいくらいに期待を含んだ喋り声で包まれている。みんな楽しそうだ。まだ始まってもいないのに。二階席ではほとんど主役の姿は見えないだろう。それでもここに来れてよかったと思う。それは周りも同じようで、例え姿が見えなくても、太陽のような声が実際に聴けたらそれでいい幸せなのだと思う。  目の前から明るさがだんだんと消えて、照明がステージへ集まった。あれだけの声が一斉にしんとなり、予感した。もうすぐ始まるのだと。時間通りではある。そうなることもわかっていた。それなのに抑えきれないこの気分。これこそがスターだとそう思った。  僕らの太陽が姿を表した。期待が膨らみきって、興奮で周りが見えない。ただその人の姿に、例え見えなくても人影を、そこにいるファンは凝視した。マイクの調節をしているのか? なかなか歌わない。その時の数秒が、僕らにとっては長い時間に思えた。早く歌ってほしい。一挙一動が僕らを煽って、呼吸が止まりそうになった時、そしてやっと歌い始めた。  「」  声が出なかった。ライブ映像とはまるで違う。周りは歓声をあげている。その人の声は耳に、その人の姿は目に焼きつけ、自分の応援の声を直接叫んで伝えている。  僕は泣いていた。それは懐かしさのような思いがあった。感動して泣いたのではなかった。この姿に憧れたのだと、この太陽に焦がれて、目指したのだと。そして、今になって夢のために生きた事を後悔した自分が情けなくていけないのだと。涙を流すことが虚しくていけない。  会場に響くその声は、僕ではない誰かを呼んでいた。今の僕には憧れの一つもない。夢は破れた。  あなたのおかげで何より救われました。そしてその救済以上に僕の人生の癌になったものはないと思うのです。
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