1.イケメンを保護する

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1.イケメンを保護する

【Side 北上稔貴】  多分ろくな用ではないなと思ったが、呼ばれたのでとりあえずついていった。  トイレに、だ。  高校生にもなった男が連れション? そうではなく、所謂「呼び出し案件」だった。  高校入学後、三ヶ月が経つ頃のある日の昼休みだ。  俺を呼び出したのは、クラスでも割と派手な印象のグループにいる男だった。名前は確か――そうだ、野田(のだ)夜騎(ないと)。  で、その野田夜騎が自分のお友達を二人ほど連れて、俺をトイレに呼び出したわけだ。ちなみに、お友達の名前は忘れた。というか、俺は、興味を持った人間の名前は秒で覚えて絶対に忘れないが、興味がない連中に関しては顔の区別もつかない。  ざっくりいうと、グループ全体でチャラそうという印象を与える出で立ちだが、そのなかでも野田夜騎だけは辛うじて、髪が赤っぽくてより目立つ外見だから多少印象に残るし、俺もぎりぎり名前が思い出せた。そういう意味では、格好つけるのもあながち無意味ではないんだなと、妙に感心してしまう。  野田夜騎からの呼び出しは初めてだが、奴が俺に因縁をつけてくるのは日頃からのことだった。  向こうの言い分としては、付き合っていた女子に振られたということなのだが、その理由が俺のせいなのだという。どうもその女子が、好意の矛先を野田夜騎から俺に乗り換えたとか何とかで、結果として奴は彼女に別れを告げられたらしい。  そうそう、俺は一ヶ月ほど前に、隣のクラスの女子にも呼び出されている。その時呼ばれた場所はさすがにトイレではなく、放課後の空き教室だったが、その女子こそが野田夜騎の元カノだったのだ。そういうわけで、その時の要件はお付き合いの申請だったが、興味がない俺は丁重に断った。  が、そんな経緯があるものだから、野田夜騎からしたら面白くないということで。 「なあ、北上(きたかみ)。お前さ、随分調子に乗ってるよな」  男子トイレの手洗い場で開口一番、それだった。高校に進学してまで、そんな漫画のヤンキーみたいな切り出し方で絡まれるとは思いも寄らなかった。 「他人(ひと)の女誑かしておいて振るって、何様のつもりだよ」 「はあ」  誑かすも何もそいつと話したのは告白されたその時が初めてだったし、さすがに接点のない人間とお付き合いができるほど豪胆ではないのでお断りしたのだ。至極真っ当な判断だと思うが。 「ちょっと顔がいいからって、つけ上がりやがって」 「顔がいい程度のことでつけ上がれるほど、俺は図々しくねえぞ、失礼だな」  好き勝手言われ続けるのも癪なので、そんな反応になってしまったが、俺は自分の顔がいいとは別段思っていない。他人の顔も興味がないが、自分の顔もさして興味がないのだ。 「相変わらず生意気な口利くよな、お前」  俺の返しが気に入らなかった野田夜騎はそんなことを言いながら、胸ぐらを掴んでくる。  それにはっとすると同時に、仲間の一人に背後に回り込まれ、羽交い絞めにされた。  動きを制限された俺を見て優位に立ったような気でいるのか、野田夜騎が挑発するようににやついた顔を近づけてくる。  馬鹿な奴だな、と率直に思う。仲間の加担で両手の動きが封じられているが、俺はこの状態で、脚を動かして蹴りを入れることもできるし、勢いをつければ頭突きを入れることもできる。向こうが手を出してこようものなら、その手に噛みつくこともできそうだ。そうでなくても大声を出せば威嚇にもなるし、外の人間の注意を引くことだってできるだろう。  とにかく、奴らにとって不都合な要素なんてまだいくらでもあろうに、勝ち確のようなつもりでいるのが、敵ながら哀れだ。きっとこいつ、ちょっと顔がいい程度のことで死ぬほどつけ上がるタイプなのだろう。  そんな奴だから、俺の胸中にも気づくはずはなく。 「お前みたいな奴は、お仕置きしなくちゃなあ」  何でだ。 「……そんなんだから、女にも振られるんだ」  いらっと来たので、こっちからも容赦なく本当のことを言ってやる。 「お前の元カノは、別に俺のことが好きだったんじゃなくて、単にお前と別れる理由が欲しかったんじゃねえの? お前が馬鹿でダサいから。お前が振られたのは俺のせいじゃなくて、結局自分のせいなんだよ」  野田夜騎は言葉を返すことができず、顎が外れたように口を開いたまま、身体を震わせていた。  あ、あ、と痙攣したような声を上げたのち、握った右手を俺の顔めがけて突き出してくる。  少し屈んでそれを避けると、奴は激昂を(あらわ)に雄叫びのような奇声を上げ、何を思ったのか仲間とともに、俺を個室へ引きずり込もうとする。  何だこいつら、頭おかしくなっているのか?  と、ドン引きする思いもあるが、さすがに不快な状況だ。それに個室ほど閉鎖的な空間では、一気に不利になる。 「やめろ、ふざけんな……!」  拘束を振り切ろうと身体をばたつかせるが、男三人相手には容易にいかない。  それでも押し込められるわけにはいかないので、膝に力を入れて踏ん張り、その場に止まろうと抵抗しつつ、次の手に考えを巡らせる。  そのさなかのことだった。 「――――野田ぁっ! 何してるんだ!」  腹に響くような大声とともに、手洗い場に一人の新たな人間が現れる。  同じクラスの一関(いちのせき)(きょう)(すけ)という奴だ。こいつは学級委員長で、何かと所用があって喋る機会もあったので、俺のなかで比較的印象の強いクラスメイトだった。  そして、この男は並々ならぬ風格を持つ出で立ちだ。髪を軽く逆立てたり、シャツをラフに着崩したりしてそれなりに洒落っ気があるものの、背格好や顔立ち、声に至るまで、とても高校生とは思えない屈強な様相なのだ。眉間に皺を寄せ、射るような目つきが尋常ならざるオーラを放ち、他人の顔に興味のない俺ですら、初対面の時は二度見したくらいだ。  更に、180センチは優に超えた長身に、鍛えられていることが一目で分かる骨格と筋肉を持つこいつに怒鳴られて、並の精神のものが怯まないはずがない。  野田夜騎らは、その一喝に驚いて反射的に俺の身体から手を離した。  かつ、かつ、とゆっくり歩み寄りながら、一関恭介は告げる。 「二対一でも受け入れ難いというのに――」  緊張が走る空間を切り裂くように、彼はさっと野田夜騎へ掴みかかる。 「――三対一など、もはや言語道断!」  低く重厚感のあるその声は、どんな拳よりも強く響くようだった。  一関恭介は、追い打ちをかけるように糾弾する。 「お前らが、北上に嫌がらせを繰り返していたことは知っているぞ」  その目はまっすぐで、鋭かった。 「だが、ふざけるのも大概にしておけ。これ以上、俺を怒らせたくなければな……っ!」  それから事が収束するまではあっという間だった。  野田夜騎達は、気に食わないという意を顔に滲ませていたが、一関恭介を敵に回すことにはさすがに危機感を覚えたらしい。各々舌打ちや捨て台詞を残してそそくさと退散したのだった。  ピンチを救われてありがたいと思うよりも、呆気に取られる気持ちの方が先立ち、連中から解放された俺は暫し呆然と立ち尽くしていた。  何だ、この一関恭介という奴は。その気迫だけで相手を散らすって、どういうことなんだ。  そして何よりも、彼が三人の人間を相手に躊躇いなく非を咎めるその肝っ玉に、俺は圧倒される思いだった。傍から見れば面倒な状況で、巻き込まれないよう逃げ腰になってもおかしくないような光景だっただろう。しかし、一関恭介はそうではなかった。 「……すげえな、お前。格好いいわ」  (たま)らず俺の口からは、そんな言葉がついて出た。 「――――俺は、俺の信念に反するものが許せなかっただけだ」  そう答える一関恭介の立ち姿は勇壮そのものだった。それは、俺が目指している、しかし追いつけない姿でもあった。  子どもの頃の俺は身体が小さく、気が弱くて臆病だった。強い者には逆らえず、自分の保身しか考えられないような姑息なクソガキだった。今の一関恭介のように、他人のために危険に首を突っ込むことなど、したことがなかった。  今はある程度背は伸びたし、力がついたので腕力にはそこそこ自信はあるが、同じ状況でこいつのように迷いなく振る舞えるか。  そう思うと、この一関恭介の姿がより眩しく見えるのだった。 「それがすげえって話だよ」  何を謙遜しているのか眉間に皺を寄せて、気まずそうに俯いている彼に近づいて、俺は言う。 「助けてくれてサンキューな、キョウ」  少しでもお近づきになりたいという気持ちが募って、思い切ってニックネームをつけて呼んでみる。  すると、一関恭介――キョウは顔を上げ、驚いたようにこちらを見てきたが、特に抵抗されることはなくそのまま受け入れられた。 「――おう」 「俺のことはトシって呼んでくれや」 「ああ……トシ、な」  キョウは相変わらず面食らっているような挙動だったが、俺のこともあだ名で呼んでくれたので嬉しくなる。  ちょうどその時、昼休み終了の予鈴が鳴った。午後の授業が体育であることを思い出す。 「うわ、やっべ……今日の体育って、外じゃん!」  始業まで五分。それまでに着替えて校庭まで移動すると、かなりぎりぎりのタイムリミットだ。 「行こうぜ、キョウ」  そう声をかけた上で、俺は授業に必要な運動着を取りに、まずは教室の方へと駆け出した。  後ろは振り返らなかったが、背中にはっきりとした存在感を伴う気配がついてきていたので、恐らくキョウもそう離れてはいないところを走っているのだろう。
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