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【Side 一関恭介】
高校入学後三ヶ月が経ったある日の昼休み、クラスの奴の話を聞いて俺は憤っていた。
北上稔貴が呼び出されたのだという。
北上はクラスのなかでも一人でいることの多い一匹狼のような男子生徒だが、俺はそんな彼に一目置いていた。
何故か。それは、北上がイケメンだからだ。
程よい背丈に、細身だがしっかりした体躯というプロポーションに加え、芸能人だと言っても通るくらいに整っている顔立ち。中性的な印象の目鼻立ちだが、女顔ということではなく、年相応の男子としての魅力は余すところなく滲み出ている。黒目がちの瞳は、眠そうな、あるいは不機嫌そうな表情を帯びていることが多いが、それすらもアンニュイな色気を放っているように見える。
北上を初めて目にした時、俺はその容貌にはっとして、思わず二回ほど手を合わせて拝んだくらいだ。ご利益がありそうだと思ったのだ。
その北上を呼び出したのは、同じクラスの野田夜騎という奴だ。
野田と北上の間には、日頃から何かトラブルが顕在しているようだった。というよりも、野田が一方的に北上を敵視しているようだと、俺は認識していた。野田が北上に因縁をつけて言い争ったり、嫌がらせのような絡み方をしているのを、何度か見かけているのだ。
あまり悪質なようなら止めに入ることも考えていたが、暫く様子を見ていた矢先でのこの出来事である。
一方的に絡まれる北上はさぞかし迷惑そうだったが、もしかしたら、野田は彼と親しくなりたいのではないか、それでわざとつらく当たっているのではないかと、当初俺はそんなポジティブな可能性も想定していた。
何しろ北上ほどの美男子相手なら、近づきたくとも照れてしまうのも無理はない。
だから、初めは多少ぶつかり合いながらも、やがて時とともに自分の感情に素直になり、仲を深めていけばいいと思っていたのだ。そうやって、頃合いを見て気持ちを打ち明けて結ばれるハピエンを目指せばいい、と。恐らく野田が攻めで、北上が受けなのだろう。そうすれば、「ヤンキーヘタレ攻め×美形ツンデレ受け」という美味しいカップリングが成立する。
すぐそういうことを考えてしまうのが俺の悪い癖なのだが、息をするように思い浮かんでしまうのが自分でも悩ましい。
ちなみに、俺のことを腐男子だという人間もいるが、別にBLに限らず男女でも百合でも、人間が二人いればついつい色恋話を想像してしまうので、腐男子よりはもっと節操がないと自覚している。だから自分では単純にカプ厨を自称することが多い。
それはさておき、野田の話だ。
現場を目撃したクラスの奴によると、野田は仲間の泉沢と玉川を引き連れて、北上を男子トイレへと呼び出したのだという。それに素直に応じた北上も危機感が足りないといえばそうなのだが、何にせよ悪いのは野田達だ。
俺は馬鹿だった。時が経てば、野田も自分の気持ちに気づいて、北上に然るべき形で愛情を示すことができるようになるのではないかと思っていた。
だが、それは間違いだったようだ。数の暴力で攻撃を加えるなど、それはただの苛めや嫌がらせでしかない。結局野田は最初から、北上に対する愛などなかったということだ。
ならば、野田に期待することなど何もない。
卑怯な奴らと迂闊だった自分に対する怒りを胸に秘め、辿りついた先の扉を勢いよく開けて、俺は件の男子トイレへと乗り込んだ。
「――――野田ぁっ! 何してるんだ!」
そう一喝する俺の目に映ったのは、野田達に取り押さえられた北上が、強引に個室へと引きずり込まれようとしている光景だった。苦痛そうな顔を浮かべる北上と、目が合う。
本当に、何をしているんだ……?
と、一瞬疑問に思ったが、はっと気づいてまた怒りが湧き上がる。
まさかお前ら、致そうとしていたわけではあるまいな。愛もないくせに、一丁前に。
それに個人的な意見で恐縮だが、俺は三人以上の人数によるあれやこれやの描写が地雷なのだ。
冷静でいようと深く呼吸を繰り返してゆっくり歩み寄るが、やはり嫌悪感に耐え兼ねて、俺は思わず野田に掴みかかった。
「二対一でも受け入れ難いというのに――」
本当に。
「――三対一など、もはや言語道断!」
NGなんです、すみません。
「お前らが、北上に嫌がらせを繰り返していたことは知っているぞ」
何しろ毎日観察していたからな。
「だが、ふざけるのも大概にしておけ。これ以上、俺を怒らせたくなければな……っ!」
野田をはじめとする連中にも当然腹が立っているが、俺がいちばん憎いのは、こんな男と北上を一時でもカップリングとみなしていた自分自身である。何が「ヤンキーヘタレ攻め×美形ツンデレ受け」か。野田が北上に対してしていた仕打ちは、愛ではなく暴力だ。そんなことの区別もつかなかった自分に、心底嫌気が差す。
全く俺は一体何に現を抜かしていたというのだ。その結果、北上をこんな危険に晒す始末。
そのやり場のない怒りの持って行き方が分からず、俺はただただ野田を睨みつけるしかなかった。
そうしていると、野田は俺の手を払いのけ、舌打ちをしながら踵を返して走り去っていった。泉沢と玉川も、それぞれ暴言を吐いて、奴の後に続く。
静まり返った手洗い場に、北上と俺だけが残される。
「……すげえな、お前。格好いいわ」
北上がそんなことを言ってくれたが、俺は素直に喜べなかった。
「――――俺は、俺の信念に反するものが許せなかっただけだ」
本当に、ただそれだけのこと。すごくも、格好よくもない。
しかも、今しがた北上が傷つけられそうになった経緯は、俺の判断ミスも大いに関係しているといっても過言ではない。俺がもっと早く、野田なんかに見切りをつけて北上を守っていれば、彼はこんな目に遭わずに済んだかもしれないのだ。
誤判断で受けちゃんに怖い思いをさせてしまった。痛恨の極みだ。俺はどんなカップリングでも、ほのぼの、甘々な雰囲気を大事にしたいし、人が徒に傷つく展開は好きではないのだ。
血涙を絞る思いで俯く俺に、北上は屈託ない笑顔で近寄ってくる。
「それがすげえって話だよ」
ああ、そんな目で俺を見ないでくれ。俺はお前が思うほど、立派な男ではないのだ。
「助けてくれてサンキューな、キョウ」
そんな俺の胸中など意に介さず、北上は下の名前を愛称で呼んできた。
その距離の縮め方に戸惑うも、拒むのも悪いと思ったので、受け入れる。
「――おう」
「俺のことはトシって呼んでくれや」
北上から更なる申し出がある。稔貴だからトシ、なのだろう。
「ああ……トシ、な」
何気なく呼んでみると、北上――トシは、まるで花が咲いたような笑みを浮かべた。
平素の不機嫌な面持ちとは違う、柔らかく無邪気でさえある顔ばせは、そのギャップも相まって、見る者の胸を締め付ける引力を有していた。きゅん、だ。きゅんです、だ。
その時、昼休みの終了を告げる予鈴のチャイムが鳴り響いた。
トシが慌てて身構える。
「うわ、やっべ……今日の体育って、外じゃん!」
予鈴から授業開始までは五分。それまでの間に、体育館内の更衣室で着替えてから、更に校庭まで移動しなくてはならない。
「行こうぜ、キョウ」
まずは教室に運動着を取りに行かねばならず、トシが走り出すので、俺もその後に続く。
先ほどまで受けていたであろうダメージを微塵も感じさせない、生き生きとした後ろ姿に、俺は健気な影を見た。
ああ、トシ。俺がお前を幸せにしよう――責任を持って、然るべきカップリングを見つけてやろう。
手を伸ばせば届くその背中に、俺は胸の内で静かに誓うのだった。
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