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「ねえ、いつか言ったよね。たとえ好きじゃなかったものでも、気がついたら好きになってるって。人を好きになるのはそういうことだって」
「……」
「僕は、あのビールの味、好きになったよ」
「……」
「このスナック菓子の味、好きになってくれた?」
あの人は口を閉ざしたままだ。僕は辛抱強く待つことにした。そのあいだも、手汗が気になってしまうものだから、恋というものはほんとうに厄介だ。手をつなぐというだけで、力加減に迷って、手汗を気にして。僕自身がまるごとつくりかえられていく。
「……スナック菓子なんて、好きになりたくなかったよ」
ようやくこぼれ落ちたあの人からの返事に、葉擦れの音が重なる。
「僕とじゃ、嫌?」
「ちがうよ。わたしの負け」
ぎこちない手つきで、あの人も指を絡めてくる。触れた指先から、何かが身体中に流れ込んできて、僕を満たした。
***
「次のデエトはいつにする?」
「次かあ……ていうか、今まで年に一度会ってたのはデエトだったの?」
「ちがうよ」
「ちえっ。じゃあ、今日は?」
「そうだね……今日からは、デエト」
この街は、あの人にとってつらい思い出のある場所だ。けれど、その過去を押して、あの人はこれからもこの街を訪れる。僕に会うために。
あの踏切で、桜が咲かなくなったとしても。
Fin.
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