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あの人と出逢った日もやっぱり桜が咲いていた。翌日に控えた入学式の準備のため、在校生は春休み最終日ながら登校日に割り振られていた。ならいっそ一日早く春休みにしてほしかった、と友人とぶつくさ文句を言い合い、進路決めた? なんて真面目な話題をそらし、別れた帰り道。片手に提げたビニール袋をおみやげに、春うららな午後の日射しを浴びつつ坂を下り、踏切手前の停止線で立ち止まった。
カンカンカン、甲高く警報音が鳴り、遮断機が下りてくる。遮断機に寄り添って立っている桜の木が、架線すれすれにそっと傘を差しかけるように太く逞しい枝を伸ばし、中心がほんのり色づいた花をその枝先にたくさん付けていた。列車が通過して風が起こり、いっせいに花びらが舞う。
そこは地元ではちょっと有名な場所だった。線路内に立ち入った人と車輛が接触する事故が多いのだ。特に春、花の盛りを迎えた矢先の不幸が目立つので、桜の木が人を求めて、通りすがった者を連れて行ってしまうと囁かれている。
たしかに、その桜の木は、妖しいほどうつくしく見えるときがあった。たとえば、夕焼けを背負ったとき。あるいは夜、街灯の明かりのしたで音もなく花びらが散るとき。でも、だからといって思わず線路内で我を忘れて見惚れるほどのうつくしさかと問われたら、そうは思わない。きっと不注意が積み重なって、そんな噂が広まったのだろう、と当時の僕は思っていた。
列車が遠く霞んで、遮断機が上がったあとも、僕は歩き出すのをためらった。僕の隣で、桜に魅入られたように動かない女のひとがいたからだ。
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