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あの人は、案外あっさりと連絡先を交換してくれた。しかし、いざメッセージを送ってみると、交換したこと自体忘れて警戒心むきだしの返信しか寄越さないものだから、打ち解けるのに苦労した。やりとりを重ね、一年ごとに桜の時季に待ち伏せしてむりやりにでも顔を合わせるうちに、あの人も少しずつ自分のことを話してくれた。裁縫の腕は、釦の縫いつけさえおぼつかないこと。仕事で三人の部下を抱えたチームのリーダーを任され、張り切っていること。最近はヨガにはまっていること。あの人のことをひとつ知るたびに、胸のうちに温かいものが満ちていった。
季節はめぐり、何度目か忘れた春が来た。待ち合わせはいつも、初めて出逢った踏切。そこから僕があの人のリクエストに応えてこの街を案内する。
満開の桜が今年も僕たちに降りそそぐ。
支払いはすべてあの人持ち。その代わり、この街に疎いあの人に、安くて美味しいお店を紹介する。それでお互いさまにしよう、というのが、あの人と取り決めた、二人で会うときのルールだった。自販機の飲料すら奢らせてくれないのを、それとなく訊いてみると、あの人はけじめだと言った。
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