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「あの、私色虫の大ファンなんですけど、色川さんの連絡先とかSNSのアカウントとか教えてもらえませんか、絶対迷惑かけないんで……」
色虫というのは、先輩の作家としてのあだ名のようなもので、デビュー作に虫が出て来るからだとか、サインがぐちゃっとしていて色川融と書いても色と虫しかちゃんと読めないせいだとか諸説あるが、どれが正しいかは知らない。
俺は先輩の方をちらっと見た。多目的室の隅で、片づけを手伝うでもなく椅子に座っていた。
「そういうのは本人に聞いてもらえますか。絶対迷惑かけないって言われても、俺みたいな第三者が勝手に教えるのはちょっと無理なんで……ごめんね」
そう断ると、女の子は赤くなって、やはり小さい声でまた同じことを言った。
「色川さんには断られちゃって……。あのお願いします」
色川融のファンが来るのも、入部するのも初めてじゃない。先輩はデビューしてから四年以上たっているし、四年以上たっているのに、まだ大学にいるのだ。
ファンであれば顔を見たいだとか、話がしたいだとか考えるのはあり得ることだ。
「申し訳ないんだけど、本人が断ってるならできません」
例年のことだと聞いていたので、出来るだけ穏やかな口調を選んで断ったつもりだ。エログロホラーという言われ方もする作家で、コアなファンがついているとは聞いていた。
しかし、もじもじして押しが弱そうなのに、いくら断っても女の子は全く退かない。
「あの、私本当に色川融の大ファンなんです」
そして、その言葉を聞いて、俺は無意識に声が冷たくなっていた。
「本当にファンなら、そんなことしないよ」
女の子が目を丸くしたところに、五條が割って入ってきた。どうやら五條に話しかけていた女の子たちの相手が面倒になったらしかった。
「会誌貰った?」
頷いた先輩のファンの女の子に対して、作り物のきれいな笑顔を浮かべると、内緒話でもするように声を落とした。
「色川さんのファンなの?」
楽し気な秘密でも話すような声で、作り声まで得意なのかと俺は冷めた気持ちで五條を眺める。
五條は他人に興味が無いので優しく見えるし、興味がない癖に、親しげに見える演技は得意だった。
女の子は五條の態度に、俺より話が分かると思ったのか「はい……!」と幾度も頷いた。
「じゃあ、うちに入らない方がいいよ。前もね、色川さんのファンの子が入部したんだけど、そしたら色川さんサークル来なくなっちゃったんだ。あと、うち結構講評会も会誌もハードだし、色川さんそういうミスとかすごく怒るから、サークル経由しない方が仲良くなれると思う。大学のカフェテリアとかよく利用してるよ~」
笑顔で「頑張って」と言い添えた五條に、女の子は「ありがとうございます!」と頭を下げて多目的室を去って行った。
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