6/10
前へ
/143ページ
次へ
 サークル室に入ると、みんなまず紙袋に視線をやり、先輩が差し入れだという前に各々自分の分を取った。 「ドーナツ全部チョコじゃないすか」  などと、特に礼を言うでもなくコーヒーとドーナツを貪る部員たちを見て、先輩は割と機嫌よさそうにしていた。多分差し入れとその礼に関しては、グループラインでことが済んでいるのだろう。 「紅茶はミヒカのだ」  先輩が言ったのはそれだけで、ミヒカさんはミヒカさんで「イェーイ」と言って紅茶を袋から取り出して飲み始める。文化系のサークルらしく、体育会系のような上下はない。  俺もドーナツを齧った。カフェテリアのドーナツはチョコとプレーンと日替わりの三種類だけど、俺はチョコが一番好きだ。 「先輩」  俺はもうさっきの空気を引きずっていたくなかったから、普通に声をかけた。 「ん?」 「コーヒーとドーナツ、ありがとうございます」  先輩は「ふふん」と、得意げなような、満足そうな息をついて、ドーナツを齧った。  ミヒカさんが、いなかった俺に仕事の進み具合を教えてくれた。 「議事録は五條に作らせてて、残部は眞下に確認させた。スプレッドシートに在庫と今日の分合わせた総配布数記録して、どのくらい即売に回すかと値段はイベント前に再確認。玉本は会誌作るのとか今日の進行とかずっと頑張ってくれたから、後は二人に任せな」 「あ、はい、ありがとうございます。というか、会誌とか色々、新歓の仕事ミヒカさんにめっちゃ手伝ってもらって……ありがとうございました」 「いーのいーの、会長の仕事のうちだから」  一仕事終えた和やかな空気がしばらく続き、ドーナツを食べ終える頃には、先輩のファンのこととか、先輩に言われたことも割とどうでもよくなってきていた。  そののんびりした空気を壊したのは、バシャッという、静かな音だった。部屋中にコーヒーの匂いが広がる。  音のした方向は、サークルのデスクの側、五條が作業していた場所だった。  俺は慌ててサークル室に置いてある箱ティッシュを取ると、五條の足元に出来た茶色い水たまりに被せて吸わせた。 「五條? お前、服汚れてる」  裾にもコーヒーが跳ねているのでそう言った。ゆっくりと振り返った五條の顔は蒼白だった。 「…………大野木が、大野木が、今日は俺と一緒に帰らないって」  一瞬静まった周囲の空気は、また和やかなものに戻った。みんなはわいわいと楽し気にドーナツを食べ、コーヒーを飲んでいる。
/143ページ

最初のコメントを投稿しよう!

363人が本棚に入れています
本棚に追加