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気にしたら駄目だと思いながら自分の原稿をチェックし、時たま誤字があればそれを直したが、先輩の視線が気になってため息をついた。
「……先輩、邪魔です」
「どうして? 触れてもいないし動いてもいない。君に声をかけられるまで話しかけもしなかった」
「でも、邪魔ですね」
そう言ってちらりと見ると、先輩がくっと口角を上げる。左の方が笑みが深い。その非対称な笑顔は、何というか非常にこの人らしい。
「邪魔な理由を聞きたいんだ」
「……圧が強いんです、先輩は。それになんか、体温とか多少、来るじゃないですか」
それでも先輩は俺の隣の席から立ち上がらない。
こんな人だが、4、5年前に賞を獲り、小説家としてデビューしており、遅筆のためか作品数は多くないものの出した本は売れている。
一応、そういったすごい人ではあるので、性格に多少難があっても原稿を貰おうということになっているのである。
――ただ、知識量とかすごいんだよな。読書量も多いし、評論も的確だし……。
その点では、俺は先輩を尊敬している。
とはいえ、一つの美点で他の欠点が無かったことに出来るわけもないので、先輩に対する感情は一言で形容しがたい。あえて言うならおおむね尊敬と気持ち悪いとで構成されていた。
どう気持ち悪いのかと言えば、今までの会話の通り、俺が先輩に口説かれているからである。別に男に口説かれているから気持ち悪いと言っているわけではない。
隣の先輩がそっと息をついた。掠れ気味の声で嬉しそうに囁く。
「触れてもいないのに、僕の体温が君に伝わってると思うと、すごく興奮する」
ただただ気持ち悪いことを言うからだ。
「セクハラです。学生課に訴えますよ」
「いいよ、訴えて。僕と君が性的な言葉を交わしたことが、第三者に知られて記録に残るんだろう?」
その言葉で、俺の先輩に対する感情は気持ち悪いに占拠された。
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