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「……辞めてぇ~」  ほとんど口の中だけで呟いた言葉を先輩は聞き逃さなかった。 「すまない、辞めないでほしいな」  外連味(けれんみ)の強い口調はそのままに、申し訳なさそうな声を出した。でも、隣の席を立つことはしない。 「あの、先輩元々性格やばいんですから、誰彼構わずこんなことしてたら絶対訴えられますよ。そしたら本も出せなくなっちゃうんじゃないですか」 「君にしかしないよ」  俺は顔を歪めた。  ――大野木はすげぇな。  俺は五條の幼馴染の大野木に想いを馳せる。五條から大野木に対する執着を聞かされているだけで胸やけしそうなのに、それを直接向けられているはずの大野木はいつも健康そうだ。  俺は体の中が重かった。  自分に向けられている執着は、べとついていて、ひどく重たい。 「……玉本くんなら、大丈夫なんじゃないかと思ってしまうんだよ。あの五條くんと仲良くできている君を見ると、僕も君の側に置いてもらえそうな気がする」  色川先輩の、すんなりした指の長い手が、こちらに伸びてくる。  俺は別に身構えない。この人は、一度も俺に触れようとしたことがないからだ。  伸びた手は、俺が机に置いた付箋まみれの本に触れる。 「玉本くんは、重めの本が好きだね」  指先が表紙をさらりと撫でて、背表紙のタイトルをじっくりとなぞる。 「真面目だな、君は」  付箋の数を確かめるような指先の動きで、細いフィルム素材の付箋がカサカサと音を立てた。  とっさに視線を逸らして、画面を見つめる。でも、文字は目に入ってこない。  無性に恥ずかしくなった。先輩の手の動きが、あまりに愛しげだったから。 「あと……俺が仲良くしてるのは、五條じゃなくて五條の友達の大野木ですね、多分」  大野木と親しくなっていなかったら、今もここまで五條と付き合いを続けていたかはわからない。基本的に他人に興味が無いので外面のいい五條自身も、このサークルで自分の本性を晒すことになるとは思っていなかっただろう。  俺の本を名残惜し気に指先で撫でて、先輩の手が文庫本から離れる。 「でも通常、人はデメリットから距離を取るものだよ。そこに楽しい友人がくっついていたとしてもね」  俺は答えずに、画面を見続けていた。先輩の方を見たくない。片手で、ポケットに触れる。その中に入っている文庫本を、布の上からぎゅっと握りしめた。
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