死者からの手紙

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 先輩は僕の名前を憶えていない。  先輩は僕のことを「君」と呼ぶ。僕は入部した初日から一週間、先輩が「君」という度に名乗り続けた。だけど、先輩が僕の名前を呼んだことは一度もない。先輩の中で僕という存在は「君」という認識でしかない。 「何で、手紙書こうと思ったんですか?」 「内緒」 「内緒ってことは、理由はあるんですね」 「何もなかったら書かないよ」  いつも何を考えているのかわからない先輩のことだから、何となく書こうかな……。みたいなぼんやりとした感じで書いているのかと思っていた。 「腱鞘炎とかにならないんですか?」 「理由は聞かないんだね」 「どうせ、言う気ないことは聞きませんよ」 「そっかぁ。で、腱鞘炎? ならないならない。今更一日百枚書いたくらいではならないよ」 「万年筆壊れたりとかしないんですか?」 「インクの減りは早いけど、五年前からずっと同じ万年筆だよ」 「物持ちいいんですね」  ルーズリーフを袋から取り出し、六行の文章を書いて、半分に折ったり、紙飛行機にしたりして宙に放り投げる。毎日、毎日、それの繰り返し。  朝、登校してきて、一日授業を受けて、放課後になったらこの第二図書館で先輩が手紙を書き部屋を散らかす様子をただただ見ているだけの時間を過ごす。 「先輩」 「ん?」 「……そろそろ下校時間です」 「もうそんな時間か」 「片付け始めて下さい」 「あと、三枚だけ!」 「片付けて下さい」 「どうせ、君のことだから時間に余裕をもって教えてくれてるんでしょ」 「……片付けて下さい」  先輩は書き終わった手紙を丁寧に紙飛行機にし、僕の方へと不満そうな表情をしながら飛ばしてきた。 「わかったよ。最後に一枚書いたら終わるよ」  明らかに不貞腐れてますと主張するような表情のまま、ルーズリーフを一枚取り出し、六行の文章を書き、また紙飛行機を折った。  なぜか理由を聞いても先輩は答えてくれないから、理由は知らないけど、書いた手紙は紙飛行機になる確率が高い。  「今は最後」となった紙飛行機が先輩の手から放れ、他の紙飛行機たちの中に紛れていったのと同時に、下校を知らせるチャイムが静かな第二図書館に響き渡った。 「また明日ですね」 「家に帰ってからも書くよ」 「そうですか」  先輩は手紙が溢れかえっている鞄の中に、数少なくなっているルーズリーフの袋と万年筆を器用に入れる。  手紙で散らかっている第二図書館から出て、鍵をかけ、職員室に鍵を返し、生徒用の昇降口に向かう。 「一緒に帰ろうか」 「わざわざ言わなくても、いつも一緒に帰ってるじゃないですか」 「……そうだったね」  日中にあったクラスでの出来事。最近読んだ本の感想。本当なにか冗談なのかわからないような話し方でいろいろ話をする先輩に、簡単な相槌をしながら家までの道のりを歩く。時間にしたら三十分程度の短い距離。だけど、登校時とは違い、心臓がうるさくなる時間。 「ここだね」 「お疲れ様でした」 「おつかれ」 「また、明日。部活で」 「うん。バイバイ」  いつもと同じ下校時間。いつもと同じ先輩の家。いつもと同じ先輩の笑顔。  いつもとは違う穿破いの返事。  いつもなら「バイバイ」なんて言わない。初めて聞く返し。先輩のことだから、特にそんな事気にしていないのだろう。偶然、今日は「バイバイ」になってただけ。僕が考え過ぎているだけだ。モヤモヤとする先輩への違和感にそう結論付け、先輩がドアを閉めるのを確認してから僕も自分の家を目指して歩き始めた。  次の日。先輩は部活に来なかった。
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