チャットリアリティー

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04. 来店客で賑わっているカフェの一角に腰かけて、俺は小さく深呼吸を繰り返しながら、数分前に運ばれてきたコーヒーを飲み干した。机に置かれたスマホを一瞥し、深いため息を零した。 学生時代はネットが今のように普及しておらず、現代の若者とはまったく違っていた。SNSを始めたのは最近の話で、高校や大学時代はとにかく遊びまわり、何人もの女性と付き合っては別れてを繰り返すような(いわゆる遊び人)だったのだが、就職して立派な社会人となってからは恋愛する時間もなく、日々の疲れから娯楽に休日を割く気にもなれず、三十一歳にして枯れ果てつつあったのだ。せめてほんの少しでも癒しが欲しいと辿り着いたのだが、部下から情報を仕入れたSNSだった。SNSでは現実世界と違って誰もがお互いの素性を知らずに関係を持つことが出来る。なりたい自分になることを叶える夢の世界だった。そんなネバーランドに転がっていた恋愛ごっこに興味を引かれ、気が付いた頃にはどっぷりと嵌ってしまっていた。ただしお互い本気ではない恋愛はそう長続きはしない。会話に飽きてしまえばあっという間に繋がりは途切れるのだ(それがいいところでもあったが)。それでも構わなかった。俺の目的は恋人探しでも友人探しでもなく、日々のストレスを発散させてくれる相手を見つけることだったのだから。しかし、俺の考えは四カ月前に打ち砕かれることとなった。いつものように趣味の合いそうな女性を探し、SNSをさ迷っていると‟リン”という女性に出会った。プロフィールは実に当たり障りのないことしか書かれていなかったが、俺は何となしに声をかけてみた。彼女はすぐに返信をくれ、そこから会話は始まったのだが、俺はいつの間にか彼女に夢中になっていた。ネットの中でしか知ることが出来ない相手に俺は本気で恋をしてしまった。リンさんとのメッセージのやり取りや、投稿が毎日の楽しみとなった。見ることの出来ない彼女の仕草や、聞くことの出来ない彼女の声を想像して幸せに浸った。SNSでの恋愛を本気にするなんてとんだ間抜けだと嗤われるかもしれないが、恋の衝動を止められる人間など存在するのだろうか。 彼女の素敵なところは上げればキリがないが、いつも前向きで明るく、年相応の大人らしさと子供のような無邪気さを兼ね備え、俺の持っていない魅力をいくつも持っていた。惹かれるべくして彼女には惹かれた気がしてならないのだ。そして今日はリンさん本人と会う約束をしていた。彼女から会って話がしたいと先週頼まれ、断る理由があるはずもなく承諾した。正直彼女が本物かどうか疑念を持っている程度の理性は俺にもあった。しかし、これでとうとうハッキリするのだろう。 緊張を抑えきれないまま机の上で握りしめていた拳を開いたり閉じたりと繰り返していると「タカユキさんですか?」と声をかけられて、弾かれたように顔を上げた。目の前に立っていたのは、茶色に染められた髪を丁寧に切りそろえた二十代前半ぐらいであろう青年だった。困惑している俺に、彼は目尻を下げて「リンです。チャットでいつも話してる」と微かに口元を綻ばせた。俺はただ唖然と青年の顔を穴が開くほどに凝視しているしか出来なかった。彼女が偽物だったショックもあるが、それ以上に何故なりすましをしていることをネタ晴らしにやって来たのか、理解が及ばなかったのだ。 「リンさん…、いや、本名は?」 「フウヤです」 「フウヤくん。とりあえず座ってくれ」 未だ思考回路に詰め物でもされたかのように呆気に取られている状態の俺は、何とか口を開くと彼に座るよう促した。フウヤくんは言われた通りに向かい側のソファに腰かけると、此方が口火を切るより先に深々と頭を下げた。 「今まで騙してて本当にすみませんでした」 俺は何も言えずに青年の後頭部を見下ろしていることしか出来なかった。彼がどんな理由でなりすましをしていたのか。そして何のきっかけがあり、打ち明けることを選んだのか。一から十まで説明されなければ納得は難しかった。俺の考えていることを感じ取ったのであろうフウヤくんは、おずおずと顔を上げると「全部説明します」と言って、最初から最後まで綺麗さっぱりに白状してくれた。 完結に纏めると、生活費と母親の入院費をバイト代だけでは賄えず、簡単に稼げる方法を模索して辿り着いたのがなりすましだった。今まで何人もの男を騙して金を稼いでいたが、先日母親が亡くなりその必要はもうなくなったこと。そして何よりも俺の優しさに耐えきれないほどの罪悪感が生まれ、直接会って説明することを決めたというわけだ。 俺の言葉や行いが、間違ったことをしている若者を変えられたのは結果的によかったものの、ある意味では失恋したことになる。何とも奇妙な、これまでに抱いたことのない感情でフウヤくんと向き合った。 「まぁ正直に話してくれて嬉しいよ。実際半信半疑だったけど、恥ずかしながらリンさんに…、要はキミに本気で惚れてたんだ」 説明を聞かされた俺の最初の反応に彼は申し訳なさげな様子で目を伏せた。謝っても謝り足りないといった感じで委縮している姿を見ていると、責め立てる気にもなれなかった。確かに彼の行いは詐欺と同じだが、悪ふざけでやっていたわけではない。そもそもSNSでの存在を信じる方が愚かだと俺が思ってしまうのは、古臭い考え方なのだろうか。彼に騙されてきた男たちは一時的ではあるし、偽りではあったが幸せを得られたはずだ。ならば構わないのではないだろうか。もちろんもう二度と同じことはしないと約束はしてもらいたいが。 「すみませんでした。でも、タカユキさんには真実を話したいと思ったんです。こんなに僕に優しくしてくれる人を騙し続けるのは、あまりにも酷いって。だからちゃんと謝って、許してもらいたかったんです」 「正直やられたなって思ってるよ。でもこうして打ち明けてくれただけでもキミの性格がよく分かった。俺もいい夢を見させてもらったしね」 乾いた笑いを零し「それに俺のプレゼントが無駄なことに使われなかったのが救いだ」と言った。彼は今回ばかりは嘘がないと訴えるよう何度も首を縦に振った。 「タカユキさんと話してて楽しかったんです。それに優しくて誠実なのがチャットからも伝わってきて、きっとこの人は嘘を吐いてないんだろうなって思いました」 「実際に俺がSNSに書いてることは全部本当だよ」 「…だからこそ、出来ることなら友達になりたいって思ったんだと思います」 ポツリと囁かれた彼の一言に、俺は自然と口元を綻ばせていた。 彼がもしもなりすましなどせずにフウヤとしてSNSに居たのなら、俺たちの関係はなかったかもしれない。偽りから始まる関係があってもおもしろいのではないだろうか。それに彼は二週間前に唯一の肉親を亡くしているのだ。まだ立ち直れていないはずだし、辛いに違いないのに、こうして俺に会いに来てくれた。俺は好意を寄せていた相手としてではなく、次は友人として彼を支えたいと思っていた。リンさんを好きになった時から、相手が誰であろうと出会えたことが幸せだと感じていたからだ。 「いつでも相談していいって言ったんだろ?これからはリンさんじゃなくてフウヤくんの話を聞かせてくれ」 微笑んだ俺に対してフウヤくんは驚いたように目を見開いたあと、次第に表情を明るくしていき「ありがとうございます!」と破顔した。彼の肩をポンポンと優しく叩いてから手を差し出して握手を交わした。 SNSでは誰も信じるな。 まさにその通りだと俺は今回のことで改めて実感させられたが、この不思議なきっかけで生まれた関係が友情として育まれることに期待したかった。
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