0人が本棚に入れています
本棚に追加
泣き疲れて眠ってしまった私が最後に感じたのは抱きしめ返してくれた彼の暖かい腕の温もりだった。
目を覚ますとこちらを心配そうに覗き込む両親の姿があり、私は心配を掛けないように精一杯の笑顔を作った。
それから数日経ち、最後の思い出作りとばかりに彼と目一杯遊んでいた私は、再び両親から大事な話があると切り出された。
父だけ仕事場のある町へと移住して、私と母は村に残すという話だった。父が寂しくなると落ち込んで母がそれを宥め苦笑する中、私は暫くしてやっと話の内容を理解して満面の笑みで頷いた。
話を聞いた次の日、この前とは打って変わり今度は嬉々とした気持ちで、私は待ち合わせの井戸へと向かった。一刻も早く村に留まるといった話を彼にしたくて仕方なかったのである。
井戸に着くと既に彼は先に着いていて、井戸の縁に腰をかけて顔を俯けて座っていた。私は彼の元へ駆け寄って話をしようとして、それができずに固まってしまった。
顔を上げて私を見る彼の表情が、いつか見た子供たちのように嫌そうに歪んでいたからである。どうしてそんな顔をするのか分からず、何か嫌な予感がして、私は必死になって元々話そうとしていたことを口にしようとした。
しかし口を開いた私を制するように、私の言葉を遮るように、彼は私へと言葉を放った。
何を言われたかは覚えていない。ただ言われた言葉が私を、そしてこれまでの二人の関係を否定するようなものであったことだけは覚えている。
言われた言葉や彼のしている表情に動揺し、何も考えられないままに、私は家へと走った。先程嬉しそうに家を出た娘が泣きながら帰って来たことに両親は驚いていて、そんな二人に駆け寄って泣きついた。
それ以降、待ち合わせ場所に行ってはとぼとぼと家に帰ってくる私の様子を見て両親も察したのか、私たち家族は結局全員で町に移住することとなった。
村を去る日、村の大人たちが別れを惜しんで総出でお見送りしてくれていたけど、彼の姿はやはりそこにはなかった。
最初のコメントを投稿しよう!