ミトコンドリア

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どうしようもなく疲れていた。身も心も前に進むことができない。ただ、這いずり回ってるだけだ。たぶん仕事を頑張りすぎたせいだろう。 だから、休みを取ることにした。仕事がひと段落ついたところで、有休で大分の山奥にある温泉地に行くことにした。 旅館の周りを散策していると、一つの小さな喫茶店を見つける。中はカウンターとテーブル2つしかない。ちょうど太陽の方角に大きな窓があり、そこからの光が差し込んでいる。 電気はつけず、その光だけでお店は営業していることを主張していた。他に客はおらず、サングラスをかけた女主人がカウンターの向こうでこちらを見ていた。 「いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」と言われたので、窓の近くのテーブル席に座る。外には山道が見えた。女主人が持ってきてくれたメニューには、パスタやグラタンなどが載っていた。ご飯が食べたい気分だったので、チーズドリアを注文する。 10分ほどで料理が運ばれてくる。僕が想像していたドリアとは違っていた。何と言っても全体が緑色だったのだ。何か野菜が混ざられているのかもしれないが、この緑色は食欲を減退させる。でも食べないという選択肢はない。 僕は少しだけスプーンにすくい、口に運ぶ。味は思っていたドリアの味だった。香ばしいチーズとクリームソースの味が口に広がる。食欲が復活し、僕は全てを平らげた。 「全部食べましたか?」後ろから女主人が質問して来る。僕がうなずくと、「お客さん、とても疲れた顔されていたから、特別なもの、混ぜておきました」と言った。 「何をやっても疲れが取れないのは、お客さんの中にあるミトコンドリアが弱っているからです」 「ミトコンドリアってあの細胞の中にいるやつですか?」とやっと僕は口を開く。 「そうです。ミトコンドリアがいてくれるおかげで、私たちは酸素からエネルギーを取り出すことができるんです。そのミトコンドリアが弱ってくると、エネルギーが使えなくなってくるんです。だから…」と言って、女主人はサングラスに手をかける。 「だから、ミトコンドリアを混ぜて置きました。さっきのドリアの中に」とサングラスを外しながら言った。「ミトコンドリアを混ざると鮮やかな緑色になるんです」僕は女主人と目が合う。女主人の瞳は黒では無く、緑色だった。 「お客さんの中のミトコンドリアは復活しました。だからどんどん元気になっていきます。ほら、さっきより身体が軽くなったでしょ?」 言われてみれば、さっきまであった気怠さは消えていた。そして心もスーッと晴れやかになっている。 「人が生きていく上でミトコンドリアは大事なんです。ミトコンドリアを大切にしてあげてくださいね」そう言って女主人はサングラスをかける。 緑の瞳はまた黒いグラスの中に隠れていった。 僕はその喫茶店を後にする。足取りは間違いなく軽くなっている。エネルギーが湧き上がって来るのを実感する。自然と歩くスピードがあがる。そして、僕は走り出す。太陽が真っ直ぐ僕を見ていた。
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