マジンは箱の中

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 マジンは、ものすごくホラ吹きだ。  マジンとは、床屋の婆さんのあだ名である。顔はしわくちゃ、髪は真っ白。小学五年生の目から見ても、優に九十を超えていることは明らかだ。そのくせ実年齢を尋ねると「あんたらとそんなに変わりゃしないよ」などと白々しいことを言う。誰もマジンの本名は知らない。床屋の名前は「バーバーやまざき」だが、山崎が本名というわけではないらしい。誰が、どういう経緯でマジンと呼び始めたのかは謎である。謎だからこそマジンである、とも言える。  マジンはホラ吹きだ。髪を切っている間、あることないことを喋りまくって客をうんざりさせるのがたいへん得意である。代表的なものだと、アメリカに留学して弁護士になった息子がいる、子どもの頃に天狗を見たことがある、芸能人の誰々はクラスの同級生で仲が良かった……等々。大半は真偽の確かめようがないような話なので厳密にはホラと言えないかもしれないが、マジンの話を信じる人はほとんどいない。五分前に言ったことと矛盾するようなことを平気で言ったり、自分の喋ったことをよく忘れていたりするからである。  マジンは非常に年寄りだが、髪を切る腕だけはいつまでたっても衰えないようだった。身体が覚えているらしい。とはいえ、髪型のセンスは非常に古臭く、客から特に注文を受けない限り、男は大抵刈り上げか、それかどんぐりみたいな髪型にされる。ここらの床屋では一番安いので、僕は母によって半ば強制的にバーバーやまざきに通わされている。自己防衛のため、できるだけ細かく髪型の注文を付けるようにしているが、三分の一くらいの確率で注文を無視してどんぐりヘアーにされる。どんぐりにされた日は厄日だと思うことにしている。バーバーやまざきの従業員はマジン以外いないので、他の人を指名するというわけにもいかない。  マジンは基本、話が通じない。うちのクラスにもバーバーやまざきを使っているやつはそこそこいるが、マジンとまともにコミュニケーションをとったことのある者はおそらくいない。やって来た客を機械的に椅子へ座らせ、一応髪型の注文を聞き、あとはデタラメな話をしながらひたすらハサミを動かす。客が話を聞いていようが聞いていまいがお構いなく喋り続け、切り終わると床に散らばった髪の毛をさっさと片付けて、客を送り返す。代金の請求は忘れていることが多い。客からお金を差し出されて初めて、思い出したようにそれを受け取る。下手したら代金を踏み倒している客もいるのではないかと、僕は常々思っている。 「マジンってさ、ちょっとボケてるらしいよ」  火曜日の四時間目、すなわち図画工作の時間に、ケンジが言った。机の上にはハサミと、それから大量の造花。 「マジンって、床屋の」 「そうそう。ニンチショーって言うんだって。うちの兄ちゃん、マジンのとこに髪切りに行く時、マジンが店でかかってるラジオと話してるの見たことあるって言ってた。あとたまに、マジンに知らない名前で呼ばれることもあるって。多分、息子と間違えてるんじゃないかって」 「あ、それ俺も聞いたことある。時々店に男の人が来て、マジンを病院に連れて行ってるって。息子ってその人じゃないかな」  隣で作業をしていたハヤトも、話にのってくる。ハヤトが造花を器用に組み合わせ、リング状の装飾を作る。  (きた)る六年生の卒業式に向けて、五年生一同は会場の飾りつけを量産しているところだ。授業という名の労働だと僕らは思っているが、口には出さない。 「息子って、弁護士っぽかった?」 僕の問いに、ハヤトが肩をすくめる。 「知らね。フツーの人じゃない?」 「だからマジンって、言ってること怪しかったのかな。刃物持たせて大丈夫か」  ボケていないケンジがハサミを動かし、不要な部分の葉を切り落とす。 「でも、髪はちゃんと切ってくれるよな。ダサいけど」 「なんか、長い間やってきた作業は身体に染みついてるから、失敗しないらしいよ。ダサいけど」 「マジンって、ずっと床屋やってんのかな」 「知らね」  僕は作りたての装飾を箱に放り投げる。小学生男子にとって近所の床屋の婆さんの人生史など、小指の爪ほども興味がない。その直後、駅前のブックオフが閉店するらしいという重大情報がハヤトから明かされると僕らの意識はもっぱらそちらの方へシフトし、それ以降マジンの話が持ち上がることはなかった。無論、飾りつけの作成も遅々として進まなかった。  その程度の話題だったのに、僕がそれからおよそ3時間後にマジンの話を思い出すことになったのは、単なる偶然だ。たまたまその日、学校から帰るやいなや僕の後ろ髪が伸び放題になっているのを母が発見し、有無を言わせず千円札を握らせ、僕をバーバーやまざきに送り出したのである。着の身着のまま家を追い出された僕は、これからニンチショー疑惑のある婆さんのもとへ髪を切られにいくのだ、と微妙な感傷に浸りながらぽてぽて歩く。ズボンのポケットの中で、無意識に持って帰ってきてしまった余りの造花がカシャカシャと揺れていることに気付いた。  マジンは今日も相変わらずマジンだった。「よく来たね、一年ぶりかい!」などと言って騒がしく僕を出迎えたマジンは、一カ月前に来た時と変わらないテンションで僕を椅子に座らせ、迷いのない手つきで僕の髪を切り揃えながら、いつもより輪をかけてデタラメな話をとうとうと僕に聞かせた。昔マジンが住んでいた家にひい爺さんの代からずっと花を付け続けている木があって、ある時マジンの父親が夢枕に現れた不思議な女性のお告げに従って木の根元を掘ってみると、それはそれは目もくらむほどの小判が詰まった壺が出てきた……だとか、あとは大体いつもと大差ない内容の話が続いた。マジンは床屋より物書きになった方が成功したのではないかと、僕は髪を切られながら思った。そして気が付けば完璧なまでのどんぐりヘアーにされていた。今日は厄日だ。  上機嫌に鼻歌を歌いながら、床に落ちた僕の髪を箒で(はら)っていくマジン。椅子から解放された僕はポケットにねじ込んだ千円札を取り出し……そのはずみに、ポケットに入っていた造花が落ちた。長さ10cmほど。二枚の葉と微妙な大きさの赤い(つぼみ)を付けた部分。飾りつけに使うのは花弁の部分が大半なので、こういう半端なパーツは捨てられる。 「んまぁ!」目だけはいいマジンが床に落ちたそれを見つけ、声を上げる。「綺麗じゃないの、ええ? あたしゃ花が好きなんだよ。どっかに咲いてたのかい?」 「あぁうん、まぁ……すぐそこに」説明するのも面倒なので、適当に話を合わせる。「あげようか? いらないし」 「んまぁ、くれんのかい? 嬉しいねぇ」  マジンは床に落ちた小さな造花を指で拾い上げ、いそいそと店の奥に引っ込む。ややあってマジンは拳くらいの大きさの小さな水差しを持って現れ、入り口近くの窓辺にそれを置いた。水差しの中には僕がプレゼントした、もとい押し付けた小さな造花のパーツ。 「窓辺にこういうのがあると嬉しいのよ。なんせあたしゃ花が好きだからねぇ。嬉しいねぇ」 「……うん、その、よかった。はいこれ、千円」  僕はにこにこしながら水差しを見つめるマジンに散髪代を手渡し、そそくさと店を後にした。空になったポケットが、妙にすうすうする。  ……これは、僕の過失ではないだろう。ゴミ同然の造花をマジンが勝手に本物の花と勘違いして、勝手に店先に飾っただけだ。あの様子じゃ、造花だと気付く見込みはない。不可抗力的な嘘。普段から息をするようにホラを吹いているマジンよりはましだろう。知ーらない、知―らないっと。そんなことを妙にぐるぐる考えながら、僕はどんぐり頭を抱えて帰途に着いた。近場に、同じくらいの値段できちんと客の要望を聞いてくれる床屋ができないものだろうか。そうすればもう、マジンのところにいかなくて済むのに。  次にバーバーやまざきを訪れたのは、翌月のことだ。六年生たちが僕らの用意した壁一面の造花に囲まれて卒業していき、束の間の春休みに入った頃の火曜日。母に無理矢理行かされるのにもそろそろうんざりしていたので、今回は自主的に散髪へ行くことを申し出、万が一どんぐりヘアーにされても支障のないよう、向こう一週間は友達と遊ぶ予定のないタイミングを見計らってバーバーやまざきに(おもむ)いた。 「よく来たね、半年ぶりかい!」  マジンは平常運転。今日はできるだけ前髪を残してほしいと伝えると、「分かってるよ、いつものやつだろ!」という不安きわまりない返事があった。心の中で自分の前髪に別れを告げつつ、回転式のスタイリングチェアに向かう。窓際を通り過ぎる時、ふと違和感があった。  店の外を臨む窓辺には、先月僕が置いていった小さな造花の欠片が水差しに活けてある。人工的なツヤを残した葉が三枚。先端には中途半端な大きさの赤い花。  ……花?  僕は思わず窓辺に近寄り、しっかりとそれを確かめた。指で葉をつまむ。間違いなく造花だ。でも明らかに、先月僕がここで落としたものとは違う。なぜか蕾が開花しているし、よく見たら葉も増えている。  僕がマジンに押し付けた造花は、成長していた。 「いいだろう、それ? (もら)ったんだよ。近くに咲いてたんだって。あたしは花が好きでねぇ。一昨日、咲いたばっかりなんだよ」  背後でマジンが上機嫌に言う。僕から貰ったということは忘れているようだ。そして案の定、まだ本物の花だと思い込んでいる。  ……いや、まさかね。 「よかったね。……髪、お願いします」  僕は椅子に座り、いつものようにマジンに髪を委ねる。造花については忘れることにした。マジンはいつもと同じように手際よくハサミを動かし、手際よくホラ話をし、手際よく床に散らばった髪を掃除していく。マジンに千円を渡して店を出るタイミングで、僕は今一度窓辺に目を向ける。作り物の花と三枚の葉が、外からの日差しにぼんやりと当たっている。 「また来なよ」  マジンの声を背に、僕は店を後にする。運よくどんぐりヘアーを免れた頭を軽く掻くと、爪の間に細かい毛が挟まった。僕は頭を手で軽く払い、残った髪の毛と頭の中の疑問をその場に振り落としていった。  その後、バーバーやまざきを訪れる度、窓際の花は成長していた。次に訪れた時は葉が更に増え、花の開き具合も進んでいた。またその次に訪れた時は、なんと二輪に増えていた。しかし何度見ても何度触っても、それは造花だった。 「いいだろう? たまに水だけ替えてるんだけどね、全然枯れないんだよ」  マジンはハサミを動かしながら嬉しそうに言う。枯れないのは当たり前だ。だが作り物であるはずの花が成長しているという事実は、明らかに僕の中の常識と反するものだった。 「……ねぇ、たまに息子さん、来てるんですよね」 「来てるよ! 最近腰が悪くてねぇ。病院まで車で乗せて行ってくれるんだよ」 「あの花の世話も、息子さんがしてるの?」 「いやぁ、息子は花は好きじゃないんだよ。花粉症持ちだからねぇ。だから家に住んでた頃の花壇の世話も、全部私がやってたんだよ。あたしゃ、花が好きだからねぇ」  マジンが病院に連れて行かれているのは腰のせいだけではないと思うが、もちろん口には出さない。僕は花が好きではないという息子さんのことを思い浮かべる。老いた母が、造花を本物の花だと思い込んで窓際に飾っている。少しでも母を喜ばせようと、水差しの造花を定期的に少し成長したものと入れ替えている……可能性としては、なくはない。というかそれくらいしか説明の付けようがないのだが、僕はなんとなくその説を全面的に支持できずにいた。 「息子さんって、どれくらい来てるの?」 「昨日も来たよ! 最近よく来てくれるんだよ、車でね。あたしゃ、最近腰が悪くてねぇ」  そうしてまた、話はふりだしに戻る。この無限ループな会話に上手く調子を合わせることを、僕は最近覚えつつある。  やがて桜も散り、僕らは当たり前のように六年生になる。 「なぁ、マジンのところにさ、窓に造花が飾ってあるんだけど」  特にすることもない昼下がり、僕はなんとなくクラスメイトに話を振る。 「なんか、行く度に増えてるっていうか……成長してるような気がするんだよね」 「気のせいじゃね?」 「気のせいだろ」  ケンジとハヤトから同時に切り捨てられ、僕はいささか気分を害する。 「てかマジンのところ、まだやってるんだ」 「最近行ってないの?」 「チャリで20分くらいのとこに安めの美容院あってさ、親が最近そこ行けって。中学上がる前に、髪型はちゃんとした方がいいぞーとか言って。ちょっと遠いけど、マジンよりはまし」  ケンジが気のない様子で答える。憩いの場だった駅前のブックオフが閉店して以来、こいつは覇気がない。 「マジンっていうくらいだからさ、なんかこう、魔法的なもので造花を成長させてたりして」 僕はあまり本気に聞こえ過ぎないトーンで言ってみるが、二人揃って無視される。 「中学ねぇ……ケンジはやっぱ中高一貫狙うの?」 「受けるだけ受けてみようかなーってレベル」 「うわ、それ受かるやつの台詞だわ、腹立つー。やっぱ俺も私立とか受けておこうかなぁ」  ものの数秒もしないうちに、二人の間の話題は中学受験に切り替わる。月に一回行くか行かないかくらいの床屋で起こっている怪奇現象なんて、小六男子にとっては些事もいいとこだ。そうやって僕の違和感といわれのない好奇心は誰とも共有されることなく、僕の中でふつふつと煮詰まっていく。ワンテンポ遅れて受験の話に参加した僕は、次に髪が伸びるのはいつ頃だろうなどと考えていた。  ある水曜の放課後、また後ろ髪が伸びてきたのでバーバーやまざきに行くと、閉まっていた。定休日ではない。扉越しに控えめなサイズの張り紙を見つける。 『店主の体調不良により、臨時休業いたします。バーバーやまざき』  僕は家に戻り、母に休業の旨を伝える。母は今週中にバーバーやまざきが再開しなかったら、美容院に行っておいでと言った。次の日も、また次の日も僕は学校から帰るとバーバーやまざきを訪ねたが、張り紙はそのままだった。その次の日は学校が休みだったので午前と午後に一度ずつ様子を見に行ったが、変わらなかった。午後に行った時は、張り紙の三隅が剥がれて斜めっていた。諦めて帰ろうとした時、ふと、道路に面したバーバーやまざきの窓に目がいった。  レースのカーテンで店内は見えないが、カーテンを挟んでこちら側にいつもの水差しが見える。そこに活けてある花を見た時、思わず声を上げそうになった。  水差しの中の花は茶色く変色し、今にも枯れそうになっていた。ついこの前まで青々と茂っていた葉も、しおれて根本から落ちそうになっている。まるで本物のようだったが、窓に鼻を付けて凝視してみると、やはりそれは作り物だった。枯れかけの花を再現した、精巧な造花。本来ならば絶対に需要がないであろうその造花は、人気(ひとけ)のない店内から唯一窓の外を眺めているように見えた。僕はしばらくそれを見つめた後、弾かれるようにして窓から顔を離し、振り返ることなく家へ向かって駆けた。    次の日は雨が降った。今日までにバーバーやまざきが開かなかったら、明日あたり美容院に行く事になっている。昼過ぎ、ビニール傘越しに見えたバーバーやまざきの扉は、昨日までと何ら変わりなく閉ざされていた。僕は扉の前に立ち、張り紙が完全に剥がれて店内の床に落ちているのを確認した後、窓辺へ寄る。水差しの造花は昨日よりも更にしおれ、何枚か花弁が落ちていた。  僕は周りに人がいないかどうかの確認もそこそこに、窓の端に手を掛けて右に引く。開いていた。僕は開いた窓の隙間から水差しを掴み、その中に入っている枯れかけの造花を、雨に濡れる歩道へ全部捨てた。窓辺に残っていた花弁もすべて払い落とす。その後、ポケットから新たな造花を取り出し、水差しに入れて窓辺に戻す。昨日、百均で買ってきたものだ。元々活けてあったものと同じ、赤い花弁。できるだけ花の開いた、元気のよさそうなものを選んだ。所詮は作り物なのだから元気がいいも何もないのだが、もはやそんなことは問題ではない。少なくともマジンにとっては、問題ではないのだ。  そっと閉めた窓の向こうで、僕の入れ替えた造花が、作り物然とした完璧な佇まいで窓辺を彩っている。しばらくそれを見守った後、(きびす)を返して家に戻った。ホラばかり吹くマジン。偽物の花を、本物のように育てるマジン。花が好きなマジン。花が好きだということだけは、おそらく嘘じゃない。花が好きなマジン、帰ってこい、帰ってこい。呪文のように呟いた言葉は雨音にかき消され、僕自身にすら聞こえなかった。  それから一カ月ほどした頃、バーバーやまざきの前に真っ黒な車が停まっているのを見た。店の入り口に、車と同じくらい黒い服を着た人たちが集まっているのも見えた。その日の夜、母が駅前のセレモニーホールでマジンのお通夜が行われるということを聞き、夕飯の後に僕を連れて会場へ向かった。お世話になったのだから、最後に挨拶くらいしておかないとだめでしょ、と母は言った。会場の入り口には大きな看板が置かれ、会場内への矢印と、マジンの本名が書かれていた。マジンの名前は習った事のない漢字ばかりで、読めなかった。  会場内ではマジンの親族と思われる人たちが、親族ではないと思われる人たちの相手をしている。眼鏡をかけた小太りの男性がいて、この人がマジンの息子かな、と思った。弁護士には見えなかった。更に進むと、大きな祭壇の前にたくさんの本物の花と、マジンの写真が置いてある。その手前に置かれた縦長の箱の中に、参列者が順番に花を添えたり声をかけたりしていく。  順番が回って来て、母は僕の背中を軽く押した。僕は入り口で渡された白い花を手に、箱の前へ進む。  箱の中には、花に埋もれて半分ほど見えなくなったマジンが、目を閉じて横たわっていた。顔はしわくちゃ、髪は真っ白。最後に見た時と変わらない、床屋の婆さんだ。僕は後ろに並ぶ人の邪魔にならなさそうなスペースに花を置き、ふと、行儀よく揃えられたマジンの手元に目がいった。  胸の上に置かれたしわくちゃの両手の中に、何かが握られている。後ろの人が進み出てきたので、僕は半ば追いやられるようにしてマジンが入った箱の前から離れたが、その瞬間、確かに見た。マジンの手の隙間から、赤い花弁と、ツヤのある作り物の葉が覗いているのを。  母はマジンの親族の人たちに軽く挨拶をしてから、僕を連れて会場を出た。帰り道の途中、僕はコンビニへ寄っていくと言って母と別れ、バーバーやまざきの前に立ち寄った。  閉まった扉。暗い店内。多分、もう開くことはない。窓辺に目をやる。水差しも造花も、もうそこにはない。足元を見る。いつしか僕が捨てた茶色い枯れかけの造花も、もうそこには見当たらなかった。  それ以来、僕はたまに道端の植物を見て、それが本物なのかどうか自信が持てなくなる。逆に雑貨屋などで安売りされている作り物の花を見ると、こんなのは案外水に差して窓際に置いておけば、ひとりでに育つのではないかなんて気がしてくるのだ。  日々の合間、ちょっとしたはずみで、僕は今でも時折嘘をつく。そういう時は、最低でもマジンよりはましな嘘をつくよう心掛けている。何かの間違いで本当になってしまった時、そっちの方が気持ちの整理がつくような気がして。
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