La Vie en rose

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 孤児院があの男達に襲撃された翌日、さすがに子供達も怯えていた。どうしてあの男達がやってきて、自分たちを襲おうと思ったのかが、年少の子供達にはわからないようだった。  一方、年長の子供達のなかでも聡い子などは、あの男達が自分たちを狙った理由を察したようだった。 「ねぇゴーチェ、どうして領主様は急に、私たちのことを養ってくれるなんて言いだしたの?」  それはもっともな疑問だろう。今まで放って置かれていたのに急に資金援助がくること自体も純粋に疑問だろうし、その金を狙ってあの男達がこの孤児院を襲ったこともわかっているのだろう。 「領主様は、このあたりの治安をよくするためって言ってたよ」 「なんで? 私たちが炊き出しをしてるから?」  僕達を支援することがどう治安の向上に繋がるのか、ぼんやりとでもこの子は把握しているようだ。 「そう、炊き出しをしてるからだって。 食べるものがあれば悪いことをしない人もいるっていうのが、領主様もわかったみたいでさ」 「そっか、そうなんだね」  領主様がこの孤児院を支援することにした理由のひとつは確かに炊き出しも含まれるけれども、それ以上に重要な理由は子供達には話せない。ミス・ゲシュタルトが領主様と手を組んだという話はなるべく広まらない方がいいし、そもそもでここの子供達も僕がミス・ゲシュタルトであるということを知らない。  それは知らなくていいことだし、知る必要もない。むしろ知らない方が、この子達の身の安全のためにはいいだろう。  この日も子供達にしっかり朝昼晩とごはんを食べさせて、満腹とまではいかないだろうけれども、今までよりもごはんを食べる回数が増えたことに満足した子供達を寝かし付ける。この孤児院は貧しいなりに部屋の中を照らすランプを数個持ってはいるけれども、全てのランプを照らしすオイルを夜遅くまで燃やし続けることができるほど裕福ではない。  いや、領主様の支援を受けられるようになった今なら、夜遅くまでランプを灯すこともできるだろうけれども、それをやるとオイルを潤沢に買う金があると思われて、また昨日のあのごろつきのようなやつがやってきかねない。僕もアリスティドも、その辺のごろつき程度なら迎え撃てるけれど、自分たちより強いやつが来ないとは限らないし、そうでなくとも子供達を怯えさせるようなことはなるべく避けたい。なので、日が暮れたら早々に子供達を寝かし付けるようにしている。  子供達を寝かし付けたあと、たまにとはいえ、唯一夜にランプを灯し続けている窓のない事務室で、アリスティドと向き合う。 「じゃあ、そろそろ領主様に言われた銀行の調査に行ってくるよ」 「ああ、くれぐれも気をつけて」  倚子から立ち上がって、裏口から外に出る。周囲に人がいないのを確認し、闇夜の中を歩いて行く。鬱々とした貧民街を警戒しながら抜け、住宅街に入る。このあたりは貧民街に比べると治安もいいし、ある程度金がある住民も少なくない。そろそろ夜も更けているというのに、そこにある仕立て屋の看板を出している家の部屋からは、ランプの光が漏れていた。  建ち並ぶ家の隙間にある細い路地に入り、左手首に付けている銀色のブレスレットを外す。それを額に押しつけると、黒い靄が僕の身体を包んだ。靄の中で、ブレスレットは仮面へと形を変え、僕の身体も変化を遂げる。胸が膨らみ、腰つきが女のものになる。そして靄が消えたあとには、僕はすっかり丈の短いドレスと銀色の仮面を身に纏った、ミス・ゲシュタルトへと姿を変えていた。  空を見上げて地面を蹴る。立ち並ぶ家の屋根の上に跳んで乗り、見晴らしのいい高所を移動する。銀行の場所と特長は領主様から聞いてはいるけれども、実際に行ったことはない。なので、見晴らしの良い場所を移動して探すのがいいと思ったのだ。  銀行があるのは、商人達の中でも富裕層が暮らす住宅街だ。あのあたりもそこそこ警備が厳しい。なんとか上手いこと忍び込まないと。  銀行に辿り着き、なんとか無事に忍び込むことに成功した。警備員が時折通りかかりはしたけれども、調度品の影に隠れたり、天井の高い壁の上の方に張り付いたりでやり過ごした。  そんなことをしながら、銀行の書類を保管している部屋を見つける。ここに貴族のみならず、商人達と銀行のやりとりが記録された書類があるはずだ。  ドアには鍵がかかっている。僕は細い針を取りだして、鍵を弄る。こういった金のかかった建物の鍵は複雑なものを使っているのが常だけれども、そういったものを外すのもだいぶ慣れた、鍵穴の中を針でまさぐっていると、思い手応えがした。  針を鍵穴から抜いてドアを押す。すると重いドアはいとも簡単に開いた。  すぐさまに部屋の中に入りドアを閉め、鍵をかける。それから、部屋の中に大量に収められている書類に目を通していた。  これはなかなか骨が折れるぞ。棚いっぱいに並べられた帳簿に目を通しながらそう思う。一応、取引先ごとに帳簿は分けられているけれども、その取引先の中の誰が不正を働いているのか、その目星を領主様には付けてもらっていないのだ。  結局、どの帳簿から手を付けるか悩んだ挙げ句、僕が今までに不正を暴いた貴族と繋がりのあるやつの帳簿から目を通している。  ……なるほど、不正をするやつの仲間はやっぱり同じ穴の狢が多いようだ。  もちろん、不正を過去にやったやつと繋がるのある貴族や商人でも、潔白なやつはいる。けれども、黒い繋がりというのはこういった帳簿にありありと記録が残っていた。  帳簿を読み込むことに夢中になっていると、部屋の外が騒がしくなってきた。 「出てこい、ミス・ゲシュタルト!」 「うわ、やばっ」  うまいこと隠れてここまで来たつもりだったけれど、どうやら見つかっていたようだ。しばらく静かだったのは、他の警備員や警邏隊に連絡を取りに行っていたのだろう。  僕は部屋のドアからではなく、ドアの向かいにある窓に足をかける。それから、窓から上に跳び、上の階の窓の縁に手を掛け壁を上る。銀行の屋根の上に登ると、周囲を警備員と警邏隊が取り囲んでいた。  領主様からこの銀行を調べて欲しいという依頼を受けてはいるけれども、領主様は僕のことを銀行員に話を通すことはしないと言っていた。どの銀行員がどの貴族や商人と癒着しているかわからないからだ。だから、警邏隊に追い回されるだろうというのはわかっていた。その上で、領主様の依頼を受けているのだ。  とはいえ、盗品を持って逃げ回るということをしなくていい分、今までよりもだいぶ身軽だ。領主様が持って来た案件は決して悪いものではない。  いつもよりも軽い体で、銀行から他の建物に移動するために跳ぶ。  その瞬間のことだった。嫌な気配がして首を横に倒すと、僕の髪を飛んできた矢が掠めていった。  建物の屋根に着地して、矢が飛んできた方を見る。すると、鎧を着た警備員や警邏隊の中にひとりだけ、月明かりに照らされて目立つ白い服を着た男がいた。その男は手にクロスボウを持っているので、あいつが撃ってきたのだろう。  白い服の男が、僕にクロスボウを向けて叫ぶ。 「ミス・ゲシュタルト、あなたが魔女だという告発を受けました。 この場で殺されたくなければ大人しくお縄にかかりなさい!」  魔女の告発。それを聞いて背筋に汗が浮かぶ。あの白い服の男は、魔女狩りをしているという修道士だ。  あんなのに捕まったらなにをどうされるかわかったものじゃない。僕は黙って背を向けて、建物の上を跳んで逃げていく。その間にも、あの修道士は次々に矢を射かけてきた。宙に浮いている間や、着地する瞬間。その時々に、身を捻ったり地面に付ける足の順序を変えたり、そうやってなんとか矢を避ける。  少しでも気を抜けば、あの修道士の矢は僕の身体を射貫きそうだった。 「くそっ、なんなんだあいつは! この街の修道士はバケモノか?」  思わずそう呟く。満月が浮かんでいるとはいえ、この暗い夜の中でここまで正確に矢を撃ってくる修道士は、下手な兵士よりも訓練されていると思った。  このまま高いところを移動していたらあいつに狙い撃ちにされる。そう判断して、降りるのに良さそうな暗がりを探す。そうしていると、また矢が飛んできて、僕が着ているドレスの広がっている袖と、膨らんでいるスカートを射貫いた。スカートに刺さった矢は、スカートの下に穿いている籠状のものに引っかかってその場に留まった。  いよいよ危ないとなったところで、丁度良い暗がりを見つけた。僕はその暗がりに飛び降り、すぐさまに仮面を外す。黒い靄に包まれて元の姿に戻ったあと、すぐさまに射かけられて手元に残った矢を片手に、ポケットをまさぐる。ポケットの中には、鉄のかぎ針と麻紐が入っているので取り出す。矢の先端にかぎ針を麻紐で括り付け、それを持ったまま地面に転がり全身を汚す。そうしていると、警邏隊達の足音が聞こえてきた。  周りを見回している警邏隊を先導しているのは、あの修道士だ。僕は何食わぬ顔で、かぎ針を付けた矢を持ったまま暗がりから出る。すると、思った通り修道士に声を掛けられた。 「こんな夜更けに、こんなところでなにをしているのですか?」  その問いに、僕は困った表情を作って答える。 「屑拾いですよ。 今日は全然金になりそうなものが見つからなくて、なんとか探そうとしてたらこんな時間になりましてね。 もう諦めて帰るところです」  すると、修道士は持っていたクロスボウを下げて、僕に一礼をする。 「それは夜遅くまでお疲れさまです。 お疲れでしょうし、今日はゆっくりお休みください」  思ったより素直だな? 僕の言い分をすんなり信じ込む修道士を見て少し驚いたけれども、下手に詮索されるよりは良い。  そのまま僕も一礼を返してそこを離れようとすると、修道士に呼び止められた。 「つかぬことをお伺いしますが」 「はい、なんでしょう?」 「このあたりで、変わったドレスを着た女性を見かけませんでしたか?」  ミス・ゲシュタルトのことだろう。僕はしらばっくれて修道士の質問にこう返す。 「いやぁ、こんなに暗いとどんな人がいても、すれ違ってもよくわかりませんよ」  すると修道士は、頷いて僕に言う。 「それもそうですね。 ああそれと」  まだなにかあるのだろうか。それとも、僕がミス・ゲシュタルトだと勘づいたのか? 緊張しながら修道士に言葉を待っていると、修道士は優しい声でこう言った。 「明日は修道院併設の教会で、貧しい方々への施しがありますので、よろしければ近所の方と一緒にいらして下さい」 「そうなんですね。ぜひ行かせてもらいます」  良かった、どうやらミス・ゲシュタルトの正体がばれたわけではなさそうだ。  警邏隊に周囲を探すよう指示を出す修道士を尻目に、僕は急ぎ足でその場を離れた。  この姿なら、人目を避ける必要はない。僕は悠々と街中を歩いて抜け、貧民街へと戻る。貧民街を歩いている時に、なにやら男の影が僕にぺこぺこと頭を下げていたけれども、もしかしたらあの男の影は先日孤児院を襲撃したやつかもしれない。  孤児院に着いて、裏口のドアを開ける。中からうっすらとランプの光が漏れた。 「ただいま」  そう言って中に入ると、椅子に座って待っていたアリスティドが安心したようにこう返す。 「おかえり。首尾はどうだった?」  僕は肩をすくめて頭を振る。  ふと、アリスティドが怪訝そうにこう訊ねてきた。 「あれ? 随分と服が汚れてるようだけど、なにがあったんだ?」  服が汚れていることと、手に持ったかぎ針付きの棒が気に掛かったようだ。アリスティドが僕の方をじっと見ている。  僕は矢にかぎ針を付けるために巻いていた麻紐をほどきながら椅子に座る。 「ミス・ゲシュタルトの話が、魔女狩りをしてる修道士の耳に入った」  それを聞いて、アリスティドは手で額を押さえる。僕は話を続ける。 「あの修道士はマジでやばい。その気になれば単独で人を殺すことも簡単に出来るようなやつだ」 「……詳しく聞かせてくれるか?」  何ともいいがたい感情のこもったアリスティドの言葉に僕は頷く。 「月明かりだけを頼りに、離れた場所にいる僕のことを的確に狙ってクロスボウで矢を撃ってきた。 あれは素人の手つきじゃない。下手な兵士よりも正確な腕前だ。 今後あいつに追い回されるとなると、命がいくつあっても足りないなほんとに……」  僕がテーブルの上に修道士が撃ってきた矢を置くと、アリスティドはしげしげとそれを眺める。 「どこかやられたのか?」  不安そうな声でそういうアリスティドに、僕は肩をすくめて答える。 「今回は運良く無傷だよ。 でも、袖とスカートが広がってなかったら、腕と脚をやられてたかもしれない」 「ほんとうにとんでもないやつだな。 そんなやつを相手にするとなると、領主様の依頼は割に合わないぞ……?」 「まったくだよ。あの修道士はその辺の兵士よりもずっと厄介だ」  まずいことになったと、僕とアリスティドとで考え込む。でも、僕達だけで考えてもあの修道士を押さえ込む手立ては見つからない。  アリスティドが溜息をついてこう言った。 「……領主様に相談しよう」  手立てはそれしかない。次いつ領主様が来るかはわからないけれども、それまでは下手な活動はしないほうがよさそうだ。
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