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翌日から、川縁に二人並んでひたすら絵を描き続ける日々が始まった。
こうしてじっくり観察していると分かるのだが、玲は別段絵が上手い訳でもなかった。構図の取り方やデッサン力には光るところもあるのだが、色塗りの技術については素人に毛が生えた程度でしかない。
故に、見兼ねた俺がお節介焼きを発動して、彼女に手取り足取り教えてしまうのも必然だった。
「物書きの人だからと侮っていましたが、なかなか上手いのですね」
「一応、中学のとき美術部だったしな」
「へえ~……。あれ? じゃあ、いつごろから小説を書き始めたんですか?」
「高校に入ってからだね。高校時代は文芸部」
「またどうして? こんなに上手いのに」
「小説を書くのだって上手いぞ。受賞できていないだけで」
「そうでしたね。すいません」
などと誤魔化しておいたが、言えるはずなどなかった。
中学の時、同じ部活の同級生に告白してフラれた為、気まずくなって美術部を辞めたんだ、なんて。
ましてや初恋のその子が、君とよく似ているなんてことは、言えるはずがなかった。
ともかくこうして、俺と玲が絵を描く日々は続いていく。
それこそ雨が降った一日を除いて、毎日決まった時間。決まった場所でただ黙々と二人で桜のある光景をキャンバスの上に表現し続けた。一週間が過ぎ、彼女が父親の実家に帰る前日を迎えた。
ほぼ完成に近い状態までこぎつけたお互いの絵を称え合いながら、『そうか。彼女と会うのも今日で最後なんだな』と、ほんのりとした切なさが胸を過ぎる。
「明日、帰ってしまうのか」
「そうですね」
「寂しくなるな」
「あら。ずっと独り身だった冴えない男性が、随分とおセンチになったものですね」
「そんなんじゃねぇけどさ。で、この絵、どうするんだ? 最後の仕上げは実家でやるのか?」
八割ほど完成した彼女の絵を見ながら、そう訊ねてみた。
「そうですねえ。まあ、そうなるのかな」
「コンテストに出してみる、というのはどうだ?」
「コンテストですか。そこまでは考えてなかったですね」
スマホに表示させたコンテストのページを彼女に見せると、面白そうですね、と思いの外良い反応を示した。うん、事前に調べておいた甲斐があった。
「へえ、作品を郵送する以外にも、写真で応募することもできるんですね」
「今はインターネットで応募できるからね。便利になったものだよ」
締め切りは六月の末だったので、まだ時間的に余裕もある。お互いじっくり仕上げて応募しようと誓い合った。
「それでさあ……」と、片づけを始めた玲に話し掛ける。
「はい。今度はなんですか?」呆れたように笑いながら、彼女が答える。
「君が良かったらなんだけど、連絡先を交換してくれないか」
「あはは、なんですかそれ? ナンパですか?」
「いやだってほら。コンテストに向けての進捗報告とか結果が出たら労いとか色々したいしさ」
ふーん……と言って横顔になった彼女は、秒針がふた周りするくらいたっぷり悩んだのち、「いいですよ」と答えた。ちょっと悩みすぎじゃないですかね。
こうして俺たちは、チャットアプリでお互いの連絡先を交換しあい、手を振り合って別れた。遠ざかっていく長身ながらも華奢な背中が、視界から完全に消えてしまうまで見送っていた。
不意に吹いた一陣の風が、見頃を過ぎて緑色が目立ち始めたソメイヨシノの枝を揺らした。
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