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一週間後。俺は栃木県さくら市に来ていた。
向かった先は、立花玲の自宅。そこは、白い塀で囲まれた、よく手入れされた芝生の庭を備えた小奇麗な一軒家だった。
玄関で挨拶を済ませると、彼女とよく似た雰囲気を持つ母親に案内されて玲の部屋に向かう。母親が「こちらです」と言って扉を開け、一歩入った瞬間に驚いた。
主が居なくなった事を示すかのように整理整頓された部屋の壁に飾られていたもの。それは、絵画。
水彩絵の具で描かれた絵は全部で四枚。
一枚目。俺もよく知っている、桜の木々と川堤の光景。
二枚目。浴衣を着て、花火を見上げている少女の後ろ姿。
三枚目。紅葉した木々に囲まれた校舎の姿。
四枚目。しんしんと雪が降っている街並みを、窓ガラス越しに描いた物。
「四枚目の絵が、玲が最後に描いたものなんです。亡くなる一週間前に病室で完成させた物で、玲が見ていた最後の景色でもあるんですよ」
そう言って堪えきれなくなったのか、母親は静かにすすり泣きを始めた。
膵臓癌。それが、玲が侵されていた病の名称。十二月頃に体調を崩して緊急入院すると、延命治療の甲斐も無く二月十四日に息を引き取ったのだそうだ。俺がメッセージを送った前日には、もう彼女はこの世界にいなかった。そりゃあ、返信なんてあるはずもない。
だが俺が一番気になったのは、むしろ夏の一幕を描いた絵の方だった。
紺碧の夜空に咲いた、大輪の花火を見上げているのは一人の少女。
細い体躯と長い髪。
着ている浴衣は白地にピンクで桜の花が刺繍されており、それはまるで、俺と共に過ごしたあの日の桜のようで。
一人佇む少女の背中は、どこか儚げであり、また、寂しげでもあり──。
なぜだろう、俺は思った。
きっとこの日、彼女は泣いていたのだろうと。
きっとこの日、彼女は失恋をしたのだろうと。
そして、失恋をした相手は、残念ながら俺じゃないのだろうなと。
それでも、と俺は思う。短い期間でこそあったが、俺と過ごしたあの日の記憶が、彼女にとって心の支えになっていたらいいなと。
それだけを願った。
『いえ、本来ならこの春から大学生の予定でしたが、残念ながら志望校落ちちゃいまして』
あの日聞いた玲の言葉。だが、これは嘘だった。なぜならば彼女、高校三年生なのだから。何故こんな嘘をついたのかわからないが、高校生が平日うろうろしていたら、何か事情がありそうだと勘繰られるのは自明の理。『闘病中である』という事実を隠すため、咄嗟についた嘘だったのかもしれない。
『いいんですよ。根を詰めて頑張ったところで成果はでません。時には息抜きも必要でしょう』
同様にこれも嘘だった。母親いわく、玲が余命宣告を受けたのは今年の初夏。四月の段階ですでに、彼女が自分の死期を悟っていたであろうことは想像に難くない。時には、どころか、勉強を頑張る理由が彼女にはなかった。
だからこそ、俺に連絡先の交換を要求された時も、彼女は逡巡する仕草を見せたのだろう。
一方で『四季の光景を、形にして残したいんですよ』という発言は本当だった。全ては。
──自分が居なくなる人間だと知っていたから。
俺は彼女のことを、美人で、自由奔放で、恵まれた環境で生活している女の子だと思っていた。だがそれは、全て俺の勘違いだった。
彼女は誰よりも弱くて嘘吐きで、そして、誰よりも不自由だった。
『あはは、なんですかそれ? ナンパですか?』
この発言にも他意はなかったのだろうか。だが、そんなことは最早どうでもいいこと。玲はもう、この世にいないのだから。
「玲がね、よく言っていたんですよ。最近絵を描きたいって気持ちが強くなった。それは、新しく出来た友達の御陰なんだって。それがきっと、高坂さんのことだったんですね」
母親のその一言だけで、充分だと俺は思った。
よし、とヤル気が漲ってくる。創作意欲が湧きあがってくる。
書こう、彼女の物語を。立花玲という少女の生き様を。
*
これがのちに俺のデビュー作となる、『余命一年の彼女』である。
~FIN~
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