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兄と弟のような関係とか特別に仲の良い友人とかそういうものから、いつどこにその他の感情が混ざりこむようになったのかは、難しくて説明できない。
ただ、想太が僕に対していつの間にか友情以上の親密な気持ちを抱くようになっているらしいというのは知っていた。
彼のそうした想いを僕のほうからどうするでもなく黙って受け取り続けているうちに、自分の中にも似たようなものが生まれていることは否定できない。
そうじゃなかったら、キスシーンに罪悪感を抱くわけがないのだ。
放課後、屋上のドアを開けると、そこに想太はいた。駆け寄り、フェンスにもたれてぼんやりとグラウンドを見ている背中にタックルする。
「わっ、白井っち?」
「梶が探してた。今から仕事だって?」
「あー……レッスン」
「じゃあ早よ行け」
想太はうんと頷いてから、迷うように僕を見た。
「誰とすんの?」
「え?」
「キスシーン」
「……日奈」
妙に後ろめたい気分になり、つい小声で囁くように答えてしまう。
僕よりもほんの少し背の低い想太は、納得したように僕を見上げて口角を上げた。
「なんか腑に落ちたかも。小島さんとなら、許せる人多そう」
「なに、許せる人って」
「白井っちを子どもの頃から見守ってきたファンの皆さん」
「あーね」
僕だって知っている。みんなが子役の頃のままの白井直紀のイメージからから抜け出せなくて、なんとなくまだ子ども扱いされていること。純粋な子どもでいてほしいから、性的なシーンを演じる機会が敬遠されてきたこと。
そのイメージを払拭するために今回、とりあえず世間からの反発が薄そうな小島日奈を相手に、二人を恋人役にしてスクリーンに映したいという意図もあること。
想太の言いたいことを理解しつつも、僕は苛ついていた。
大人たちの思惑通りに、名コンビのように扱われている女性と、演技とはいえファーストキスをせねばならんことについて。
それから、隣にいるこの男は、とっくにそれを済ませていることについて。
「僕が日奈とそういうことすんの、お芝居でも嫌?」
「嫌だねえ」
想太は隠すことなく堂々とそう言った。それがまた余計に腹が立つ。
僕はふん、と小さく鼻を鳴らした。
「ずるい奴。お前だっておんなじようなことしてんのにな」
僕はシリアスだったり真面目な雰囲気の作品への参加が多いけれど、想太は王子様というイメージからなのか、少女漫画のような恋愛ドラマや映画に出ることが多い。その中で、共演者である同世代の女優や女性アイドルと恋人の役を演じてきたのも知っている。
僕の理不尽な苛立ちを、想太は困ったように笑って受け止めた。
「しょうがないじゃん」
「ああ、しょうがないよな。……なあ想太」
「何?」
「キスしていい?」
目の前の綺麗な瞳がきゅっと見開かれる。濁りのない焦げ茶の目。
「な、なんで? 練習?」
「や、練習とかじゃないけど……」
なんでだろう。なんというか、この身体が初めて経験するキスという行為が、白井直紀という僕自身のものではなくて、架空の物語の中の僕と同じで違う誰かのものになる予定なのが、嫌だった。
つまり多分、限りなくシンプルにするとこういうこと。
「想太としたいから」
「……白井っち、俺のこと好き?」
「まあ、かなり」
想太の目尻が細まって、くしゃりと笑みが作られる。
僕の好きな、心底嬉しいときの彼の笑い方だった。
「じゃあ、いいよ」
こういうときにどういう気分になるのか今まで想像がつかなかった。けれど、意外と胸の内は静かだった。
西日に照らされて赤く染まった想太の頭に手を伸ばして顔を近づけたら、想太がくすぐったそうに目を伏せる。
まつ毛長ぇ、と冷静にどうでもいいことを思った。
ふいに、僕たちの間にスマホの耳障りな着信音が鳴り響く。
「あ、梶かもしれなっ……」
何か言いかけた想太を無視して、僕はそのまま唇に唇を押し付けた。
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