1人が本棚に入れています
本棚に追加
幽(かそけ)き旅行後記(3)
20
スイス ―
オーストリアの片田舎から列車でスイスのルツェルンの駅に着く。先ずは、3、4年前に働いたレストランのスイス人の経営者にお礼を言おうと市バスで郊外に向かう。
ドイツ語圏にあるルツェルンの街 そして カペル橋
レストランは当時の姿そのままだ。玄関の呼び鈴を鳴らすと以前と変わらない店主が現れる。彼はすぐに私だと分かって丁寧にレストランに招き入れてくれて、テーブルを前に二人は座る。
「あれからどうしたんだい?」と店の主人が尋ねる。
「日本に帰っていました」
このルツェルンは大都会ではないので日本のことは殆ど知らないと言ってよい。
「日本に帰る前、アフリカまで遠乗りしてサハラ砂漠を縦断しましたよ」
「ほお、そんな遠いところまで行ったのかい」
「ええ。面白いことにスイス人の若者3人と一緒になりました」
「へえ、それは奇遇だね」
そこへ、ちょうど奥さんが通り掛かった。私を見て思い出したのか、笑みを湛えて挨拶をしてくれる。店の主人は「今夜、ここに泊まっていけば?」と親切に提案してくれるが、私は旅を続けるので辞退し、丁重にお礼を言って別れを告げた。思い出の残るルツェルンを後にして、ヒッチハイクでバーゼルに到着。
バーゼルの街を流れるライン川
このバーゼルはドイツ・フランス・スイスの三国が国境を接しており、4年前、2、3日過ごしたところだ。今回も又、ユースホステルを利用する。次の訪問国はフランスなのでホステルの旅行者に当国のヒッチハイクの状況を尋ねると、皆、否定的な意見で、討論の結末は「やってみて事情が分かる」というものだった。
21
フランス ―
スイスのバーゼルからヒッチハイクでフランスに向かう。拾ってくれた車はフランスのアルザス地方にあるコルマールまで行くとのこと。
午前中にコルマールに到着し、午後はこの街の散策に費やすが、小さな街なので、端から端まで歩いてもそんなに時間を要さない。街の中心部に運河が走っており、近年、この運河を船で遊覧できるそうだ。
コルマール
コルマールではユースホステルに一泊。早朝、コルマールの郊外に出て、ヒッチハイクを試みる。親指を立てて車を待つこと、2時間。その間、目の前を通過するのは農家用の車を思わせるシトロエン2CV。又、シトロエンDSが時々通過する。この車はエンジンを掛けると車高が上がるという代物だ。富裕層が多く所有しているが、車には家族と思われる人たちが乗っている。小さな子供たちは路傍に長髪と髭面の「かかし」が立っていると見まがい、遠のく私を窓ガラスに顔を押し付けながらじっと見詰める。
時折りこの土地のトラクターが目の前を通り過ぎ、3時間、4時間と経つ。5時間目に至って、バーゼルのユースホステルで話した「フランスはヒッチハイクが難しい」という言葉が現実味を帯びて来る。6時間目にして、足と言うよりも親指のしびれを感じ始め街の中心部に引き返してパリへ直行する列車の切符を買い求めた。
22
フランス(続) ―
アルザス地方のコルマールからパリに向かって列車は盆地を走り抜け、その後、平野に田園風景がずっと続く。数時間後、パリの東駅に予定時刻通り18時03分に着き、その正確さに驚く。日本を発ったのが4月の中旬、そして、パリ到着が今日、9月16日なので、5カ月を要しての旅だった。
東駅構内
東駅到着と同時に急いでユースホステルへ。もう18時を過ぎているので早くホステルに行かなければならない。そうでないとベッドが確保できなくなる。東駅からさほど遠くないホステルを選んで向かったが、迷うこともなく無事到着。
ユースホステルにはいろいろな国の若い旅行者が宿泊する。日本人は私しかいなかったが、東洋人の一人旅というのはまだ珍しい時代であった。西洋人の宿泊者がほとんどだが、彼らが私と話し始めて最初に尋ねて来るのは Where do you come from ? なのだ。
ベッドに座って明日見に行くパリの凱旋門を地図で確認し、安心して床に就く。隣のベッドではいびきをかく泊り客がいるが、私は気にもならず深い眠りに落ちた。
23
フランス(続) ―
翌朝、ユースホステルから地下鉄でエトワール凱旋門に向かった。シャルル・ド・ゴール=エトワール駅で降りて地上に上がると凱旋門が眼前に現れ出る。南回りの旅の目的地がパリで、この凱旋門を見て最終と決心していたので、無事旅を終えたことを喜んだ。4年前に私はこの凱旋門の屋上のテラスまで登ったが、今回はラ・マルセイエーズの彫刻を広場越しに見るに留めた。
エトワール凱旋門
ラ・マルセイエーズの彫刻
私はシャンゼリゼ大通りを下ってコンコルド広場に向かって歩いて行く。途中、老舗カフェ「フーケ」があるので、ちょっと大枚をはたいて、と言っても、カフェ・オ・レぐらいしかオーダーできないが、旅の成功を祝うのも意義があるだろうと思って足を向けた。秋の日差しもよく、又、午前中の早い時間なのでテラスの席は空いている。腰を掛けて一息つき通りを歩く人を見ているとツーリストが多いような気もするが、ファッションを観察するのには好適な場所だ。
インド風の民族衣装を纏う一組のカップルがこちらに近づいてくる。男性は白髪の紳士で連れ添いはペルシャ系の可愛い顔をしている女性だが、年齢差は40あると思える。私は漠然と彼らを見ていたが、突然、椅子から飛び上がった。インドのタージマハルの男優と女優にそっくりなのだ!
「ムッシュー、どうかされましたか?」とウェイターが私に気遣う。
「いや、どうも」と意味のない言葉でつぶやく。
大通りを今一度振り返って見るとカップルの姿はもうどこにもない。幻覚なのか、私は夢を見ていたのか。
やっと落ち着きを取り戻して辺りを見渡すと、ジョルジュV大通りの向こうに1976年当時、あるはずのないルイヴィトンの建物がある。先ほどまで座っていたテラスの椅子もテーブルも消え失せていて、私はシャンゼリゼの歩道で茫然自失の態で立ち尽くしていた。
* 和訳・歌詞付きの曲「オー・シャンゼリゼ」。歌はダニエル・ビダル。彼女は70年代前半に日本で活躍した歌手。1976年から1977年に掛けて2、3回、パリで会っているので、懐かしさの余りご紹介する。リンク先はYouTube。動画で「CAFE Fouquet’s」が1、2秒確認できる。以下のリンクをコピーし、URLに貼り付けてご覧あるべし。
https://www.youtube.com/watch?v=rK_v4iNQFV8
2021年4月現在コロナ禍により閑散としたシャンゼリゼ大通りに活気が戻ってくるのは数年かかるとしても、間違いなくやってくる。
24
フランス(音楽) ー
最終話(23回目)を迎えて、ちょうどその時、旅に関する自作の音楽が見つかったのでご紹介する。話の締め括りにも好適だと思う。まだ作曲を始めて間もない頃なので単純さは否めないが、古き良き時代の曲調だと思ってお聴き願いたい(1993年作、フランス語)。
旅をして思うに世界は広い。私が出会った人々はみな善良で素朴、庶民感に溢れているという思いを抱いた。
曲名は「未来の世紀」で、どうしてこのタイトルにしたのか、記憶が定かでないが、旅の道すがら光明を探し求めていたのは確かだ。リンク先はYouTube。以下のリンクをコピーし、URLに貼り付けてご覧あるべし。
https://youtu.be/lkV0qnk5vvM
歌詞・和訳
1.
ずいぶん昔に僕は旅をしたんだ
ポケットに航空券、チケット、小銭を忍ばせて
そして 何年もの間、或る村に逗留した
そこでは村人が双手を広げて歓迎してくれたよ
僕は彼らの人懐っこい温かみにとても感動したんだ
* 友情の絆を築こう
来るべき世紀 未来の世紀のために
世界中
地球上の至る所に
小さな灯を
ともそうよ
来るべき世紀 (未来の世紀のために)
2.
ずいぶん昔に僕は旅をしたんだ
リュックサックを背負って私は世界中を回る
私は通りがかりに或る国を訪れた
そこでは人々が双手を広げて歓迎してくれたよ
僕は彼らの人懐っこい温かみにとても感動したんだ
* 繰り返し
完結
最初のコメントを投稿しよう!