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東京ウェーブ
一昨日。
お任せします、といつものように返したら、
ビジネスパートナーの先輩に怒られた。
自分から動きたいと思わない人とは
やりたくない、と厳しい口調で言われた。
皆の前で泣きそうになった。
昨日。
好きな人の婚約者の浮気現場を見たと
好きな人を呼び出して言うと、
秘密にしてくれてれば良かったのに、
と非難のまなざしで言われてしまった。
自分の思うことを言わなくても言っても、
自分は否定されてしまうのなら、
もう何も言いたくない、と思った。
今日は今日で。
友達に約束をドタキャンされた。
ブラブラと街を歩いた。
お店に入り、買い物しようと見て回るけど、
欲しいものは見つからない。
また街に出て、カットモデルになりませんか?
と声をかけられた。いつもなら断るけど、
美容師さんが好みのタイプだったから
ついて行った。
表参道の小さなヘアサロンの席に座り目を閉じて、お任せします、と言った。いつもなら何かリクエストしたりするけれど、何だかもう、総てを断ち切ってしまいたいような気になったから。
…なのに。
いざ、長い髪を切ろうと鋏を入れられた時、
思わず溜まっていたものが胸を突いて喉を過ぎて行って、涙が溢れた。
私は、誰にも必要とされてないんだなぁ。
この髪のように切り捨てられてしまうんだ。
涙がもう片方からも落ちたのがわかった。
拭おうとしたら、
無理に切ることはないです、と耳元で囁かれた。
目を開くと、心配そうな彼がいた。
そして、あ、じゃあ!と微笑んで、
パーマはいかがでしょうか?と問われた。
気分が変わるかもしれません、と。
はい、気分、変えたいです、
そう言った。はっきりと。
彼はパーマをかけてくれて、波形が緩くかかったウェーブヘアにしてくれた。少し手が震えているような気がした。見ていては緊張するかな、と目を閉じてあげた。
…終わりました。
彼の声がして、目を開けた。
私は変わっていた。
僕が初めてパーマをかけたお客さんはあなたです。
ありがとうございます、と彼は微笑み、
深々と頭を下げた。丁寧なひとなんだな。
嬉しくなった。
見送られて、店を出た。
落ち込んでいた気分は消えていた。
ーーー数年後。
青年はカリスマ美容師になっており、
ウェーブヘアの神様、と呼ばれていた。
私は結婚式の前撮りをする為、
彼の美容室を訪れた。
彼はおめでとうございます!と嬉しそうに微笑んでくれて、またあの夜と同じように美しいウェーブを作ってくれた。
*
総ての写真を取り終えて、
待ちかねたように愛する彼が私のベールを外した。
そして両の肩に垂れた柔らかな波形に触れ、
甘やかなキスをくれた。
仕事は前のめりにやるように心した。
先輩は今では私を同志と言ってくれる。
好きだった人も奥さんと何も無かったように
幸せに暮らしてる。
そして彼へのプロポーズは私からした。
あの日、
東京の街もひとも皆、冷たく思えたけれど、
そんなことはなかった。
日によって色を変える、
たくさんのひとの思いは全部間違っていないし、
また考えるきっかけを作ってくれる。
あの時のありがとう、にとても救われたから、
私はもう、言いたいことを我慢はしない。
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