壱 転生の仙士(一)

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壱 転生の仙士(一)

 時々、考えることがある。  生まれ変わったとき忘れたことと、忘れられなかったこと、その違いは何なのだろう、と。  たとえば、前世の親の顔と名前。  この二つは真っ先に忘れてしまった。それはきっと、今の自分の両親への罪悪感によるものだ。  二歳か、三歳くらいで朧気ながら前世の記憶が戻って来て、五歳くらいには前世を元にした人格ができあがっていた。  言うまでもなく異常な子どもだったと思うのに、今の両親は自分を厭うことなく愛情を注いでくれたのだ。  もしかしたら、自分という人格は、本来この体に宿るべきだった子どもの人格を、食い潰してしまったのではないだろうか。  こんな優しい人たちの子どもを、奪ってしまったのではないのだろうか。  その疑いを、自分はどうしても心から拭い去ることができなくて、だから、前の両親の顔と自分の名前を忘れてしまった。  前の両親と今の両親を比べることがないよう、前の名前を懐かしんでしまわないよう、丹念に自分で自分の記憶を薄れさせた。    でも結局、今の両親の恩に報いることもできなかった。  二人とも、自分が五つになったころに死んでしまったからだ。それも、前の世界にはいなかった、妖魔という化物に殺されて。  生まれ変わった世界は、前とは随分形が違っていた。  自分の記憶の中の世界ほど豊かではなく、電気の類もない。  でも、中世ヨーロッパ風の異世界ではない。  人々はほぼ黒髪で、衣や建物、食物などは前世においての中華に近いのだ。文字や言葉も、なんとなく馴染みがあるし、そもそも名前が漢字だ。親しみがなくもない。  決定的に違うのは、人々の生活を脅かす妖魔という化け物がいて、死んだ人間も怨霊や悪霊になって人に害を成すことがあること。  生き倒れた旅人の屍が動き出して、村人が襲われ食い殺された話がごく当たり前のように酒場の噂として話されているのを聞いたときは、思わず耳を疑ったものだ。  前の世界では作り話だった妖怪や幽霊は、この世界では現実の脅威としてあった。  けれど、人々がこの妖魔や悪霊に無力なのかと言われれば、そうでもない。  この世界には、仙人と呼ばれる人間たちがいて、彼らがこうした並みの人間の手に余る化け物を倒してくれるのだ。  深山のような秘境に住んで修行をし、雲に乗ったり水の上を走ったり、不老不死に近い体になったり、そう言うことができるのが仙人である。前世でのイメージと、そこはあまり変わらない。  彼らは自らのことを仙士と称するけれど、仙人と呼んでも意味は同じだ。  仙人たちは、修行をしているだけではない。妖魔や悪霊を倒し、人々を守る使命を帯びてもいた。  妖魔の蔓延る世界で、人間たちが生きていられるのも、村や街にはこうした仙士たちがつくった札で結界が張られていて、化物たちの侵入を防いでいるからだ。  それでも、どうしてもその結界の外に出なければならないときや、何らかの原因で結界が破られてしまったとき、犠牲になる人々もいる。  父親はまさに、その犠牲者になった。  病に倒れた母親を救おうと隣村の医師を呼びに行った父は、運悪く動く死体と出会って殺され、それを聞いた母親は蠟燭を吹き消すように儚くなった。  一人残った自分が呆然としている間に、父母の遺産らしきものは親戚によって切り分けられ、残された子どもは立派な仙士になれるようにと、近隣の山へ送り込まれたのだった。    自分には生まれつき、仙人になれる素質があったらしい。  素質とは仙骨と言われる器官で、腰の骨のいわゆる仙骨とはまた違った、霊力の源となるものだ。  これがあるかないかで、仙人になれるかなれないかが決まり、自分にはそれがあって両親にはなかった。  でも、自分に妖魔や動く死体を倒せる力があるのだと知ったときには、両親はいなくなっていたのだ。  笑い話にもならない。  たった一人になっても、別の世界であっても生きていかなくてはならなくて、自分は放り込まれた仙士たちの修行場、楓山(ふうざん)月清峰(げっせいほう)にて修行を積んだ。  師匠は厳しくおっかないが、兄弟子たちはほどほどに優しく厳しい。  才気溢るるとまでは行かなくとも、並み程度には術の才能があった自分は、他の皆と同じように山を出て、各地を巡っては魔を倒す修行の旅にも出られるようになった。    三人一組で行う修行の旅の仲間は、同じ時期に山に入った二人。  名を、(シュエン)白哈(バイハ)と、(リャン)紅司(ホンスー)。  そして自分は、(リウ)紫明(ズーミン)。  性格はばらばらなものの、結構噛み合っていると思う。  気弱なことを言ってしまいがちな自分を、堅物な紅司がややキレ気味にどついて、それを白哈がまあまあと諫めてくれて、なんとなく歯車がうまく回せる。そんな感じだ。  前世の記憶を合わせたら、自分は二人よりとっくに年上になっているはずなのだが、体に精神が引っ張られているらしく、自分たち三人のまとめ役は白哈なのだった。  うん、自分が情けないことはわかっている。でも白哈は、本当に頼りになるのだ。十六歳か疑ってしまうくらいに。    白哈も紅司も、自分と同じように親がいない。  異なる経緯で親を失い、幼くして月清峰の仙士に拾われ、魔を倒して人々を守る務めを果たそうと考える真面目な仙士だ。  紅司は、両親を妖魔に殺されたために妹と二人で入山し、彼女をずっと大切にしている。  白哈は、この世界で疎まれる翡翠色の瞳を持っているために心無いことを言われても、ひとっつも拗ねたところがない。  あと、二人とも顔が良い。  紅司は常に真面目な顔をした怜悧な細面で、白哈は黙っていれば冷たく見えるが微笑むとふわりと優しくなる。  長い黒髪を青い髪紐できっちりと束ねて颯爽と歩いていれば、二人とも街で女の子が目で追うくらいだ。  性格も良いし顔も良い。それに腕が立つとなれば、きっと前世ではモテただろうな、などと思ってしまうのだ。そんな浮ついたことを考えるのはお前だけだ、と紅司にはどつかれたけど。  前世で言うならば、自分も他の二人もまだ学生であってもおかしくなかった。  それが剣を取って印を結んで霊力を操り、屍や妖魔と戦うのだ。  動き出した屍を術で封印し、人の頭を持つ巨大な蜘蛛の胴を剣で両断して殺す。まかり間違えば、自分が犠牲になる危険な仕事だ。    でも自分だって、父親のように殺される人間を減らしたいと思う。自分のように、小さい頃に親を亡くす子どもがいなくなればいいのにと願う。  だから自分も、守るため戦うことに迷いはない。時々前世の自分が顔を出して、妖魔や悪霊に怯んでしまうこともあるけど。   「紫明(ズーミン)!お前また剣を振るのに躊躇ったな!踏み込みが浅かったぞ!」 「ご、ごめんって!つい、そのぉ……」    だからこうして、よく紅司に怒られる。しかも、大体八割で紅司が正しい。  夜の森で、人の頭ぐらいの大きさの真っ赤な蜘蛛の妖魔の死骸を確かめていた白哈が、こっちを向いた。 「紅司(ホンスー)。そんなに目くじらを立てることはないだろう。紫明の結界術があったから、逃がさずに済んだんじゃないか」 「それはそうだが、とどめを刺さなければ危ないのはこいつだぞ。白哈(バイハ)、あまり甘やかすな」    紅司の鋭い黒眼を向けられ、自分は亀のように首を縮める。白哈は否定せず、あはは、と気の抜ける感じで笑った。  そのまま両刃の宝剣を一振りして鞘に収め、白哈は赤蜘蛛の死体から離れてこっちへ走って来た。  動きに合わせ軽やかに揺れる、少しひらひらした白と青の衣が、自分たち月清峰仙士の制服だ。  服の形は、前世にあった『仙人の衣装』のイメージをそのまま引っ張ってきたような代物で、かつ武器が振るいやすいよう個人で多少は改造してよいことになっている。  が、全体として、うちは清潔感第一で簡素にまとまっているのが特徴だ。汚れが目立つから白より黒のほうがいいのだが、さすがに全部色変えはできなかったりする。  一番偉い師匠の服も、それほど形は違わない。強いて言うなら、頭に冠と簪が乗っかっているくらい。  五つの峰からなる我らが楓山一派は、奢侈贅沢に装うこともなく、基本的に無欲なのだ。  ほとんど全員、妖魔を倒すことや人々を守ること、自分の術を極めることにしか興味がない。  仙士仙人と言ったって、深山にこもって俗世間から離れたような人たちばかりではなく、悪人もいれば俗物だっている。  妖魔や悪霊を退治する報酬をふっかけたり、人を殺す術を使ったり、そういうやつらだ。  そもそもこの世界というかこの大陸自体、諸子百家かと言いたくなるほど大小様々な仙士一門がいて、それぞれ縄張りを持っているのだ。  妖魔や悪霊がいるせいか、仙士という人間を超えた修行者たちがいるからか、人間同士の大きな戦は、少なくともここ数百年はない。  三大天魔などという、仙士ですら到底太刀打ちできないとされる魔王までおり、小さな都市同士が結びついた緩い国が、いくつも林立している世界なのだ。  前世の記憶を元に考えれば、戦のない戦国時代が一番近いだろうか。もしくは、群雄のいない群雄割拠状態。  そんな時代の中、月清峰が所属する楓山五峰の仙士たちは、自分たちの領域内の街や村を積極的に支配などせず、基本的に自治権を委ねている。揉め事の調停や仲裁に、妖魔悪霊の討伐、哨戒くらいしか引き受けないのだ。  三十年前、三大天魔の一角を生命と引き換えに封印した大仙士を輩出している名門だから、威張り散らそうと思えばいくらでもできるだろうに、五人の峰主たちは誰もそうしない。  楓山全体として動くときも、峰主による合議制で物事を決定していて、とにかく権力というのが偏らないようになっていた。  が、他所の仙士一門の中には、まるで前世の歴史にいた皇帝や貴族のように振る舞うやつらもいる。どちらが良いのか悪いのかは一概には言えないのが、難しいところだった。  ただ一つ確かなのは、厳しい修行を経て普通の人を超えた仙人になったからといって、何もかも清らな人間にはなりえないということ。  むしろ、力を得た分増長しやすくなるんじゃないかと、前世分だけ年を食った自分などは思ってしまう。  実際何かの折に他所の仙士一門と出会うと、空気の違いに唖然とすることもある。  剣術勝負で負けた腹いせに、白哈の翡翠色の瞳を不吉だ魔物の証だと蔑んだ相手を、紅司がこてんぱんに叩きのめしかけたのを慌てて二人がかりで止めたこともある。  要するに、身体能力が人間離れし、不老に近い体となったところで精神がそれに見合ったものになってるわけでもないのだ。怒りも嘆きも、喜びも愛も、その激しさに変わりない。    力に溺れる仙士がいる世界の中、楓山五峰主一番の堅物と言われ、誰より自分に厳しい師匠は、とてもまともなのだと思う。  多少の差はあっても、その師匠の教えを受け継いでいる、月清峰の仙士たちも同じく。  だから今日も、自分は二人と旅をしている。……真っ赤な体にギョロ目の巨大蜘蛛は、非常にキモかったけど。なんか変な汁出したし臭いし。しかも人の脳みそ啜ろうとするし。  おぇ、と吐き気を堪えていると、赤蜘蛛の死骸を火術でカリッカリに焼いていた白哈が口を開いた。 「この森の赤蜘蛛はこれで全部だろうな。次はどっちだった?」 「北だ。最近そこの湖で、船が不自然に転覆している」 「今の時期だと……出やすいのは蛙の水妖かな。それとも水死霊?」  水の中で死んだ生き物は、魂を水に絡め取られて天に上がれないと言われている。実際、水辺には人を引きずり込もうとする悪霊が絶えないのだから、その通りなんだろう。  頭の中で、師匠から教わった相剋の順を思い出す。この世界には、妖魔にも術にも何にでも、木、火、土、金、水の五行の相性があるのだ。 「蛙の妖魔も水死霊も水だから、弱点は土だよね。私の土符(どふ)、結構心許ないんだけどな」 「目的地までは二日かかる。その間に書いて補えばいいだろう。俺も火符(かふ)が少ない」 「あ〜、火符もだけど俺は水符(みずふ)もやばい。宿に着いたら皆で書くか」    白哈の言い方は、まるでできていない宿題を解こうと誘っているような軽いものだ。  学校の試験とか、好きな漫画の話とか、そういうことを話していたときとほぼ変わらない調子で、自分は仲間と妖魔や死霊を話し、倒しに向かう。  自分が、前世とは違う人間になったんだと実感するのはこういうときで、でも、自分の中の変わっていない部分を想起させられるのもこの二人と喋っているときなのだ。  置いて来た前の人生において、自分には特に親しい二人の友人がいた。  自分は、彼らをとても大切にしていた確信がある。  名前も顔も、女か男かも思い出せないが、確かに彼らがいた確信と、かけがえのない友人を得られていた幸福の感覚は、残っているのだ。  白哈と紅司をその二人の代わりにはしたくない。しかしやっぱり、どうしても重なって見えてしまうのも致し方なかった。  にしても、生まれ変わっても忘れられないなんて、自分はよほど前世の友人のことがよほど心に残っているのだろう。  月明かりに照らされる獣道を歩きながらふと前を向けば、二人は先を歩いていた。   「紫明、ほら速く歩かないと置いてくぞ」 「わー!待って待って置いてかないで!こんな森に私を置いてくなん鬼か!」 「そういう無駄口を叩いている間に、足を動かせと言うんだ!」 「いっったぁ!はたかなくてもいいじゃないかぁ!」  かつてとは違う、それでもどこか重なり合う友人たちの下へ、駆けて行く。  ─────これが雷と泥の魔王が復活し、混乱の時が始まる、ほんの少し前の出来事だった。
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