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転生の仙士(ニ)
この世界には、仙士ですら敵わないとされる魔王が三人いる。
それが天下三大の天魔である。【炎林禍君】、【水嵐凶君】、【雷泥災君】の名を持つ彼らは、天地開闢のころから存在すると言われている。
遥か昔から存在しすぎて、誰も彼らの始まりを知らないのだ。
三大天魔は皆、名の通りの力を振るう。つまり、一の天魔は炎と木を、二の天魔は水と風を、三の天魔は雷と泥の化身だそうだ。
正直、統一感があるのかないのかわからない。水と風はともかく、雷と泥に炎と木ってなんなんだよと。
しかも、彼ら三大天魔がそれぞれ赤と青と緑の瞳をしていたと伝えられていて、同じ色の瞳の人間はつらい目に遭うこともある。
白哈や紅司の妹がまさにそれで、瞳が翡翠色や茜色をしているために、陰口を叩かれるのだ。二人ともそれでめげはしないが、どれだけ人のために尽くしても、なかなか印象を覆さない石頭もいる。
三人の魔王の恐怖は、今も人の心に影を落としているわけだ。
彼らは、ひとりで一国を滅ぼすと言われている。
天から炎を、水を、雷を降らせて城を燃やし、大地に木を蔓延らせて破壊し、嵐で一掃し、泥で押し流すという天災の具現なのだ。
遥か昔に栄えていた大国が、幾つも気まぐれに出現した彼らによって滅ぼされているという。
この大陸を統一するような大国が生まれていないのも、そのせいではないかと思うほどだ。
ていうか、改めて考えればめちゃくちゃ物騒なのだ、この世界。仙士とそうじゃない人間の間では、明確に身体能力とか寿命に差があるし。
さらに言えば、自分たち楓山月清峰の一門が権力に全然興味が無い、変な清らかぞろいの割に仙士の中で重く見られているのは、三十年ほど前に当時の月清峰の峰主が、天魔のひとりを封印したからだ。
自らの生命と引き換えに天魔を封じた話は、美談として語り継がれ、どこへ行っても、大体はあの楓山月清峰の仙士だと好意的に受け入れてもらえるのだ。……時々、翡翠色の瞳の白哈を見て顔を引きつらせるやつもいるけれど。
他の天魔の二体が、広大無辺な空の下どうしているか知る者はいない。仲間である雷と泥の天魔が封印されたときすら、彼らが姿を現した記録はない。
彼らは前触れなく現れて、必ず破壊をまき散らしては去って行くのだ。まさに歩く天災だと思う。
いや、前の世界では地震や台風はある程度予測できていたはずだから、こっちのほうが数段酷い。
人間が天魔を退けることができたのは、ただ一度きり。三十年前の、雷泥災君の一件だけだ。
ちなみに、今の月清峰峰主はその三十年前の大仙士、胡銀君の実の弟である。
だからか、自分の兄を殺したと言える雷泥災君への毛嫌いが凄い。もう、ものっ凄い。
雷泥災君と同じ翡翠色の瞳をしている白哈の顔を、一度もまともに見ないほどだ。
話しかけるときでさえも視線が合わないのだから、どれだけっていう気もする。
白哈本人は、「あの完璧な師匠にも人間らしいところがあって、むしろほっとする。ちょっと猫みたいだし」とのことで気にしてないのがまたあれだ。……あいつ、ちょっと人間ができすぎだと思う。十六歳が至っていい精神の領域?
しかし確かに、視線こそ合わせないが白哈をきちんと評価しているのだから、自分と紅司も胡師匠を嫌ってはいないのだ。言われてみれば、猫っぽく見えないこともないし。
「ずーぅーみぃーん、火符余ってないか?さっき水草を燃やしたときに、残りがなくなったんだ」
「あるよ。だけど私は土符がないや」
「符を使って展開しすぎなんだ。もっと狙いを細かくしろ」
夜の森での蜘蛛退治を経てからの、水辺での蛙妖魔の退治を、自分たちはそこそこ恙無く終えられた。
途中で蛙妖魔が水草を触手のように伸ばして来たものだから、火で大暴れしてしまったり、剣が蛙の粘液でぬめぬめとした首を斬れなくて大騒ぎになったりとあったが、とにかく倒すことはできたのだ。
結果、それぞれ術に使うための符の数を減らすこととなった。
紙や布にぐにゃぐにゃとした文字を書き、霊力を込めて作る符は、仙術の発動の触媒だ。
修練を積めばなくとも問題なく術を使えるが、自分たち程度ではまだ符がないと仙術の発動が遅れたり、威力がばらけたりする。術の発動が、精神状態と直結しているからだ。
一瞬の気の緩みや術の遅れが命取りになる仙士の戦いにおけるこの致命的な弱点を補うために、大概の仙士は符にあらかじめ術を込めて、霊力を流しさえすればいい状態の符を作るのだ。
ただし、符一枚につき使えるのは一回だけ。だから、使ったあとは補充が必要となる。
ちなみに、符の中で一番減りが速いのは火の術を込めた火符だ。何せ、妖魔の死体を焼くときに一番使うから。
この前の赤蜘蛛も、火でカリカリになるまで焼いたし。
ともあれ、いつものような尖がった口調の紅司にこちらも尖がらせた口を向けた。
「紅司の符の減りが遅いのは、すぐ剣で斬りかかるからだよ。私の結界術での防御も完璧じゃないんだから、猪もほどほどにね」
「っ……善処する」
物言いはきついが根が真っ直ぐな紅司はすぐ素直に頷き、白哈も肩をすくめた。
「確かに。今回みたいに剣が効きにくい相手ってのもいるからな。師匠みたいにさ、剣に雷術や炎術を纏わせられたらいいんだけど」
「あぁあ、私の苦手なやつだ……」
「紫明は御剣の術が先じゃないか?」
「いやだって、手で触れずに剣を操るって想像しにくくない?二人はどうやってるの?」
「慣れろ」
「勘、だな」
「参考になってなぁい!」
泣き言混じりに頭を抱えて天を仰いだところでふと、空を飛ぶ梟の姿が見えた。
伝令用の梟は、灰色の翼を畳んでふわりと紅司の肩へ舞い降りる。その脚に括り付けられた筒を外し、中の手紙を読んだ紅司の眉間にみるみる深い溝が刻まれた。
険しくなった顔のまま、紅司はぐしゃりと紙を握り潰す。ただならぬ様子に、自然とこちらも背筋が伸びた。
柳眉を吊り上げたまま、紅司は一言だけ言う。
「雷泥災君の封印が、解けたそうだ。封印の廟に雷が落ち、封印が壊れたらしい」
「えっ」
咄嗟に浮かんだ言葉は、信じられない、だった。白哈も目を瞬かせて、固まっている。
決して解けないはずの封印の破壊に呆然としかかっている中、紅司は淡々と続けた。
「封印の地はここから近い。俺たちは調査してる先輩に合流して、補助をしろと指示が出ている」
つまり、まだ何故封印が解けたかは誰もわかっていないのかと、妙に冷静な頭で考える。
最凶の魔王の復活という知らせに取り乱すには、三十年前の厄災は自分たちには遠すぎた。
それでも、焦らずに物事を進めるという点で見ればそのほうが却って良かったのかもしれない。
でも結局、この後に起きたことで自分たちのそんな冷静さなんて、何の役にも立たなかったのだ。
封印の地へ先に向かった先輩たちと合流しようと歩き始めてすぐに、空からひとりの人間が降って来た。
文字通り、空から落ちて来たのだ。それを跳んだ白哈が受け止め、自分と紅司が術を張って受け止めた。
雷雷と名乗った彼は朗らかに笑って礼を言ってくれて─────けれど、すぐにその本性を表したのだった。
■■■■■
「これは驚き……というわけでもないか、胡の仙士なら、末弟子でもこれくらいはできるよな」
宝剣で、とんとんと己の肩を軽く叩きながら、軽い口調でそう宣う若い男を自分は睨みつけた。
雷雷と名乗った男、同じ楓山の兄弟子だと思ったそいつと自分たちは、穏やかに会話していた。
しかしこいつは唐突に、隠していた膨大な霊力を爆発させたのだ。
まるで、爆弾が間近で破裂したような衝撃を、四方八方に放ったのである。
その爆発の中、自分は無事だった。爆心地である男の、最も近くにいたにもかかわらず。
それは、真っ先に気づいた白哈が突き飛ばし、庇ってくれたからだった。
自分を庇って突き飛ばしてくれた白哈は、完全に気絶して男の足元に倒れている。
横向きに倒れたその様子からでは、怪我をしているかも確かめられない。
自分の、せいだった。
「お前、何者だ!」
咄嗟に抜いた宝剣を盾にできたために気絶を免れた紅司と、白哈に庇われて平気だった自分は、共に宝剣を構えて男と相対する。
「俺が何者かって?言っても信じないだろうが、名乗ってはおこう。俺は、お前たちが雷泥災君と名付けたモノ。天下三大天魔の一角さ」
束の間、唖然とした。
けれど自分が何かを言う前に、沸騰した紅司が吠えたのだ。
「ふざけるな!雷泥災君が人間の姿を取った話などないぞ!」
「ほらなぁ。だから言ったんだよ、言っても信じないだろうって」
ひらりと宝剣を握ったまま手を振って、男は笑う。しかし、濡れたような灰色の眼は笑っていなかった。
「だが現実、俺は天魔だ。お前たち如きが、俺を止められるものか」
言うなり、男は宝剣を持つ手と逆の片手で白哈の体を軽々と担いだ。完全に力の抜けている白哈の腕が揺れる。
白哈の剣を拾って脇にたばさみ、男は立ち上がった。
「お前たちも、ここで出会うとは運がないな。俺はこいつに用があるんだ。悪いが、連れて行くぞ」
「なっ、何で白哈を!」
「俺の霊力に気づいて、仲間を真っ先に庇った気概が気に入った。それに、瞳も丁度翠色だしな。綺麗な色じゃないか」
飄々と嘯くその瞳は、灰色をしていた。
雷泥災君の瞳は、翡翠のような翠のはずだ。だって、そのせいで白哈は人に忌み嫌われて来た。紅司だってそれに何度も怒っていた。
その原因になったモノを名乗る男が、白哈を捕まえている。
─────ふざけるな。
気配も佇まいも人間でしかないこの男が、天魔だとは信じられない。
瞳の色だって違うし、そもそも天魔が人に化けた話など聞いたことがない。嘘と考えるほうが自然だ。
それでも、たとえ気の触れた男の戯言だとしても、翠眼の天魔の名を名乗る者が白哈に手をかけていることが、許せなかった。
剣の柄を握る手に、力が自然と籠る。
紅司の方を見れば、視線が確かに交わった。さすがに付き合いも長いのだから、何を考えているかはわかる。
袖に入れている符を指に挟み、結界を起動させようとして─────そうして、その符が神速の雷に焼かれて、術の構成ごと砕けた。
指先から肩までが一気に痺れて、体が傾ぐ。
たまらずに膝をつけば、紅司も雷に打たれたらしく膝をついている。
雷術だと理解できても、体が追いつかない。発動が速すぎ、防御は遅すぎた。
痺れ、動かせない腕を支えになんとか睨み返せば、天魔を名乗る男はこちらを凝視していた。剣から手を離さない紅司ではなく、自分の方へ視線を注いでいる。
「お前、冥魂だろう」
「は、何を……」
「悪いが、見かけと違う魂の持ち主に油断はしないことにしてるんだ」
─────しばらく眠っていてくれ。
静かな声が耳朶を打った。同時に、真昼の青天であったはずの空が一瞬で黒雲に覆われ、雷鳴が木霊する。
「お前たちもこいつも、傷つけるつもりはない。ただ、追いかけて来られると困るのさ」
雷を腹に溜めた雲を召喚しておいて、傷つけるつもりが無いとは笑わせる。
だがその言葉を、相手に叩きつけることはできなかった。
降り注ぐ白い雷によって、紅司と自分の意識は呆気なく刈り取られたからだ。
そうして、目覚めてみれば残っていたのは所々が焦げた地面だけ。
雷雷も白哈も、既に気配すらなくなっていた。
「────くそっ!」
苛立ち紛れに、紅司が足元の土を蹴った。こっちだって、同じ気分である。
仙士なのに、何もできなかった。
焦燥で、太鼓のように激しく音を刻みそうになる心臓の辺りをぎゅっと衣の上から押さえて、剣を鞘に納めた。
あんなへらへらした馬鹿みたいな男の言うことを信じたわけじゃないが、あいつは自分たちのことも白哈のことも、傷つけるつもりはないと言ったのだ。
まだ攫われただけなのだと、震えそうな膝に力を込めて立ち上がる。
「紅司、先輩たちと合流しよう。私たちだけじゃ駄目だ」
「ああ、わかってる。それにきっと、誰も災君が人間に化けられることを知らない」
あれは、化けた姿なのだろう。妖魔の中には、人の皮を被って紛れ込むものだっている。
だが、仙士ならばそれがわかるはずなのだ。妖魔の変装は、死体の皮を物理的に剥いで被るだけで体の形そのものを変化させてはいない。
死者の持つ陰気を放っていれば、すぐにそれとわかる。
だが、あの雷雷からはそんな気配が一切しなかった。自分だけじゃなくて、気配を読むのに長けた紅司や、悪意に聡い白哈でも気づかなかったのだ。
本当に、ただの人間だと思った。雷雲を呼び寄せるほどの莫大な霊力でさえ、感じ取れなかった。
それに、あいつが身に着けていた衣や宝剣は、自分たち楓山仙士の物と同じもの。
贋物でない、真正だった。だから、あんなに簡単に近づかれるのを許してしまった。
いくつもいくつも胸に迫る後悔を、唇を噛んで飲み下した。
「笛で梟を呼んでから、まず山に手紙を送ろう。師匠に知らせなきゃ」
「それがいいだろうな。手紙を送った後は封印の地まで向かおう。先輩たちがいるはずだから」
「うん」
頷き合って動き出すその直前、ふとあの雷雷と名乗った天魔の言葉が頭の端を掠める。
あいつは、自分の方を射抜くように見て、冥魂と言ったのだ。見かけと違う魂の持ち主、とも。
自分は確かに、見かけと違う魂を持っている。こことはまったくかけ離れた世界で生きていた記憶を持っている。
─────冥魂とは。
一体、何を指しているのだろうかと、千切れた雷雲の蟠る空を見上げて、拳を握りしめた。
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