第2章 7月

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 高志の住む部屋は、M駅から徒歩三分ほどの距離にある築浅の単身者向けマンションの八階だった。配属先が本社だったため、実家からも通えないことはなかったが、会社から補助が出ることもあって、高志は就職と同時に家を出て独り暮らしを始めていた。  途中のコンビニで買い物をしてからマンションに入る。オートロックを解除して、エレベーターで部屋に向かう。 「駅から近いね」 「うん」  鍵を開けると、ドアを押さえて希美を先に通した。後から入って電気を点けると、希美が声を上げる。 「すごい、きれい! 広いし」 「まあ、まだ物が少ないから」  その言葉のとおり、部屋にある家具はセミダブルのベッドとローテーブルくらいで、他には特に何も置いていなかった。あまり観ないのでテレビも持っていない。収納は今のところ造り付けのクローゼットで事足りており、全体的に部屋はすっきりして見えた。ただし特に几帳面に片付けている訳でもなく、ベッドの上には朝脱いだTシャツが無造作に投げ出されていたし、ローテーブルの上にはノートPCや飲みかけのマグカップが置いたままになっていた。 「ごめん。ソファとかもないから、ベッドにでも座って」  めくれたままの掛布団を直し、Tシャツをバスルームにある洗濯機の上に投げる。それからマグカップをキッチンに運び、代わりにコンビニで買った飲み物を置いた。高志がフローリングの床に座ると、希美も床に座る。 「テレビもないね」 「うん。とりあえずネットがあれば困らないから」  高志の言葉に頷いた後、希美は笑い出した。 「私、当日の来客とか絶対無理。前もって片付けとかないと人呼べない」 「俺も実家の部屋は汚いよ」 「ほんとにー?」  笑って希美がテーブルの上の缶ビールを手に取る。高志もチューハイの缶を開けた。希美がそれを見て問う。 「高志くんってアルコール弱い方?」 「じゃなくて、ビールが好きじゃないんだ」 「苦いのが?」 「そう」  答えながら、高志は手元の缶を見つめる。普段、高志は自宅でアルコールを飲まない。缶チューハイを買うのも飲むのも久し振りだった。久し振りに手にしたその缶は、大学時代に何度も訪れた友人の部屋を思い出させた。その部屋には、いつもビールを少しずつ口に運ぶ友人がいた。畳張りの部屋。大きなテレビと、ゲーム機。そして―― 「……でも、飲み会とかでビール飲んでなかったっけ」  希美の声に、高志はふと我に返る。 「ああ。外では飲むこともあるかな」 「え、無理して?」 「ていうか、『とりあえずビール』ってなること多いだろ」  飲めない訳じゃないから、と言いながら、高志は無意識に希美を見つめていた。頭の中には、久し振りに思い出したあの部屋の光景が広がっていた。  ビールを飲んでいた希美が、高志の視線に気付いて少したじろぐ。高志は無意識に手を伸ばして希美の髪に触れた。希美はその手を避けなかった。 ――今は7月だ。  そう考えながら、高志は腰を浮かせた。希美がじっと高志の動きを目で追う。その表情には、戸惑いと少しの恐れがあった。 ――8月になれば、希美と花火を見に行って、夏休みに実家に帰る。  高志が顔を近付けると、希美はあごを引いて目を伏せた。逃げない。 ――もう大丈夫だ。今は希美がいる。だから大丈夫だ。このまま8月になれば。  そのまま、高志は俯く希美の頬を覆う髪をかき上げ、耳に掛けた。そしてあごに手を添え、少しだけ顔を上向かせる。希美はされるがままになっている。高志はそっと唇を重ねた。初めて触れる柔らかい感触を味わいながら、一か月後に思いを馳せる。 ――お盆が終われば、茂に連絡する。  6月に入ってすぐにあかりから聞いた連絡先は、既に高志のスマホに登録されていた。  茂は今頃、また必死で勉強しているのだろう。  それを邪魔しないように、茂には8月の後半になってから電話しようと心に決めていた。そして何となく、その時までに彼女を作っておこうとも思っていた。その方がいい気がした。 ――今は希美がいる。  だからもう大丈夫だ。
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