最終章 12月

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最終章 12月

 服を着てキッチンに行き、冷蔵庫を開ける。喉が乾いていた。ペットボトルの水を取り出して部屋に戻り、ベッドの縁に腰かけて飲んでいると、茂が目を覚ました。高志を見てすぐに柔らかく笑う。 「……寝てた」 「ちょっとだけな」 「俺もちょうだい」 「ああ」  もう一本取りに行こうとすると、起き上がりながら「それでいい」と手を差し出してくるので、高志は持っていた水をそのまま渡した。茂が喉を見せてごくごくと飲む。そのむき出しの肩を見て、高志は床に落ちていたTシャツを拾って手渡した。ペットボトルを高志に返した茂は、Tシャツを着た後、またすぐに布団を被って横になった。 「もうちょっとこうしてる」 「いいよ。しんどいか?」 「違う。気持ちいいから」  クッションに片頬を埋めながら、茂が首を振る。 「眠いなら寝とけ。寝不足なんだろ」  そう言って布団を軽くぽんぽんとたたいた高志を、茂は笑みを浮かべたまま何も言わずに見つめている。  いつも恋人にはこんな表情を見せているのだろうか。知っているようで知らない、茂の別の顔。  今まで、茂のそんな表情はあまり見た覚えがなかった。そしてこんな雰囲気が二人の間に生まれたこともなかった。自分達の関係性が確実に変わったことを、高志は実感する。 「お前――」  高志が口を開きかけた時、静かだった室内に突然、振動音が響いた。  ローテーブルの上に置いていた高志のスマホが震えている。見なくても、それが希美からの着信だと分かった。  手に取るのを躊躇していると、「出ていいよ」と茂が言う。 「いや、後で掛け直す」  茂の前で希美と話すのは気が引けた。そうしている間に振動音が鳴り止む。 「彼女?」 「……うん」  視線を再び戻すと、こちらを見る茂の顔には、もうさっきまでの柔らかさは残っていなかった。無表情に頷いた茂は、次の言葉を探している高志から目を逸らし、天井を見上げた。 「今日、ほんとは彼女と約束してた?」 「いや……ちゃんとはしてない」 「――」  もう一度、スマホが短く振動する。希美がラインを送ってきたのだろう。 「……ごめん」 「何で謝るんだよ」  様々な要素が混じり合って形成された罪悪感を、高志は上手く説明できなかった。ただ謝らずにはいられなかった。さっきの茂が醸し出していたのは紛れもなく幸福感だった。それが一瞬で消えてしまったことに、悔いのようなやり切れなさを覚える。黙っていると、「なあ」と茂が呼び掛けてきた。 「これって、お前にとって浮気?」  見返した茂の顔には表情がない。高志は少し躊躇したが、結局正直に答えた。 「……多分」  高志が今求めているのが、他の誰でもなく茂であることは間違いがなかった。  それでも、では希美に明日別れを切り出せるかと言えば、そこには躊躇いがあった。自分が振られるのなら構わない。いっそ高志の不誠実さに気付いて希美から振ってくれれば、と思う。何の落度もなくただ高志を好きになってくれた希美に辛い思いをさせたくなかった。と言って、茂の手を離すという選択肢もなかった。この一年間の紆余曲折を経てやっと手に入った茂を、その気持ちを、何と引き換えにしてでも高志は手放したくなかった。  だから、茂が「じゃあ、もう今日だけにしたい?」と聞いてきた時、高志はすぐに首を振った。それを見ていた茂が、かすかに唇を引き結ぶ。今度は高志が茂に問う。 「お前はいいのか。彼女」 「知ってるだろ。お前と違って、俺は適当に付き合えるって」  ゆっくりと起き上がりながら、茂は淡々とそう言った。 「……だからさ。しんどい思いをするとしたら、お前の方だろうから」 「そんなことない。俺もお前と似たようなもんだし」  まるで高志が誠実な人間であるかのような言い方をする茂に、正直にそう返す。 「でも、お前は女が好きだろ」 「それはお前だってそうじゃないのか」 「じゃなくて。いつかは結婚だってしたいって思ってるんだろ」 「え?」 「前に言ってた。元カノと結婚するつもりだったって」 「そんなの、今はもう状況も変わってるし。何も考えてない」 「でも、その選択肢そのものは、やっぱりなかなか消えないだろ?」 「可能性だけで言えばお前だって同じじゃないか」 「俺は別に、そうでもない」 「――」  高志はしばらく口を閉ざした。高志の言葉を受け入れようとしない茂に、これ以上何を言っても仕方がない気がした。茂は俯いてじっと手元を見たまま、もう高志を見てもいない。
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