最終章 12月

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「……要するに、お前の方に続ける気がないってことか」  高志が硬い声を出すと、茂は俯いたまま唇を噛み締めた。それから、ほんのわずか、見えるか見えないかの小ささで首を振る。 「――そうじゃない」  声に潜むかすかな震えに気付いて、高志は苛立ちをぶつけた自分をすぐに悔いた。静かに呼び掛ける。 「細谷」 「そうじゃなくて……俺は多分、そのうちお前の邪魔になるかもしれないけど」 「だから、そんなことないって」 「でも、俺もう……前みたいに我慢するって考えたら、しんどくて」 「我慢?」 「……お前のこと……」  いつしか、震えるその声は涙声になっていた。 「前みたいに、ただの友達みたいに何でもないふりするのとか、もうしたくない」 「しなくていい。俺も無理だって思った」 「お前が女の子とやりたいなら、いつでもやっていい。彼女とも別れなくていいし。別れたって、また別の彼女を作ったらいい」  高志の返事が耳に入っていないかのように、茂は言い募る。 「何年か後にお前が結婚したくなっても絶対に邪魔しないし。そうじゃなくても、お前が嫌になったらいつでも終わりにするから」 「細谷」 「だから今だけ……」  そこで、ついに茂が声を詰まらせる。顔を見せまいと俯くが、その拍子にぽたっと雫が手の甲に落ちた。隠すように、すぐにもう片方の手で手の甲を覆う。思わず高志は体を起こした。 「細谷……俺も同じだから」  茂のすぐそばに膝をつき、その頭を引き寄せる。茂が、涙を止めるようにその目を高志の肩に押し付けてくる。 「お前が言ったんだろ、俺が電話したんだって。お前が知らないだけで、俺はずっとお前のこと考えてたし、ずっとお前に会いたいと思ってた。あの時お前がいなくなってからずっと」  顔を高志の肩にうずめたまま、ごめん、と茂が声にならない声で言ったのが分かった。高志は宥めるようにその背中を撫でる。茂の温かい体。さっきまで高志を受け入れていた健気な体。自分の腕の中にある存在の得難さを噛み締める。ここに至るまでに味わった絶望を、喪失感を思い返す。高志は一拍おいた後に、その言葉を口にした。 「細谷。……俺と付き合って」  茂はしばらく何も言わなかった。高志の腕の中で、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。そのかすかな肩の上下さえ愛しく、一瞬、高志は茂の返事を待つことすら忘れていた。やがて肩口から小さな声が聞こえてくる。 「……うん」  それを聞いて、高志は目を閉じた。茂の呼吸はまた少しずつ途切れ始め、それに合わせて体も震え出す。その震えを少しでも止めようと、高志は再び腕に力を込めた。茂が声を詰まらせながら言う。 「付き合う……」 「うん」  応えるように、回した腕で背中を更に強く撫でる。茂は息を整えるように、何度か呼吸を繰り返した。 「お互いに同じこと思ってるんなら、それでいいんじゃないか」 「……うん」 「先のこと考え過ぎても、何があるか分からないし」 「……お前、彼女はどうすんの」 「正直言って今は分からないけど……もう少し時間もらってもいいか」 「いいよ。無理してどうにかしなくても」 「いや、ちゃんと考えるから」 「俺はいい。俺といる時だけ、お前が俺のものだって思えたらそれでいい」  そして茂は顔を上げ、高志をじっと見つめる。それからそっと手を伸ばしてきた。茂の指が頬に触れ、唇に触れるのを感じながら、高志は茂が今その心の内で何を思っているのか想像しようとした。やがて茂が口を開く。 「藤代」 「ん?」 「――俺、大学の時からずっとお前が好きだった」  意表を突かれて、高志は一瞬言葉を失った。  それは、茂が決して口にしないだろうと思っていた言葉だった。そんな高志の表情をしばらく見た後、茂がゆっくりと唇を寄せてくる。 「――」  茂の言葉が一瞬の追憶を呼び起こした。目を閉じた高志の頭の中には、かつて何度も茂と唇を合わせたあの部屋の中の光景が蘇っていた。あの頃と同じ茂からの口付けに、まるで今そこにいるかのような錯覚を覚える。茂がいなくなったと同時に高志の中で憧憬の対象へと変化していたその光景を、高志は再びその手に取り戻した。  それから、希美の顔が浮かんだ。  頭の中で、希美もやはり笑顔だった。そうやって自分の恋人であるはずの女性の存在を感じながら、高志は今、目の前にいる別の人間への恋心を静かに告げた。 「俺も……お前が好きだ」   唇を離し、茂の肩口に顔をうずめる。幸福感と胸の痛みが混ざり合う。どうしようもなく、迷いもなく、高志は目の前の茂を求めていた。そこには圧倒的な幸福があった。決して完全ではない、一方で他の人間を傷つけるしかない幸福。  希美の笑顔は消えなかった。その笑顔で高志の不実を責めていた。それは希美の顔をした自分自身だった。  そうやって自分を見つめる希美の目の前で、高志はただ腕の中の茂をいつまでも強く抱き締めていた。 (完)
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