母の鱗

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 バチンッ  頬に鋭い痛みがはしった後、それはズキズキという熱を持った痛みに変わった。  しばらく経ってから気づいたが、私は母に平手打ちをくらったらしい。 「この疫病神!この子に近付くな!」  近づいて来たのは妹の方だ。私のことをそんな風に思っていたの?脳にある言葉が上手く纏まらず、俯きながら黙っていると、母が口を開いた。 「お仕置きよ。物置部屋に入ってなさい。」  私が泣きながら首を横に振ると、母が髪を掴んで、私を引きずった。 「早く入りなさい!」  物凄い力で引っ張られ、物置部屋に放り投げられた。 「良いと言うまで反省していなさい。」  と言う言葉の後に、ガチャンと言う鍵が閉まる音が聞こえた。  母は私を愛してくれているはずだ。幼い頃、病気にかかった私を一睡もせず、つきっきりで看病してくれたことがあった。  悪いのは全部父と妹だ。再婚なんかしたから、母はおかしくなった。  しばらくして涙が引いてくると、物置部屋の隅の方にある分厚い辞書のような本が気になった。手に取ってみると、それは写真アルバムのようだった。何故か懐かしい気分になり、開いてみた。  そこには母と一人の老婆が写っている写真があった。  私は直感で気づいた。この老婆は私の祖母だということに。  1枚ページをめくると、私と祖母が一緒に写っている写真があった。さらにページをめくっていくと、私はあることに気付いた。この写真は全部繋がっている。  パラパラとめくると写真は映像となり、私の頭に入って来た。何やら怒った様子で喋る祖母と素面の母、その後ろには幼い女の子がいる。  しばらくその映像が続くと、素面の母に祖母の平手打ちが炸裂した。母は赤くなった頬を手で抑え、家を飛び出した。  怒りがおさまったのか冷静になった祖母は、後ろで具合が悪そうに俯いている女の子に声をかけ、ベットに寝かせた。  それからは、具合が悪そうな女の子とその横に座る祖母の映像がずっと続いた。  ひどい頭痛と耳鳴りがなり、床が崩れ落ち、私は宙に投げ出された。と同時に我に返った。そこにあったはずのアルバムは無くなっていた。  これらは全て私の妄想だったらしい。だが、たかが妄想だとは思えない程の現実感に気持ち悪さを覚えた。  もし仮に、女の子が具合が悪そうだったのは風邪をひいていたからだとして、祖母が看病していたのなら、私の記憶と完全に一致する。私が唯一、母に愛されていた時の記憶と。私は本当に愛されていたのか?  「もういいわ。出て来なさい。」  薄暗い部屋に光が差し込んできた。私は冷たい床から飛び起き、母のもとに走り、震える声で聞いた。  「お母さんは私を愛してる?」  「愛してるわけないでしょ。」  母から間髪置かず冷たい一言が飛び出した。すると、母の中の何かが爆発したかのように、私に罵詈雑言を浴びせて来た。  「アンタなんて前のクズ夫から生まれた子供だし、愛せるわけがない。おまけに醜いし、本当は私の子じゃないじゃないの?」  泣き腫らした目にまた涙が浮かんできた。そして、母が私にトドメを刺した。  「あの子とは大違い。死ねば良いのに。」  私の中で何かが壊れる音がした。  その夜、私は母と父が寝ていることを確認し、母の横から妹を起こさないように抜き取った。  そして、家の隅にある私の部屋に連れ込んだ。まじまじと顔を見ると、やはり妹は母によく似た美しい顔をしている。  私は眠っている妹にゆっくり話しかけた。  「今日は怒鳴ってごめんね。人魚のような母から愛される小さいあなたが羨ましかった。母からしたら私の存在は、泳いでいる時に剥がれ落ちた鱗のようなものだったから。」  妹はピクッと動くと、長い睫毛を動かした。  窓から空を見上げると、大きい満月が浮かんでいた。  私は妹の顔に大きい枕を渾身の力で押し付けた。最初は、陸に上がった魚のように暴れていたが、ある時急に静かになった。  枕を捲ると、眠るように死んでいた。こんなに満月が綺麗な夜に死ねるなんて、つくづく運が良い子だ。  次は倉庫に向かい、ガソリンを手に入れた。父の腹は脂肪の塊なので包丁では殺すことはできないから、焼くのが一番良いと思ったのだ。  父の部屋に行き、ベットに寝ている父の周りを囲むようにして、ガソリンを撒いた。マッチを擦り、火をつけ、ベットに投げた。火は瞬く間に燃え上がり、父を取り囲んだ。  父に火が燃え移った時、父は何かを叫んだが、何を叫んだのか全く覚えていない。  覚えているのは、父の脂肪が焼ける悪臭と丸まりながら燃える父の姿だ。その後、消化器で火を消すと、黒い炭で出来たダルマのような父がいた。脚でつつくと炭がパラパラと落ちた。  次は母のもとに向かった。何も知らず、スヤスヤと眠っていた。じっと眺めていると、眠気が襲って来たので、母の横で眠った。  夢の中で、私は母にくっついて泳いでいた。隣には魚の尾びれをつけた妹がいて、ヒキガエルになった父が妹の肩にのっていた。  「アンタは家族じゃない。ただの私の付属品。鱗みたいなもんよ。早く死ねば良い。」  人魚になった母の言葉が、海中に響いた。  突如、腹に衝撃が走り目を開けると、母が私を鬼のな様な形相で睨みつけていた。  「なんでアンタがここにいんのよ?あの子をどこにやったの⁉︎」  母は半狂乱になりながら、ベットを降り、廊下を走っていった。  しばらくすると、燃え尽きた父の死体を見つけたのか、甲高い悲鳴が聞こえた。  そこに向かうと、腰を抜かしガタガタと震える母の姿があった。  「お母さん大丈夫?」と聞いたが、声が出せないのか、口をパクパクと魚のように動かしていた。  私は、母が正気を取り戻す間に妹も連れてこようと思い立ち、自室に向かった。  自室にたどり着くと、妹の死体が眠る様に横たわっていた。持ち上げると、何やら背後で音がした。振り向くと、そこには魚の鱗のように光る料理包丁を持った母がいた。  驚いていると、母が奇声を発しながら突進して来た。私は咄嗟に妹の身体を前に出すと、母の包丁の一撃は、妹の身体を突き刺した。  母は呆然として膝から崩れ落ち、妹を抱きかかえて、「ごめんね。許してぇ。」と、みっともなくボソボソと呟いていた。    私は、そんな母を冷たい目線で見下ろしていた。なんで私はこんな人に愛されたかったんだろう。  この出来事の後、妹の死体を母から取り上げ、地面に埋めた。また、父の死体は完全な塵にして森に撒いた。この家は森に囲まれているから、私の所業が気付かれることは無いだろう。  母はそれから完全に壊れてしまい、自分で生活することすら出来くなった。  私は、母の世話をしながら定時制の学校に通っている。父が遺した資産と豪邸があれば、充分に生活できる。  思えば昔の私は、母を知能が足りないやら、下品やら、酷いことを言っていたが、本当は憧れていたのだ。美しく、自由奔放な母に。  今では、傷んだ髪と荒れた肌、目の下のクマは黒く濃く、四六時中小声で何やら呟いているせいで、唇は乾燥し血が滲んでいる。  私が全て壊してしまった。だが、この窮屈な水槽のような家で私と母はこれからもずっと泳ぎ続けなければならない。
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