母の鱗

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 私達は昔アパートに住んでいた。その頃はお金がなくて、袖と襟が伸びきっているシャツと膝が破けたズボンを毎日来ていた。  おまけに光熱費が払えなかったので、水風呂にしか入れなかった。夏の時期はまだ耐えれるのだが、冬は地獄の寒さだったので1週間風呂に入らないこともあった。  だから私の身体からは異臭が漂い、髪も脂でベタベタになり銅色に変色していた。  そんな私と対照的に母はいつも綺麗だった。肌荒れひとつない陶器のような肌に、黒く艶めく波の様に巻かれている髪。  今思えば馬鹿らしいが、私は幼い頃、母のことを人魚だと思っていた。  理由は二つある。  一つ目は、母から仕事のことを聞いた事がないからだった。  「お母さんは何の仕事をしているの?」と聞いても、「それ聞いて何の意味があるの?」と質問を質問で返されるだけだった。  二つ目は一番大きな理由だ。  母は毎夜、仕事に行く前に濃い化粧をし、美しいドレスを纏った。そのドレスは、サンゴ礁に生息しているナンヨウハギを思わせる鮮やかな青色で所々に尾びれの様なフリルがついていた。  そして、首には「お客サン」という人から貰ったという綺麗な真珠のネックレスを付けていた。  母は毎夜、静かに波を立てる水面の真下で開かれる人魚達のパーティーに参加するのだ。  美しい体色や鱗を持った人魚達が、銀の泡を光らせながら世間話をする。しばらくすると、料理の皿が運ばれてくる。一品目は、『海藻のサラダ』2品目は『プランクトンの唐揚げ』3品目は『鯨の赤ワイン煮』。この後も何品か続き、最後のデザートが『海藻のゼリー』...  今思い返すと本当に馬鹿馬鹿しい妄想だ。まぁ、当時は小学高低学年だったから料理名のセンスについては言及しないで欲しい。  それに、私の母は上品なパーティーに参加できる様な人間ではなかった。口を開けば男みたいな口調で罵詈雑言を吐き、座る時は蟹の様なガニ股でくつろぐ。  だが見た目だけは良かった。母は、今の私から見ても美しい顔立ちをしている。一言で言うと、女優顔というやつだ。  もし人間が、知性と美貌の合計が10の比率で出来ているのならば、母は1:9で出来ているだろう。  こんな母から生まれた私だが、残念ながら美しい顔は遺伝しなかった。私の顔は、お世辞にも美人とは言えない。世の中で分類するとすれば、良くて中の下、悪くて下の中だ。  一度だけ、母の職場に連れて行ってもらった事がある。人気のない住宅街を抜けた所に、夜なのに昼の様に明るい場所が広がっていた。道を歩く人は、母の様に美しい女性からカエルの様に醜い中年男性まで幅広い。  私は当時、母のことを人魚だと信じ込んでいたので、ここが『人魚のパーティー』なんだと思った。宝石の様に光輝く文字が書かれた石がそこら中に散らばっていたのを覚えている。  今になって分かるが、そこは『人魚のパーティー』などではなく、『夜の街』だ。文字が書かれた石というのは、きっと電光掲示板のことだろう。  母は海の『人魚』ではなく、夜の街の『蝶』だった。
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