母の鱗

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 私が中学生になった頃、家事を全くしない母が突然、部屋の掃除をし始めた。明日は空からカエルでも降るのか、いや隕石かもしれない。などと思っていたら、母が、「アタシ再婚するから。」とコンビニ弁当の容器を捨てながら言った。  「え、何?」と、思わず聞き返してしまった。雷に打たれたかの様な衝撃が走った。その時の私のIQは猿並だったに違いない。  母から詳しく話を聞くと、仕事で出会った男性と1ヶ月前から交際していて、昨日プロポーズされたとのこと。その男性は、母にかなり入れ込んでいた太客だったらしい。  母は結婚の申し出を簡単に承諾し、私達はその男性の家に移り住むことになった。  森の中に建っているその家は、まるで西洋の城のような豪邸だった。家の周りは高い塀で囲まれている。母がインターホンを鳴らすと、家の中から1人の男性が出て来て、こう言った。 「待っていたよ。今日から君は僕の妻だ。」  母は、今まで私に見せたことのないような満面の笑みで、「今日からよろしくお願いします。」と返した。  初めて見た母の再婚相手の見た目はとても印象に残っている。目玉が飛び出そうな程のギョロ目で、頬には顔面積から余った皮が垂れ下がっている。  そして、下腹は今にもシャツを裂きそうな程の膨らみ具合だ。  私は人魚のように美しい母が、ヒキガエルのように醜い男と結婚する理由が分からなかった。まるで童話の『親指姫』のような話だ。母はなんて可哀想なんだろう。母に運命の王子様が現れますように。  そう思っていたのも束の間、あのヒキガエルのような男と母が結婚してから、私の生活は一変した。  2日に1回入っていた水風呂は、毎日入れる温泉に、冷たいコンビニ弁当は、温かい手料理に変わった。  あのヒキガエルこそが母の運命の王子様だったのだ。    今思えば、母は毎日「新しい人生を送りたい。」と呟いていた。  新しい人生というのは、金持ちで何でも買ってくれる父と可愛い娘がいて、何不自由ない生活を送れる人生のことだろう。  母の願いは叶ったのだ。母は毎日よく笑うようになったし、料理を練習するようになった。座り方も歩き方も以前より上品になった。  そんな母の姿を見ていると、私も嬉しくなった。母が、私や父の為に頑張っているという事実は私を幸福で満たした。  今まで、母から特別愛されていると感じた出来事は一回しかなかったから、母が私のことを考えているというだけで天にも上りそうな気持ちになった。    だが1年後、母が妹を産んだことにより私の幸せな生活は終わりを迎えた。  最初は、妹ができることを嬉しく思っていた。妹が産まれた直後、小さくてブヨブヨしている手に人差し指を近づけた時、か弱い力で握りしめてくれた妹のことを天使のように可愛いと思っていた。  そんな妹は徐々に成長し、3歳になった頃、私はあることに気付いた。私に向ける母の態度がだんだんと冷たくなっていることに。  理由は分かっていた。産まれて間もない頃は分からなかったが、妹の外見は、母に瓜二つで、人魚のように美しかった。  だが、目の色は母の黒色ではなく、父の茶色だった。それは、妹の美しさをさらに引き立てていた。    もし仮に、私に二人の娘がいたとする。  一人は、自分に似た美しい外見を持つ今の夫との子供。  もう一人は、自分に全く自分に似ていない醜い外見を持つ前の夫との子供。    私だったら、美しい子を愛すだろう。母もそうだった。もちろん父も。  まず最初に、私の豪華な部屋は妹の部屋になった。父にプレゼントして貰った水晶で作られた魚の模型もだ。  私の物は一つ残らず妹に奪われた。母と父からの愛はもう私に向けられなくなった。  私は妹を憎んでいたが、妹はそうではなく、事あるごとに私に近寄って来た。  私の気も知らないで純粋な眼差しを向けてくる妹に対し、怒りと劣等感が混ざり合い、ある日、まるで化学反応を起こしたかのように感情が爆発した。 「邪魔なのよっ!近づくなって言ってるでしょ⁉︎」  今まで出したことのないような大声で怒号を飛ばすと、辺りがしーんと静まり返った。  次の瞬間、妹が堰を切ったように鳴き始めた。その声は私の怒鳴り声よりも遥かに大きかったのか、異変に気づいた母が、飛び込むように部屋に入ってきた。
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