第9話

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第9話

 夜になって、中師はいつものコースでスターバックスに立ち寄り、いつもの席でエスプレッソマキアートを飲んだ。  そうして道行く人を眺めながら、気付くと自分が人波の中に彼の姿を探している事に気がついた。  同じ相手を選ぶ事はしないと言い切った彼が、今夜ここに現れるかどうかも判らないと言うのに。  自嘲するような笑みを浮かべ、中師は席を立った。  表面的には平素と同じ一日を過ごした中師だったが、実際のところ今日は終始、昨夜の彼の艶めかしい姿の事ばかり思いだしていた。  今朝、彼を起こさずに部屋を後にしたのは、そのまま彼が部屋にとどまってくれる奇跡に、微かな期待をしていたからかもしれない。  そんな、あまりにも愚かな幻想を抱いている自分に呆れながら、自室の扉を開けた。  だが扉を開けた瞬間。  奥から聞こえてくるテレビの音に中師は玄関先で靴を脱ぐのも忘れて立ちつくした。  数秒後、ハッとして、慌てて室内に上がる。  奥の部屋では、昨夜同様バスローブを一枚着ただけの柊一が、フローリングに膝を抱えて座っていた。 「遅っせぇよ」  振り返った顔にはひどく不機嫌な表情が浮かべられ、刺のある視線が中師を見上げてくる。 「…帰らなかったのか?」  中師の問いに、柊一はますます気を悪くしたように、睨み付けていた目つきをますます剣呑な色を濃厚にして突き刺すような目線を当ててきた。 「帰らなかったのか、だと?! 帰れなかったんだよっ!」  ガッと立ち上がると、柊一は中師の正面に立って噛みつくように言う。 「アンタ、なんだって今朝黙って出かけちゃったんだよ! 俺はこの部屋の鍵も持ってねェってのに! 閉めないで出てくワケにもいかねェから、アンタ帰ってくるの待ってたんだぜっ! したら夕方ンなっても帰ってこねェし!」  かなり本気で怒っている柊一を前にして、中師はこみ上げてくる笑いを抑える事が出来なかった。 「なんだよそれ! なに笑ってンだよ!」 「ああ、スマン。キミが、まさか待っているなんて思わなかったから、駅前でコーヒーを飲んでいた」 「俺は朝からなんにも食えないで腹ぺこだって言うのに、コーヒーだとっ! 腹いせに冷蔵庫を空にしてやろうと思ったら、最初からスッカラカンで、あげくにアンタは一人で悠長にコーヒーかよっ!」 「解った、私が悪かったよ。だから、今夜はこれから食事をしに行こう。何でも好きなモノを奢ってやるから」  そのままこちらの襟首を掴みかねない剣幕で噛みついてくる柊一を、中師は少し困ったような顔で宥めにかかった。 「あったり前だっ!」  そう言い放ちつつも、奢ってもらえると聞いた途端に柊一はいそいそとバスローブを脱ぎかけた。  が…。 「あー! そうだっ! アンタ、俺の服になんてコトしてくれたんだよっ!」 「キミの服? …今朝、出かけに洗濯機に入れておいただけだが…?」  別に何も怒られる心当たりはなかったが、再び鋭い目線を送りつけ始めた柊一に、中師は肩を竦めてみせる。 「なんか、あったのか?」 「なんかも何も…、バラバラになっちまったよ」 「はぁ?」  返された答えに、さすがに驚いた中師は柊一が指し示す乾燥機能を兼ね備えた全自動の洗濯機をのぞき見た。  すると、そこには確かに柊一の言葉通り、元の形を失っている布がこんもりと山をなしている。 「こんなコトは、初めてだ…。一体、どんな素材の服を着ていたんだい?」 「いちいち服の素材なんか気にするかよ。こんな時間じゃ服も買いに行けねェし、バスローブじゃ外には出られないだろ?」  洗濯機の中身と柊一の顔を交互に見やってから、中師はおもむろに作りつけの洋ダンスに向かった。 「とりあえず、私の服を着なさい。キミの…そのバラバラになってしまった服の代わりは、申し訳ないが週末まで調達は出来ないから、それまでここに留まって貰う事になるがね」 「その間の飯代とか、アンタ持ち?」  それはもちろんと目で頷くと、柊一はさも満足げにニッと笑ってみせる。 「それなら俺に、異存はないぜ」  早速と言った顔で、柊一は己の体格に見合う服の物色を始めた。  数分後、服を着替えた柊一は意気揚々と扉の外に出る。  続いて中師も部屋を出て、真っ直ぐにエレベーターに向かいかけた。 「おい、鍵閉めろよ」  一瞬だけ扉に振り返り、慌てて中師の後を追いながら柊一が問いかける。 「…ああ、その事なんだが…」  中師はほんの少しだけ困ったような、それでいてひどく意味深な笑みを含んだ顔で振り返った。 「キミは…オートロックって言葉を知っているかな?」 「知ってるよ。あの、ホテルとかの部屋で扉を閉めると勝手に鍵がかか……」  そこまで言いかけて、柊一はハッと後ろを見やりそれから中師の顔を凝視する。 「ここは、日割りで部屋を貸しているマンションだからねぇ。まぁ、一種トクベツなホテルと同じようなモノ…とでも言った方が良いのかな?」 「じゃあもしかして、俺が今日留守番してたのって全く意味無かったのかよっ!」 「申し訳ないが、まぁ、そう言う事になるかな」  眦をつり上げて、柊一はひどく乱暴に中師の臀部に膝蹴りを送り込んできた。  しかし、その行動を見越していた中師は歩調を早める事で衝撃を回避する。 「アンタ、友達にイヤなヤツって言われないかっ?」 「幸い、友達はいないからな」 「そうだろうともよっ! その性格じゃいるワケねェよっ!」  扉の開かれたエレベーターに乗り込みつつ、柊一は毒づいて見せた。
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