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『食人鬼の棲む家』
あら、こんにちは。はじめまして。
私はいつもここから街を歩く人を見ているわ。
知っている?
この街には沢山の人が歩いているから、そうでない人たちも紛れているって。
例えばあそこの小太りのお兄さんは実は吸血鬼だとか、あそこの小綺麗な女の子は本当はゾンビだとか。
ああ、そういえばあそこを歩いているサラリーマンのおじさん。あの人の家はこう呼ばれているわ。
――『食人鬼の棲む家』――
宝生いちるは、帰路を急いでいた。
家出の真似事をして飛び出してみたものの、最近この街では行方不明が増えていて、父と母を心配させ過ぎたと後悔していた。
だから少しでも早く帰ろうと近道を通ることにしたのだ。
思った以上に親しんだこの道は暗く、いちるは、自分の表情が蛇に丸飲みにされている蛙のようだろうと思った。
いちるが尻餅をついたのはそんな時だ。
「え」
暗闇をやっと抜けられたかと思った曲がり角、いちるは不測の壁にぶつかったのだ。壁だと思ったのは背の高い男性だった。痩せ気味で、カメレオンのように目だけが素早く動いている。
男はいちるの顔を舐めるように観察した。
「君は宝生いちるちゃんだね?」
いちるの心臓がドキンっと跳ねた。
「私は君のお父さんの知り合いだ。お父さんが心配しているよ」
いちるは、今の状況に青ざめた。
自分を知っている知らない男に腕を牽かれて、暗い道を歩いているこの状況にだ。
「あ、あの!」
叫んだ一縷の顔を、男はジロリといちるを見た。
「私はどこに行くの!?」
「家だよ」
青白い顔の男。
いちるは思い出した。
この町には食人鬼が棲む家があるとか聞いた。それを聞いて想像した鬼が、今、いちるの腕を掴んでいる男に重なる。
その食人鬼の家の主は笑ったようだった。
「家は家だ」
いちるは涙を流し怯えながら、ただその男についていくことしかできなかった。
「まったく。お前は」
「え?」
いちるは、ポカンと口を開けていた。
目の前には、父である宝生隆司がいた。怒っているしホッとしているようでもあった。
「本当に心配をかけて」
「え――」
いちるは、男の言う通りに、家に送られた。
いちるの家、その玄関で隆司が深々と頭を下げた。
「ありがとう鬼越さん」
「いえ。なによりお嬢さんが見つかって良かったですよ」
鬼越――いちるを家に送ってくれた恩人――も頭を下げた。
「え」
「いちる! お前も鬼越さんにお礼を言いなさい!」
「でも・・・・・・」
いちるは間抜けた顔で『鬼越さん』にお礼をいった。
「ああ、宝生さんの子、見つかったんですか」
鬼越昭雄は妻の声に頷いた。
「お疲れさまでした。今日はご飯が先? お風呂が先ですか?」
「汗をかいた」
昭雄はそういうとスーツを脱いで妻に渡した。妻はニコニコと笑っている。
「お父さん! 待ってたんだよ!」
「ああ、うむ」
リビングの奥から娘が駆け寄ってくる。
「ご飯! ご飯だ!」
「もう! お父さんが上がった後でしょ!」
妻と娘の会話に昭雄は小さく笑った。
ガラガラッと風呂場の戸が空いた。
昭雄は丹念に頭を洗い、湯で流している所だった。
「おとうさん!」
娘がニコニコと笑っている。
「背中流してあげる!」
「そんなに待てないのか?」
昭雄は背中に熱さを感じた。
娘が手に持ったナイフをつきてたのだ。
「あなた!?」
声を上げたのは妻だった。倒れこむ昭雄は戸の向こうに愛する妻を見た。
「お母さん! 早くご飯が食べたいよう!」
「しょうがないわね。すぐ、準備しましょう」
妻は血抜きのナイフを昭雄に突き立てた。
包丁は昭雄の左手に突き立てられ、肉たたきで昭雄の左足は大きくひしゃげた。
「今日はハンバーグの日だね」
「お母さんはダイエットはいいの? うふふ!」
昭雄はそんな妻と娘の声だけをぼんやりと聞いていた。
鬼越の家は食人鬼が棲む家と言われている。
翌朝目覚めると、まず、鬼越昭雄は自分の体が五体満足であることを確認した。
はじめは面食らったが、今はそういうものだと理解している。
ふと、結婚前の写真が目に映る。恰幅の良い自身の体も今や幽鬼のようだ。
「さて」
それでも鬼越はスーツを着て家族のために仕事に行くのだ。
「あなた、今日は遅いのかしら?」
「昨日よりは早い。連絡するよ」
――――――――
今でも彼は妻と子に食われるために会社と家を往復しているそうですよ。
ああ、ちなみに、彼は鬼越家の婿養子だそうです。
今日はお話相手になってくれてありがとう。
またどこかでお会いしましょう。
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