嘘つき師匠と弟子 妄想コンテスト版

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 その木こり小屋は、入る前からどうにも血生臭かった。  背の高い若い男が一人、その小屋に向かって歩いていく。フードを被っているせいで、その表情はわからない。  男が杖にぶら下げたカンテラの明かりをかざすと、光の玉が、すい、と進み出て小屋の戸を開いた。男は頭を打たないように下げて入口を潜る。  小屋の中は匂いを感じた通り血みどろだ。少ない家具はあちこちに転がり、争ったような刃物の痕が無数に残されていた。  夫婦らしき男女が床を血まみれにしてうつ伏せに転がっていた。夫が妻に覆いかぶさり、守るようにして背中から切られているのが何とも痛ましく、男は自然とそこから目を逸らす。  床に広がる血はまだ乾ききっていない。死体はまだ新しい。  ――言っちゃなんだが、こんなぼろ小屋、物盗りが狙うにしちゃあ旨味がなさすぎる。心中だとすりゃ男の背中の傷はおかしい。どうも、きなくせえ。  男は踵を返し、外に出た。  空に浮かぶのは、神聖さすら感じるほど見事な銀の満月。不穏な人死にが無ければ良い夜だったことだろう。  男は小屋の周囲を歩き出す。  時折立ち止まっては、人には理解できない言葉で何かを呟き、杖の先で地面を小突く。その度に、杖にぶら下がったカンテラから光の玉が飛び出して爆ぜた。細かな光の粒子は地面に落ち、雨粒のようにすっと沁み込んでいく。  人除け、獣除け、魔除け、天災除け。  一通りの術を施して、ようやく小屋に戻った男は、手袋が血に染まるのも気にせずに、二人の亡骸をそっとあお向け、隣合うように並べた。  死してなお美しい顔立ちをした女の目の縁から、一筋の涙がこぼれ落ちる。 「……陽が昇ったら、一緒に弔ってやる」  手でそっと覆って促してやると、女は素直に瞼を閉じた。  包んでやる布でもないだろうかと男は小屋の中を物色する。奥にあった寝台(ベッド)にシーツと毛布を見つけ、拝借することにした。  男は至極丁寧に亡骸を包むと、祈るように軽く目を瞑った。  不意に、かまどの横に置かれた樽の中から小さな物音が聞こえた。鼠でも入ったのだろう。  ――いや、違う。  嫌な予感がして、男は樽の中を覗き込んだ。  中には、子供がいた。  年の頃は十といったところか。狭い樽の中、自分の膝をきつく抱えた子供は、覗き込む男を鈍い動きで見上げた。  怯えるでもなく、泣きだすでもなく、まるで半分死人のような虚ろな表情で男を見つめるその顔立ちは、悲しくなるほどによく似ていた。 「あー、う」  子供は男に向かって、赤ん坊のような言葉で話しかけると、にこりと生気のない笑みを浮かべた。ガラス玉のように空っぽで無機質な瞳に映り込んだ自分を見ながら、男は応えるように独り言つ。 「そうだな。俺もお前も、とんでもなく最悪の夜だ」  血にまみれた手袋を脱ぐと、男は樽の中から子供を抱え上げる。  この惨状を見せないようにすべきかとも思ったが、どうせもう全てを知っているだろう。  大人しく男の片腕におさまった子供は、床に並んだ二つの包みを相変わらず虚ろな顔で眺めていた。 「明るくなったら……」  弔ってやろう。  そう言いかけてやめた。子供がおもむろに男のフードを剥いだからだ。  親を殺めた犯人かどうか確かめる気だったのだろうか。それとも、心が砕けて分別のわからぬ幼子のように戻ったせいで、興味が引かれるままにまくり上げてしまったのか。  月と同じ色の長い髪がばさばさとフードの外に零れ出る。手入れを怠るせいで傷んだ毛先が、カンテラの明かりを反射してきらきらと光った。 「……こら、クソガキ。勝手にまくるんじゃねえ」  男はやり返すように子供の頬を軽くつまんだ。粗暴な言動とは裏腹に、子供を気遣うような、穏やかな声が出たのが男自身にも意外だった。  視界のすぐ近くにある小綺麗な顔は、頬をつままれたまま感情を感じさせない顔で男をじっと見つめていた。 「なんだ、その(ツラ)は」  見られることに居心地の悪さを感じて、男は眉を中央に寄せて軽く睨みつける。  整ってはいるけど目つきが悪党。男の顔はよくそんな評価をされる。その顔で睨めば子供が泣くのはわかり切ったことだった。  しかし、それは腕に抱いた子供に通用することはなく、瞼を失くしたのかと問いたくなるほどに、男の顔をただひたすらに見ていた。  男は深いため息をつく。  面倒に関わってしまった気がする。憐れな死人を弔ってやるくらいならばまだ良かったが、心が壊れた子供の相手は全くの専門外だ。  けれど、関わってしまった以上途中で放り出すというのは男自身が決めたルールに反すること。  もう一度ため息をつくと、男は子供を寝台(ベッド)の上に乗せた。シーツも毛布も剥いでしまったせいで、居心地が良いとは言い難いが、樽の中や床よりは良いだろう。 「いいか、俺は今からやることがある。それまでお前は大人しくここに座っていろ」  死者が正しく世界に還れるように弔うには相応の仕度がいる。魔術に精通した者にとっては常識だ。男はその準備を朝までに済ませるつもりだった。  上手くいけば、日の出とともに彼らを見送ることができる。太陽、その中でも特に日の出の浄化の力は、満月の比ではない。きっと彼らも安らかに導かれていくことだろう。  踵を返した男の服が、背後からぐいと引っ張られる。 「こら。手ぇ放せ」  子供は男の渋い顔に怯むこともなく、男に向けて、まるで抱き上げろとでも言うように両手を伸ばした。 「……さてはお前、意外とわがままだな?」  目にも顔にも生気がない。人形よりも人形らしく見える。いっそ半分死んでると言ってもいい。  そのくせ「置いていくな」という自己主張ばかりは一人前だ。  本当に、面倒なものに関わってしまった、と男は項垂れる。辛抱強く待ち続けている両手を横目で一瞥し、舌打ちをすると、男は根負けしたように子供をその腕に抱き上げた。  月が地平線に呑まれるまで、ずっとそうしている羽目になるとも思わずに。
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