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泱二さんは戻ってくるなり、行きましょうか、と言って早足で歩き出した。
「あっ、ま、待ってください……」
私は慌てて付いていく。
「泱二、さん」
彼の横に並びたいのに歩く速度に追いつけず、あっという間に駅に着いてしまった。
泱二さんはようやく足を止めて振り返った。
「ここからは帰れますよね」
「……」
私は下唇を噛んで上目遣いに泱二さんをみつめる。
「すみません、さっきのやり取りで事情はご理解いただけると思うんですが、客が来る予定でして俺も急いで家に戻らないといけません」
「……」
俯いて、握った両手の指を見る。
それは、分かってるけど……。
「はあ―」
もじもじしていると泱二さんから溜息も聞こえた。
「もしかして、俺がなにかあなたに期待させるようなことをしてしまいましたか」
「え?」
思わず顔を上げた。泱二さんは冷めた目をしていた。
「俺には今、付き合っている人がいます。俺はふたり同時に愛情を注いだりはできないタイプで。だから申し訳ないんですが――」
「ちっ、違います!」
咄嗟に否定した。泱二さんから決定的な一言を聞いてしまったら、もう二度と泱二さんに会えなくなってしまう。
「違いますっ、そうじゃありません」
私は必死に――頭の中を回転させる。
「誤解です。私はっ、泱二さんに、西園寺さんとの仲を取り持ってほしくて」
神様の手助けみたいに、その嘘が空から降ってきた。そして口にしたら気分が乗ってきた。
「泱二さんと親しくなったら、西園寺さんに私をプッシュしてもらえると思ったんです」
私の言葉が意外だったようで泱二さんはぽかん、とした。
「それにはまず、私のこと知ってもらわないとって。だから私……」
私は下唇を噛む。
「――あ、なんだ、……そうだったんですね」
泱二さんの頬に羞恥心が表れた。片手で口元を覆っている。「そうとも知らずに先走って、いろいろとすみませんでした」
私は、左右に大きく首を振る。
「私、誤解されやすくて……、だから泱二さんが悪いんじゃないですっ」
「いや……、なんか無駄にひどい態度取った自分が情けないです。本当にすみませんでした」
「もう謝らないでくださいっ。ただ、そんな事情なので、よかったら私とお友達になってくれたら嬉しいです」
「あ、はい。それは、もちろんです」
「!」
泱二さんが微笑んでくれて、私の視界がぱあっと華やぐ。……ああ、なんて色気のある笑顔なんだろう。好き……。
「じゃあ、LINE交換してもらってもいいですか?」
「そうですね」
泱二さんから警戒心が消えた。私に冷たくした罪悪感かもしれない。そこを利用しているようで申し訳ない気持ちもなくはないけれど、私が泱二さんの態度に傷ついたのは本当だからいいよね?
私は真剣な表情を作って泱二さんを見上げる。
「私も相談に乗ってもらいますが、私ばかりじゃ申し訳ないので、泱二さんの相談にも乗らせてもらいたくて」
「ああ、なるほど。だから俺の心配を」
「そうなんです!」
「ありがとうございます。でも俺の方は大丈夫なので、サチさんの応援だけさせてもらいますよ」
ふふ、と唇を閉じたまま泱二さんは笑った。
――ああ、本当に、好き。
この笑い方、好き。
私は泱二さんを見上げながらお返しとばかりに、私が一番得意な、私を好きな男たちをいつもぼぅっとさせてきた『必殺スマイル』で微笑みかけた。三日月の目と、窄めた唇、無邪気で、そして愛らしさ満載のこの笑顔に落ちない男なんていないんだから。
「――じゃあ、そういうことで、俺はここで失礼しますね。気を付けて帰ってくださいね」
手を上げてくれる泱二さんに、私も胸の前で手を振り返す。名残惜しいけれど、今日の収穫はその寂しさを完璧に埋めてくれた。私たちは“ここから”始まるのだ。
「メールしますね」
私は泱二さんの背中に言った。
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