地球は生命という病

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地球は生命という病

 彼は病んでいた。  見渡せる範囲に彼と同じ病気の仲間はいない。  何億という同胞の中で、彼だけがこの奇病を患っていた。  治療が全く行われなかったわけではない。  過去五度に渡って大きな治療がなされたが、いったん全滅したと思われたウイルスは、また繁殖して彼を蝕んだ。 「……と、いうようなものだ」  国連主催の環境問題対策会議の席で大衆を前に、壇上の机から中年男性の博士がそんな喩え話を終えた。 「意味がわかりませんね」  うら若き女性自然保護活動家が、同じ壇上の対面する机の席でそこに異を唱える。 「いったい何の比喩だと仰るのですか?」  二人の間には巨大モニターが設置され、環境問題に関する資料を映していた。  照明の落とされた広大なホールで、その画面の光はこうこうと輝いている。 「〝彼〟の部分を〝地球〟に、〝ウイルス〟の部分を〝生物〟に置き換えてほしい」  博士のそんな返答に、活動家は首を傾げて疑問を重ねる。 「あなたはわたしたちの環境保護活動に懐疑的なのでは? 人類の環境破壊から地球を護ろうというのが、わたしたちの主張です。人が地球を蝕むウイルスとするなら、こちらの言い分と同じになるはず」  活動家は、誇らしげに己が胸へ手を当てた。  まさしくこの討論の場は、ある自然環境保護団体とそこに疑問を挟む団体、両陣営の代表である二人のために用意されていた。先ほど活動家側が一通りの主張を終え、今は対立する博士の番だった。 「ウイルスを人類に喩えたわけではない」博士は自身の眼鏡をくいとあげ、相手の指摘を否定する。「全生物が、地球にとってウイルスのようなものとしたのです」  会場がざわついたが、構わず彼は続けた。 「そして過去五度に渡って地球に行われた治療というのは、ビッグファイブと呼ばれる地球生命の大量絶滅のことだ」 「大量絶滅が治療?」 「そう」  活動家が疑問を挟む余地を与えず、博士は続けた。 「地球、いや宇宙にとっては人類どころか全ての生物がいようがいまいがどうでもいいからね」 「いいえ、それは困るはずです」 「誰が?」活動家の反論に、博士は矢継ぎ早に質問を重ねる。「地球がいつ困ると言った? 他の植物や動物がいつ困ると言った? 環境破壊で困ると言っているのは、他ならぬ人間だけじゃないか」  二人の間にある大画面モニターに、つたない絵画の数々が表示された。いずれも、擬人化された地球が、森林破壊や大気汚染、資源枯渇、などの環境破壊に悲しみの涙を流しているものだ。 「これは各国で行われた、環境保護を訴えるポスターのコンクールで、入賞した子供たちの描いたイラスト群だ」資料を提示した博士は継続する。「作品としては素晴らしい。が、現実としては幻想だ。いつ、地球が泣いた? かつて地上を支配した恐竜が絶滅しかけたとき、こんなポスターを描いて警鐘を鳴らした恐竜がいたか? ノーだ。だが恐竜が絶滅してくれねば、人類が栄える環境にはならなかった。人が滅んでも、また新たな種が栄えるだけだろう。仮に次の生命が誕生しなくとも、地球は泣いたりしない。そんな感情は人間の妄想だからな」  次いで、映像が切り替わる。  今度表示されたのは、やはり子供が描いたらしき絵の数々のようだが、何かのポスターではなさそうだった。共通するのは、擬人化された地球以外の星が描かれている点だ。  流れ星や月、太陽がにこにこ笑っている。 「こちらは日常の子供の、素敵な絵だな。だがやはり、よく見られる星の擬人化がある」博士は言う。「なのに、何で太陽や月や他の星々は泣いてないんだろうな。さっきの価値観からすればおかしいじゃないか。それらの星は地球より生物がいない、命の生存できない星だというのに」 「それは……」  ようやく口を開きかけた環境保護活動家を遮って、博士は銀河系の映像に切り替えて演説する。 「それどころか、現在人類が観測できる何億、いや数えきれないほどの星々には、未だ地球のような動植物なんて確認できない。星を擬人化して感情があるように語るなら、地球こそ一人だけ植物や動物といった生き物がいる異常な状態というこだ。他の普通の星々からは哀れまれてるんじゃないかね。もしかしたら生物の拡散する種を、他の星々は恐れているかもしれない。ウイルスの感染を恐れる人のように、頼むから宇宙進出などしてこっちの星にまで来るなってね」  活動家は机上を叩いてがなった。 「それだって、あなたが星の感情を勝手に妄想してるだけじゃない!」 「その通り」博士はあっさり認める。「しかし、人間の感情を持ち込むならそうなるのではないかって話だ」 「じゃあどうしようっていうの? このまま環境破壊を見過ごせって!? そんなこと、あなた含む人類が困――」  言い掛けて彼女ははっとしたが、遅かった。 「そう」  その先を、論戦相手は冷酷に紡ぐ。 「人類が困るだけ。他の動物は環境保護がどうのなんて意見しないし、かつて恐竜のように大量絶滅した生物たちが住みやすかった環境では人は生きにくい。我々人類の言う環境保護は、どうやっても人間が生きやすい今の環境を保護しようという話でしかない。まずその現実を見て、それに即した環境保護をすべきという話だ。地球のためなんて偽善はいらない、人を傷つけて地球を護ろうなんて矛盾したエコテロリストなどは本末転倒だ」  映像が切り替わった。一枚の写真だ。  どこかの倉庫のような暗がりに、武装した男たちが写っている。うちリーダー格らしき人物が、今スクリーンの前にいる女性環境保護活動家と互いに笑顔で握手をしている様の隠し撮りだった。  会場内が一際大きなどよめきに包まれ、活動家は蒼白となった。 「あなた」博士は容赦なく相手を指差し、断定した。「環境保護のためと人々を殺傷する、国際的に問題視されているエコテロリストに密かな支援を行っていますよね。証拠はこのようにもうつかんでいる。こうした対応が、おかしいと言ってるんですよ」  議論はあらゆるメディアで世界中に生中継されていた。情報を拡散する種は、撒かれたのだ。
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