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その声に逆らえないことは知っていた。兄はゆっくり振り返った。
何度か瞬きした。
遠くに何か小さな青い光が閃いたような気がしたが、遠すぎてよくわからなかった。
再び、ささやき声がした。
――頑張ったわね。
それを最後に、その声は聞こえなくなった。
兄はまた前に向き直った。
何だか悲しくなった。なぜだ。そうだ。
真っ暗でもう見えなかったが、振り返った先には、おれたちが旅立った街があるんだった。
こんなに遠くまで。もう帰れない。
目が霞んできたような気がした。
「お兄ちゃん。あの……先に行った人、死んだだろうか」弟が不安げな声を出した。
「いや。死んじゃいないさ」兄は弟を安心させたかった。「死んだように見えても……おれたちは。眠るんだよ。誰かが起こしてくれるまで」
「誰も起こしてくれなかったら」
「そのときはずっと夢を見る」
「こわい」
「大丈夫。街の人たちはおれたちのことを忘れちゃいない」
その言葉を、弟が少し安心したように繰り返した。「忘れちゃいない」
しばらくして、兄がぽつりと言った。
「もうすぐ分かれ道だ。おれは北へ、お前は南へ行く」
「お兄ちゃん、元気でね」
「お前もな」
二人はこの会話を最後に、あとは黙った。
分かれ道を過ぎたら、どうせ声は届かなくなる。
弟はもう一度辺りを見回した。暗闇の中、星だけが誘うように輝いている。
頭の中で、かちり、かちりと音がする。
音がするたび、眠気が強くなる。
さっきまで寂しさしか感じなかった暗闇が、優しく自分を包み始めた。
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