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許嫁
華族の子女には、決まった生き方がある。
それは子供の頃から当たり前だと思っていた世界で、言葉に出すことはできないけれどそれ以外の人生は無いすら思っていました。
「日下部家との婚姻は柚子がすることとする」
だから、父がそう言った瞬間も頭を下げる事しかできませんでした。
ずっと、ずっと私と結婚すると思っていた人は妹と結婚する。
そう父が言うのに、口答えするなんて選択肢は私にはない。
私の許嫁だった人はとても穏やかな人だった。
言霊を使える家同士力を次代に残すための婚姻だと知っていたけれど、それでも将来へのあこがれは確かにあったのに、今はよく分かりません。
少しだけ涙が滲んでいるかもしれない。
けれど、父も母も妹も私には目もくれない。
当たり前の事なのかもしれません。
言霊の力を私は持っていない。
それどころか、私は話すこともできません。
言霊の力を守っていくことが大切だと教わりました。
私に言霊の力が無いのなら、そうすべきなのかもしれない。
ちゃんと分かっているのに、指先が震えてしまう。
これから私はどう生きて行ったらいいのか分からない。
けれど、それを伝えるための声を私は持ち合わせていないのです。
「それで、綾は――」
父が私の名前を呼んだことに気が付いて顔を上げる。
相変わらず厳しい表情のまま、父はこちらを見て、それから目を細めた。
それが、可愛いものを見たときのそれとはまったく違う侮蔑を含んだものだと、きちんと理解している。
自分がこの家にとって、いらない人間なことは、もうとっくに理解はできている。
「戸田は知っているか?」
吐き捨てる様に父が言った。
知っている。
私達の一族の様に声を使った言葉で言霊を使うのではなく、墨で書いた文字が言霊となる一族の一つ。
頭をもう一度下げて知っている旨を伝えると、父はふんとため息をついた。
「そうか。綾、お前にはその戸田家に嫁いでもらう」
話は終わったとばかりに父は私から視線をそらす。
細かい説明も、戸田家の誰に嫁ぐのかも、何も父から説明はありませんでした。
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