幸せになった娘たち

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幸せになった娘たち

 それほど遠くはない昔のことです。  とある豊かな王国の辺境に、旅人達の宿として栄えていた町がありました。よその国へ旅する街道は他にもいくつかありましたが、その町は旅の商人に人気があって、特に栄えていました。  それは町に飾り窓の館があったからです。窓の外枠が赤、青、黄色いろんな色で飾り立てられていました。それは娼婦の館の印でした。  その娼館には五人の、若々しい年頃の、それはみめ麗しい少女たちが働いていました。娘たちはみな、身寄りがないか、親に売られた悲しい身の上でしたが、夜ごと町を訪れる旅人達や、旅人たちを相手に商売をして稼いでいる町の男たちにたいそう可愛がられて、それなりに楽しく暮らしていました。  その町の人たちは、それぞれ小さな畑で麦や野菜を育て、旅人相手の商売をその合間にやって、なんとか暮らしを支えていました。  町の市場の横には古い教会がありましたが、都から遠いからか、長いこと神父さんなどが不在で、町の人たちもすっかり教会の事など忘れていました。  ある年の春、突然都から一人の修道女様が町の教会を訪れました。修道女様は町の人たちを教会に集めて、暮らしぶりをお尋ねになりました。  その修道女様は、宿屋や旅人向けの商品を売る店などの繁盛ぶりの話には、ニコニコと嬉しそうに耳を傾けておられましたが、娼婦の館の話を聞いた途端、お怒りになりました。 「なんというふしだらな! 神様のお怒りに触れて町を滅ぼされたくなければ、すぐにそんな飾り窓の館など、閉めておしまいなさい」  娼館の主である老女が、おそるおそる修道女様にお尋ねしました。 「お言葉ではございますが、うちの女の子たちは身寄りも行くあてもない者たちでございます。私はこれまでの商売で蓄えたお金がありますので、今後の生活はなんとかなりますが、あの子たちの生活まではとても見てやれません。この子たちはどうしたらよいのでしょうか?」  修道女様はきつい声で、娼館の少女たちにお尋ねになりました。 「あなたたち、今の生活は幸せですか?」  一番年長の、と言ってもまだ二十歳にはなっていない、長い金髪の娘が答えました。 「それなりに幸せだと思っています」  青い瞳の娘、赤毛の髪の娘、緑の瞳の娘、そして褐色の肌の娘も同じように答えました。修道女様は、さらにきつい口調になって、こう申されました。 「それは本当の幸せではありません。悪魔が与えた偽りの幸せです。この娘たちは娼婦をやめて、ちゃんとした仕事で生きていくべきです。この娘たちの今後の暮らしは、町のみなさんが面倒を見てやればよろしいではないですか?」  自分の亭主が娼館に通う事を、内心いまましく思っていた町のおかみさんたちが、「それはよい考えです」と賛成しました。町の男たちは最初は不満そうでしたが、修道女様から「神の教えに反する」と言われて考えを改め、飾り窓の館の店じまいに最後は賛成しました。  修道女様が次の年の同じ季節にまた様子を見に来ると言って旅立たれた後、町の娼館は商売をたたみ、主の老女は館を娘たちの住む家として彼女たちに譲り、自分は生まれ故郷の村へと帰って行きました。  町の人たちは最初、修道女様のお言いつけに従って、毎日交代で元娼館に住む娘たちに、食べ物や身の回りの物を与えていました。  ですが、夏の初めの頃、町の若者たちが不満を口にし始めました。自分たちは毎日、畑仕事や商売の手伝いをして生活の糧を稼いでいるのに、元娼婦の娘たちだけが何も仕事をしないで暮らさせてもらっているのは不公平だと文句を言ったのです。  町の若者たちが、仕事をするのは嫌だと言い始めたので、町の大人たちも困ってしまいました。また、娼婦の館がなくなってしまったため、旅の商人たちが他の街道を通るようになってしまったので、町の商売は以前ほど儲からなくなってもいました。  町の大人たちは、娼館にいた娘たちにも働いてもらうよう説得し、若者たちの不満を解決しました。  ですが、娼館で男たちを楽しませる事しか知らない五人の娘たちは、畑仕事、荷物運び、掃除、洗濯、裁縫、料理、何をやらせても、小さな子どもにも劣る働きぶりで、最初は親切だった町の大人たちも段々いらいらする事が多くなりました。  秋の初め、町の周囲一帯をひどい大嵐が襲いました。収穫を目前にした麦などが、なぎ倒されてその町の畑は全て、今まで聞いた事もないほどの、ひどい不作になってしまいました。  市場ではパンや野菜や果物の値段が倍になり、元娼婦の娘たちに分けてあげられる食べ物の余裕がなくなってしまいました。働かせても役に立たない娘たちは、次々に仕事をクビになってしまい、五人でまた元娼婦の館にずっと閉じこもって暮らすようになりました。  秋も深まったある夜、町のはずれの牧場で、ロープに小さな木の板をたくさん括りつけた、忍び込んだ泥棒を知らせるための仕掛けが音を鳴らしました。牧場の主はボウガンを持って家を飛び出し、牧場の息子は大きな番犬を鎖から解き放ちました。  闇の中で、鳥小屋の隙間から卵を盗もうとしている人影が見えたので、牧場の息子は番犬に襲えと命じました。牧場の主は、肉の燻製小屋に忍び込もうとしている人影めがけて弓を放ちました。  鳥小屋の人影には番犬が飛びかかり、その喉笛を咬みちぎりました。燻製小屋の人影にはボウガンの矢が命中し、二人ともその場で死んでしまいました。  松明で二人の泥棒の姿を照らして見た牧場主とその息子は驚きました。それはあの元娼婦の館に住んでいる、緑の瞳の娘と褐色の肌の娘だったからです。  夜が明けて牧場主から話を聞いた町の人たちは、最初は驚き、その驚きはすぐに怒りに変わりました。 「これまで面倒を見てやったのに、何という恩知らずな! こんな奴らに墓なんか作ってやる必要はないだろう。崖から投げ落として狼に餌にしてしまおうじゃないか?」  町の人たちも、その通りだと叫んで、二人の娘の亡骸を本当に町はずれの崖から放り投げてしまいました。残った三人の娘にも、食べ物を分けてくれなくなる人が増えました。  寒く厳しい冬が来ました。初めて雪が積もった日、森に薪を集めに行った男たちが、地面に倒れている娘を見つけました。それはあの元娼婦の館に住んでいる赤毛の髪の娘でした。  手には毒キノコを握りしめていて、そばの地面にはキノコの芯がいくつも散らばっていました。白く艶やかだった肌の、喉と胸に自分ではげしくかきむしった跡がありました。もう息はなく、体はすっかり冷たくなっていました。  遺体を町に運ぶと、町の大人たちが集まって来ました。町のおかみさんの一人が言いました。 「きっと食べる物がなくなって、森にキノコを食べに行ったのよ。間違って毒キノコを食べてしまったようね」  娘の亡骸を最初に見つけた男が、食べ物をあの元娼婦の館に誰か持って行ってやってっくれないか、と頼みました。でも町の人たちはみんな黙って下を向いてしまいました。町の商売が廃れ、ひどい不作の後の事で、どこ家でも自分の家族、特に子供を飢えさせない様にするだけで、精一杯だったのです。  誰かが、牧場に忍び込んだ二人の娘も、お腹が空いて我慢できなかったのじゃないか、と問いかけました。町の人たちはハッとした顔になりました。  町の人たちは、赤毛の髪の娘を町はずれの墓地に埋葬してやり、亡骸がなくなってしまった緑の瞳の娘と褐色の肌の娘の分も、墓標を立ててやりました。  一年で一番寒い時期になりました。ひどい吹雪の夜、町の加治屋のおじいさんの家の戸を叩く音がしました。おじいさんがドアを開けると、元娼館の金髪の娘がぼろぼろになった毛布で体を覆い、震えながら雪の中に立っていました。 「お願いです。薪を少しだけ分けていただけませんか? 青い瞳の子がひどい熱を出して寝込んでいるんです」  若い頃、娼婦の館の主であった老女に、いろいろ親切にしてもらっていたおじいさんは、さすがに気の毒に思えて、薪を一束家の奥から持ってきて金髪の娘に渡しました。娘は言いかけました。 「あの、それから、出来たら……」  その時、おじいさんのお腹がグーと大きな音を立てました。おじいさんもその日の朝、粗末な麦粥を食べてから、何も食べていなかったのです。  金髪の娘は、その先を言うのをやめて、薪のお礼を言って、よろよろとした足取りで雪の舞う闇の中へ歩いて行きました。  翌日、加治屋のおじいさんから話を聞いた町の人たちは、久しぶりに元娼館へ行ってみました。ドアに鍵はかかっていなくて、簡単に中まで入れました。娘たちを呼びながら館中を探し、暖炉のある部屋で二人を見つけました。  二人はお互いの体を温めようとしたのか、たった一枚の毛布にぴったり寄り添ってくるまって、そのままの姿勢で息絶えていました。暖炉には火をくべた跡がありましたが、もう長い間ろくに食べていなかった娘たちの体は、とうとう寒さに耐えられなかったのでしょう。  町の人たちは、二人の娘の亡骸を、先に死んだ三人の娘のすぐそばに、丁重に葬ってあげました。  ながくつらい冬が終わり、再び春がやって来ました。ほどなく、あの修道女様が町を訪れました。宿屋の主人が町の中を、一通りご案内しました。あの娼婦の館は今はもう住む者もなく、すっかり荒れ果てておりました。それを見た修道女様は満足そうに微笑んで、宿屋の主人におっしゃいました。 「大変すばらしいお心がけです。神様もお喜びでしょう。それで、ここで働いていた娘たちは今どうしていますか?」 「今は、ある場所で幸せに暮らしていると思います、シスター」 「それはどこですか?」 「神の御許でございます、シスター」  怪訝そうな表情をする修道女様に、町はずれの墓地を指で指し示しながら宿屋の主人は言いました。 「神の教えに従って人生を全うしたのですから、そこで幸せに暮らしているはずでございます。せめてそうであって欲しいと、この町の者はみな、そう思っております」
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