酒飲みと王都総督の仁義なき戦い

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酒飲みと王都総督の仁義なき戦い

 そう遠くない昔のお話です。  世界中に今まで聞いた事もない、新しい流行(はや)(やまい)が広まりました。  なにぶん細菌やウイルスの存在さえ知られていない世界での事ですから、原因も治療法も分かりません。  それは東の海で囲まれた、とある島国の王国でも同じでした。その流行り病にかかる王都の民の数が毎日千人を超えたため、国王は王都に「公衆衛生上の戒厳令」を宣言しました。  具体的に何をどうするかは、王都の治安をつかさどる総督様に任せる事になりました。  その病気が人から人へ伝染する事は早くから分かっていました。医術を専門とする魔法使いたちが調べたところ、人間の口や鼻から出る唾が宙に漂うと、近くにいる別の人が感染する事までは分かりました。  大洋の向こう側の大国で、その病気を治す事ができる薬草が発見されました。島国の王国はその薬草を売ってくれるように頼みましたが、その大国は自国の民に与えるのが先だと言って、ほんの少ししか薬草を分けてくれません。  そこで王都の総督様は、王都の全ての料理屋と酒場に、日が暮れたら店を閉めるように命じました。  王都の民は大勢で集まって酒を酌み交わしながら食事をする事を好んでいたからです。  一日中閉めさせると、独身の働き手の男たちが食事をする場所がなくなるため、普段より短い時間での営業に留めたのです。  すると、男たちは日暮れ前に酒場へ押しかけ、いつもより早い時間に一斉に一杯やるようになりました。その夕方の時間帯に酒場がごった返すようになったので、病気の感染者はかえって増えました。  そこで総督様は、酒場や料理店に酒を客に出してはならないと命じました。医術を司る魔法使いたちが言うには、酒が入って酔っぱらうと人は陽気になって大きく口を開けて大声で話すので、病気が伝染しやすくなるのです。  酒場や料理店の主人たちは売り上げがすごく減ってしまうので大反対でしたが、総督様の命令に逆らうわけにはいきません。泣く泣く、店の扉に「当分お酒はメニューにありません」という張り紙を出しました。  ところが夜の街の通りでは、酔っぱらって店から出て来る者の姿が相変わらず見られました。  不審に思った総督様の部下のお役人たちが店の中を調べると、相変わらずラム、ジンなどの透明で強いお酒の入った木のカップが客に出されています。  お役人たちが問い詰めると、店主たちは口をそろえてこう言いました。 「いえ、これは酒ではございません。病気の感染を防ぐための、手を消毒する薬品でございます」  総督様はこれを聞いてたいそうお怒りになりました。 「見え透いた嘘にも程がある。よし、そう言い張るなら錬金術師を派遣して中身を調べさせよ」  さっそく錬金術師が酒場と料理店に派遣され、中身を調べました。そして意外な事を総督様に報告しました。 「総督閣下。おそれながら、閣下が使用を推奨している消毒薬品の成分と、あれらの店でカップで出している液体の主成分は同じ物でございます」  現代の科学では、この成分はアルコールである事が分かっています。お酒を飲んだ人を酔っぱらわせるのも、消毒液の形で病原菌を殺菌するのも、どちらもアルコールなんですね。  だが、消毒液なら客が口に入れて飲んでいるのはおかしいではないか? そう問い詰めるお役人たちに、店主たちは口をそろえてこう答えました。 「いえ、そう言われましても。お客に出した物をどうするかは客の自由というものでして。わたしどもがいちいち指図するわけには参りません」  この報告を聞いた総督様は、ますますお怒りになり、全ての酒場と料理店に客に液体状の物を出してはならぬと命令なさいました。  水すら出せなければ、屁理屈をこねて酒を飲ませ続ける事はできないだろうと考えたのです。  王都の全ての酒場と料理店が、総督様の剣幕に驚いて、命令に従うと誓いました。  しかし、今度は酒場と料理店の店主たちは店の扉に「お酒の持ち込みできます」と張り紙を出しました。  店側が客に酒を出しているのではなく、客が自ら勝手に持ち込んで料理を食べながら飲んでいるのだと言うのです。そのために店主たちは自分たちの店のすぐ側に、小さな万屋(よろずや)をたくさん開き、小間物と一緒に小さな瓶入りの酒を売らせていたのです。  この報告を聞いた総督様は、さらにお怒りになり、一切の「飲み物」を客に店内で飲ませてはならぬと命令しました。酒場近くにある万屋も当分の間店を開けてはならぬと命じました。  すると今度は、町の広場や道端で、ベンチや地面に座り込んで酒盛りに興じる男たちの姿が見られるようになりました。次第に女の姿も増えてきました。  総督様が部下のお役人たちに調べさせると、こういう事でした。その民たちは自分の家から木のカップや瓶や壺を持って酒場へ行き、そこで金を払って酒を自分の持っている容器に入れてもらい、店を出て、広場や道端で飲むようになっていたのです。  また問い詰めに来たお役人たちに、酒場と料理店の主人たちは口をそろえてこう答えました。 「総督様が禁止なさったのは、店内で酒などの飲み物を飲ませる行為のはずでございます。わたしどもは、酒の小売りをしているだけでございます」  総督様はますますお怒りになり、全ての酒場に一日中店を開けてはならぬ、と命令しました。  料理店も全て閉店させようとしましたが、それでは店主たちが生きていけなくなるという、商人ギルドのとりなしがあって、酒を飲ませても、売っても、持ち込ませてもならぬという命令を聞いた店には、一日あたり銀貨3枚を与えるという妥協案に同意しました。  さらに酒を造っている酒蔵業者に、一切の出荷を禁じ、こっそり運び出す者がいないように、騎士団に厳重に監視させました。  しかし、そこは魔法が存在する世界の事です。抜け穴はまだいくらでもありました。  どうしても酒が飲みたい民は少しずつ金を出し合って、数人の魔導士を雇いました。この魔導士たちは水を酒に変える魔術を使える者たちで、町のあちこちの井戸の水を酒に変えました。  その井戸の位置は毎晩変えて、酒飲みの民は老いも若きも男も女も、あらかじめて示し合わせてその井戸の周りに集まって酒盛りを開きました。  総督様はいよいよ激怒なさって、王都の騎士団を総動員し、町中の井戸に見張りをつけました。  その王都はちょうど雨の多い季節に入っていました。夜に雨が降ると、あの魔導士たちがその雨をワインやラム酒に変えました。  王都の民の酒飲みたちは、窓から顔を突き出して、上を向いて口を開けていれば酒が飲めます。  夜に雨が降る度に、大勢の王都の民が外へ繰り出して、天から降って来る酒を飲み、ついでに歌い踊って、乱痴気騒ぎをしました。  総督様はその魔導士たちを捕らえるようにと、騎士団に命じました。しかし、黒魔術に長けた魔導士相手ですから、そう簡単には捕まってくれません。  さらに王都の民たちも、取り締まりに協力するふりをしながら、裏でこっそりその魔導士たちをかくまったり、逃がしてやったり、ひそかに手助けしていたので、このいたちごっこは二年が経った今もずっと続いています。  ここまで読んだみなさんの中には、なんて横暴な総督だろうか、と思った人もいるかもしれまん。  ですが、この総督様は民の命と健康のために、必死の自分の義務を果たしていたのです。  あの病気の特効薬である薬草が、海のかなたの大国から大量に運び込まれて、とっくに流行り病が収まっていた、この事に気づいていてくれさえすれば、ほんとうに立派な総督様だったと言えるのですが……
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