蛮族の襲来、あるいは抑止力という概念

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蛮族の襲来、あるいは抑止力という概念

 それほど遠くはない、昔のお話です。  とある海辺の丘の上と丘の下に、二つの城壁で囲まれた町がありました。その一帯はかつて、多くの小さな国が戦争を繰り返していました。だから、ある程度の大きな町は、みな城壁で囲まれているのです。  その二つの町がある時、北の最果ての地から大きな船に乗って攻めてきた蛮族に襲われました。丘の上の町も丘の下の町も、ただちに人々を城壁の中へ避難させ、固く城門を閉ざしました。  けれども、蛮族は千人を越える大群で、城攻めの兵器まで持っていました。丘の上の町は、王様の住む都へ伝書鳩を飛ばし、救援を求めました。  半月が経った頃、都から近衛騎士団を引き連れた騎士様が救援に駆けつけました。騎士団はまず丘の下の町に着きました。  勇敢な騎士様も思わず目を覆いました。町の城壁は二か所でもろくも崩れ去っていました。投石器という、大きな岩を遠くまで投げ飛ばす仕掛けの兵器を、蛮族が使ったのでしょう。  城壁の中に入ると、騎士様も兵士たちも思わず鼻を手で覆いました。町の建物は扉がことごとく打ち壊され、中には火を放たれた物もありました。  建物の中にも、町の広場にも、道の真ん中にも、何百という死体が血まみれで転がって、カラスにつつかれるままになっていました。  生き残った者がいないかどうか、騎士団は町の隅々まで探し回りましたが、一人も見つける事ができませんでした。  あきらめて騎士団は、丘の上の町に向かいました。近づくにつれて、丘の上の町の城壁は壊れていない事が分かりました。城門も壊れていず、閉じたままです。団長の騎士様が城門の内側に大声で到着を知らせると、城門が開き、町の人たちが、ある者は安堵の笑顔で、ある者はうれし泣きの涙を流しながら、出迎えてくれました。  町の中心の広場まで馬を進め、騎士様は町の誰かに事情を聞きたいと申されました。 「私は国王陛下の命により、救援に来た騎士である。この町の長か誰か、おらぬのか?」  一人の老人が人ごみをかきわけて騎士様の馬の横にひざまずきました。そして、その町の長老の代表者だと名乗りました。騎士様は馬から降りて、長老に声をかけました。 「この度は大変な災難であったな。蛮族はどこにおるのだ? 姿を見かけなかったが」 「国王陛下と騎士様に感謝いたします。蛮族は既に故郷へ引き上げました」 「丘の下の町を見てきた。あれは蛮族の仕業か?」 「はい。助けに来ていただいた事は、まことにありがたいのでございますが、丘の下の町については、三日遅過ぎましてございます」 「見るも無残とはあの事。しかし、この町はよく無事であったな。丘の下の町とさほど離れてはおらぬのに」  長老は騎士様に詳しくご説明するため、町の中を案内しました。城壁の内側の要所要所に置かれた武器を騎士様にご覧いただきました。 「蛮族に包囲された時、私どもはありったけの武器を集めて迎え撃つつもりでございました。こういう事もあろうかと、都から来た商人からあれも買っておきました」  長老が指さしたところには、木で出来た大きな二つの車輪のついた、鉄の巨大な筒がありました。それを見た騎士様は驚きを隠しませんでした。 「なんと! あれは大砲とかいう新兵器ではないか。都の近衛師団でさえ、三年前に導入したばかりと聞いておる。そのような物まで持っているとは。なるほど、これだけの武装で蛮族を撃退したと申すか? 町の平民だけの力で?」 「いえ、とんでもございません。大砲はおろか、私どもは弓矢の一本とて使ってはおりません。蛮族とは一切戦闘は起こらなかったのです」 「戦っておらぬと? なぜ蛮族はこの町だけを襲わなかったのだ?」  長老は騎士団の兵士たちに食べ物や飲み物を配って回っている、町の若者たちを指さしながら騎士様に答えました。 「町の若い者たちがこう提案したのです。蛮族とて同じ人間なのだから、酒を酌み交わして話し合えば解決できるはずだと。そこで葡萄酒の樽を城門の外へ運んで話し合いました」 「なんという豪胆な! それでどうなった」 「話を聞いてみれば蛮族にも気の毒な事情がございましてな。ただでさえ実りの少ない北の地が大変な不作に見舞われ、仕方なく食べ物を求めてこの地を襲ったようなのです。幸い、この地方は稀に見る豊作でございましたので、蛮族が運んでいた毛皮と麦を交換するという事で話がついたのでございます」 「なるほど、戦わずして、話し合いで蛮族と事を納めるとは。頼もしき若者であることよ!」 「まったくでございます」 「それで分かった。丘の下の町は、蛮族と真っ向から戦ってしまったのだな?」 「いえ、とんでもございません」  長老は激しく首を横に振りました。 「実は一人だけ、死体の山に埋もれて一命を取り留め、この町に逃げ込んだ丘の下の町の者がおりまして。残念ながら傷が癒えず死んでしまいましたが、丘の下の町の様子は詳しく聞く事ができました。あの町でも、若者が蛮族と酒を酌み交わしながら話し合おうとしたのです」 「こちらの町と何が違っておったのだ?」 「丘の下の町は、昔の長い戦乱の反省から、武器と呼べる物を一切町に置いていなかったのでございます」 「武装していなかったと申すか?」 「はい、私どもの町ともめ事があった時も、決して武力に訴えず、全て話し合いで解決してきた、平和を愛する人たちでございました。痛ましい事でございます。男は皆殺しにされ、生き残った女子供は鎖に繋がれて連れて行かれました。今頃蛮族の奴隷にされて地獄のような思いをしていることでしょう」  長老は丘の下の町がある方向に目をやりながら、悲しそうに言いました。 「まったくもって、蛮族の考える事は私どもには理解いたしかねます。城壁の上にありったけの武器を並べて迎え撃とうとした私どもの、話し合いで解決しようという呼びかけには素直に応じたのに、武器を何も持たず、抵抗する素振りも見せなかった丘の下の町には、同じ呼びかけに応じず、有無を言わせず襲いかかり、破壊と殺戮の限りを尽くしたのですから」
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