ある錬金術工房の盛衰記

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ある錬金術工房の盛衰記

 それほど遠くない、昔のお話です。  広大な帝国の片隅に、貴族の男爵様が治める領地がありました。その領地には麦や野菜を育てる農村が見渡す限り広がっていましたが、土地がやせていて、領民は食べるだけで精いっぱい。  領民がみんな貧しいので、税を取り立てても大したお金は男爵様の金庫にも入って来ませんでした。だから男爵様は貴族と言っても、ほんのちょっと大きな屋敷に住むだけの、貧乏貴族でした。  ある時、一人の錬金術師が男爵様に話を聞いてほしいと言って、やって来ました。もう日が暮れて暗くなっていた時刻だったので、男爵様は正直面倒でしたが、領地を豊かにする方法を教えると言われたので、半信半疑で謁見を許しました。  まだ老人と言うほどではない年の錬金術師は、懐からガラス玉を取り出し、表面を三回撫でました。するとそのガラス玉がまばゆい光を放ち、部屋中をまるで昼間のように明るくしました。どんな大きなシャンデリアよりも明るい光を、掌に乗る程度の大きさのたった一個のガラス玉が放って見せたのです。  驚いた男爵様が錬金術師に、それは何かとお尋ねになると、錬金術師は自信たっぷりの口調でこう言いました。 「これは私が長年の研究の末に開発した、ロウソクやランプに代わる夜の灯りでございます。特徴は火を一切使っていない事でございます。どれほど家の中を明るく照らしても、火事を起こす心配がございません」  男爵様はたいそう感心して、黒々と長く伸ばしたあごひげをしごきながらさらにお尋ねになりました。 「そのガラス玉を買えと言うのか?」  ところが錬金術師は思いがけない答をしました。 「いえ、この光るガラス玉は、作り方の工程を大勢の人間で分担すれば、いくらでもたくさん作る事ができます。男爵様には、この土地で私がこの光るガラス玉を大量に作るための工房を建てる事を、ご援助いただきたいのでございます。このガラス玉は必ず高い値段で売れます。もちろん、儲けの中から男爵様への分け前はお支払いいたします」  男爵様は、ダメでもともとだと思い、その錬金術師に領地内でギルドと呼ばれる職人の組合を結成する事をお許しになり、小さな水車小屋を貸してやりました。  錬金術師は数人の村人を職人として雇い入れ、最初の二カ月で十個の光るガラス玉を作って、男爵様の領地内で一番大きな村の市場で売りに出しました。  それまで夜の灯りと言えば、ロウソクか、植物油を燃やすランプしか知らなかった、領地内の農民たちは、その便利さに驚き、光るガラス玉はたちまち売り切れました。ずいぶん高い値段で売ったのに、です。  それを聞いた男爵様は、自分の屋敷の近くにあった、今は使われていない大きな家畜小屋を錬金術師に貸し与えて、もっとたくさん光るガラス玉を作る様に命じました。  錬金術師は、ガラスを溶かす部屋、溶けたガラスに魔法の薬を混ぜる部屋、その薬を作るために薬草を煮る部屋など、工程ごとに作業場を作り、それぞれの仕事を専門に行う職人を雇って、よりたくさんの光るガラス玉を作らせました。  光るガラス玉は飛ぶように売れました。一個の魔法の効力は一年続くので、最初に買った人たちも一年後に買い替えるため、錬金術師の工房はさらに大きく建て増しされました。  分け前をもらった男爵様も二年も経つと、たいへんお金持ちになり、遠くから大勢の大工を呼んで、石造りの立派な館をお建てになりました。  錬金術師の工房からは、毎月百個の光るガラス玉が市場に向けて運び出されるようになりました。さらに、他の貴族様の領地からも大勢商人がやって来て、一度にたくさんの光るガラス玉を買い付けて行くようになりました。  錬金術師の工房は、さらに大きく建て増しされて、城塞ほどの巨大な物になり、男爵様もさらにお金持ちになりました。  ところが、ある時期から、男爵様は工房から受け取る自分の分け前の金額がほとんど増えなくなっている事に気づきました。  錬金術師に理由を尋ねると、ギルドの職人たちが賃金をもっと上げてくれと何度も要求したため、光るガラス玉一個を作るための費用が高くなっていたのです。  光るガラス玉一個の売値は金貨十枚。一個作るためにギルドの職人には、全部合わせると金貨九枚を払っていたのです。  男爵様は職人の賃金をもっと下げろと錬金術師に命じました。ところが、それを聞いたギルドの職人たちは、「じゃあ、もう働かない」と言って、工房の庭に座り込んで毎日酒盛りをしてしまうようになりました。  それでは光るガラス玉が一個も作れなくなります。あわてた錬金術師から、その様子を聞いた男爵様は、職人の賃金を下げる事はあきらめざるを得ませんでした。  その代わり男爵様は、館の近くの村に以前からあった、仕事の斡旋屋に命じて、ギルドとは別に短期間だけの契約で雇い入れる臨時の職人を、錬金術師の工房に派遣させるようにしました。  派遣の職人は、光るガラス玉を作る工程を全部知っている必要はなく、たとえばガラスを溶かす作業だけしか命じられないので、賃金はギルドの正規職人の半分で済みます。  これで工房の、光るガラス玉一個あたりにかかる製造費用が下がり、また男爵様の分け前も増え始めました。  さらに一年が経った頃、また男爵様の分け前がそれまでほど増えなくなりました。男爵様の領地内はもちろん、周りの他の貴族様たちの領地でも、たいていの人が光るガラス玉を持っているようになっていました。  初めて光るガラス玉を買うという人はほとんどいなくなり、買っていくのは、以前に買ったガラス玉の魔法の効力が切れたので、買い替えに来たという人ばかりになっていたのです。  以前ほどたくさんの光るガラス玉が、飛ぶように売れるわけではなくなってしまったのです。そのため、錬金術師の工房は、売り上げはそこそこあり続けていましたが、儲けは減りはしないものの、大きく増えもしません。  男爵様に支払われる分け前も、減っているわけではないのですが、以前の様にどんどん増えるという風にはなっていなかったのです。  さらに悪い事に、派遣の職人さんたちは賃金がひどく安いため、自分たちが作っている光るガラス玉を買い替えられず、ロウソクやランプの生活に逆戻りする人たちが少しずつ増えてきました。  これでは光るガラス玉の売れ行きは下がる事になりかねません。錬金術師はギルドの職人たちに、派遣の職人を正規の職人にしてはどうか、と相談しましたが、ギルドの職人はみな大反対しました。  また男爵様が、職人の賃金を下げようと言い出すかもしれない、と心配したのです。それを聞いた男爵様は、ギルドに加入しない事を条件に、派遣の職人たちや、新しく雇って欲しがっていた領民を、「限定正職人」という呼び名で、今後は雇うようにと錬金術師に命じました。  たとえば、薬草を煮る仕事だけをするのは「ジョブ型正職人」、市場で光るガラス玉の倉庫の番をするだけが仕事なのは「地域限定型正職人」という具合です。  この限定正職人さんたちは、ギルドの正職人よりは、二割ほど賃金は安いのです。それでも、半分の賃金しかもらえない派遣の職人さんよりはマシだろうという事で、男爵様はどんどん限定正職人の種類を増やしていきました。  リーマン公国という山の向こうの貴族様が破産して、錬金術工房が大きな損をした時は、限定正職人だけを大勢クビにしました。自分たちはそんな場合でもクビにならない事を知ったギルドの正職人たちは、たいへん喜んで、男爵様へのいっそうの忠誠を誓いました。  ですが、ほどなくして工房から男爵様に支払われる分け前が、逆にどんどん減り始めました。調べてみると、限定正職人の種類を、男爵様自身でさえ、いくつあるのか分からないほど増やしてしまったため、職人の何十種類にも分かれた身分ごとに細かく違う賃金を計算するために、以前の十倍の数の計算係を雇わなければならなくなっていました。  限定正職人たちの賃金が安くても、計算係に払う賃金の合計金額が、それで浮いた分を上回っていたのです。その結果、光るガラス玉一個の値段は金貨十枚なのに、作る費用は一個当たり金貨十一枚が必要になっていました。  つまり、男爵様の工房の光るガラス玉は、作れば作る程、売れば売る程、儲かるどころか、損をしてしまう仕組みになってしまっていたのです。  さて、さらに一年が経った頃です。男爵様の隣の領地を治める伯爵様が、同じような光るガラス玉の工房を建設している事が分かりました。  男爵様の領地のギルドは、錬金術師を通じて、伯爵領の工房の建設をやめさせるよう、男爵様に嘆願しました。しかし、それは無理な話でした。  実は貴族同士の間でも、位の高い低いはあって、伯爵というのは、男爵より地位が高いのです。つまり、隣の伯爵様は男爵様より偉いのです。男爵様としては、自分より偉い伯爵様に命令などできるはずもありません。  さらに伯爵領の工房が完成すると、驚くべきことが男爵様の領民に伝わって来ました。なんと、伯爵様の光るガラス玉工房では、職人のギルドを作らず、する仕事が同じならば、賃金は誰でも同じになると言うのです。  また、男爵様の工房では、たとえば、ガラスを溶かす係の限定正職人は、他の工程の仕事、薬草の煮方などは、決して教えてもらえません。いろんな工程の仕事をやらせてもらえるのは、ギルドの正職人だけの特権でした。  しかし、伯爵様の工房では、たとえ何も知らない職人見習いであっても、長年一生懸命に働き、腕が良いと認められたら、全ての工程の仕事をやらせてもらえる「総合職正職人」になる事もできると言うのです。  伯爵様の工房が職人の募集を開始するやいなや、男爵様の工房の限定正職人さんたちは、一人残らず辞めて、隣の伯爵領へ引っ越して行ってしまいました。  事ここに至って、男爵様は自分が欲を出し過ぎていたことを反省し、錬金術師に残ったギルドの正職人だけで、光るガラス玉を地道に作るように命じました。  実は光るガラス玉は、丁寧に作ったかどうかで、明るさや寿命にムラがあり、質を高める事で伯爵領の工房と競うしかない、というのが男爵様の考えでした。  ところが、男爵様の工房では、改良どころか、一個の光るガラス玉すら作ることができなくなっていました。ギルドの正職人さんたちは、仕事を全部、派遣や限定正職人に任せて自分たちは机でふんぞりかえっていただけ、だったので、ガラスの溶かし方も魔法の薬の混ぜ方も薬草の煮方も、全部忘れてしまっていたのです。  その後、伯爵領にできた新しい光るガラス玉の錬金術工房は、順調に大きくなっていきました。男爵様の領地は、貧しい農村ばかりの昔の姿にすっかり戻ってしまったそうです。
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