マッチ買いの少女

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マッチ買いの少女

 それほど遠くない、昔のお話です。  とある帝国の首都の街角で、時々雪がちらつくようになった冬の初め、石畳の通りの片隅に見るも寒々しい薄着のままの服装の十歳になるかどうかという、あどけない女の子が道行く人々に声をかけていました。 「お願いです。マッチを売って下さいませんか?」  少女は小さな掌に、銅貨を山盛りに乗せていました。ですが、声をかけられた道行く人たちは、男も女も、老いも若きも、首を傾げて決まってこう答えました。 「マッチは持っていないな。いまどきマッチを使っている者はいないだろう?」  毎日毎日少女は、日の出から夜遅く、通りのガス灯が全て消えるまで、冷たい石畳の上に立ち続け、道行く人たちに「マッチを売って下さい」と呼びかけ続けていました。  少女の服は、見るからに仕立ての良い、おそらく絹でできた高級そうな物でしたが、冬の寒さの厳しいその帝国の気候では、とても寒さに耐えられそうもない、本来なら春か秋の季節に着る服です。  最初はおかしな子供だと思って相手にしていなかった町の人たちも、毎日のように少女の呼び掛けを聞いているうちに、さすがに気の毒に思い始めました。  少女が街角に立つようになって半月経った頃、立派なコートを着た紳士が、子供の掌でもすっぽり入りそうな小さな箱のような形の物をポケットから取り出し、少女に差し出しました。 「お嬢ちゃん。火をつける道具が要るのなら、これをあげよう」  その帝国では、錬金術師が小さな箱の隅の爪の先ほどの出っ張りをひねるだけで、ポッと小さな炎が出る道具を発明し、人々は火をつけると言えば、その箱を使うのが常識になっていました。  マッチなどという物は、とっくに時代遅れになっていて、使う人どころか持っている人さえ、ほとんど見かける事はなくなっていたのです。  少女は優雅な動作でスカートの裾をつまんで、体を少しかがめ、紳士に言いました。 「ご親切ありがとうございます。でも、マッチでないといけないのです」  どうやら火をつける道具がなくて困っているというわけではなさそうです。紳士は首を傾げながら立ち去って行きました。  そのうちに本格的な冬の寒さがやって来ました。降った雪が通りの石畳の隅に積もって、そのまま何日も溶けずに残る様になりました。  それでも少女はコートもマントも羽織ることのない、薄い服のままで路上に立って「マッチを売って下さいませんか?」と道行く人々に声をかけ続けていました。  どうにも理由が分からない話なので、その街角一帯で少女の噂が広まり、ある日、パン屋の老店主が少女の所へやって来ました。  老店主は小さなマッチの箱を少女に見せました。 「店の倉庫の隅に一つだけ残っておったよ。だが、ずいぶん昔の物だから、もう火はつかんかもしれんが」  少女は寒さで真っ青になっていた頬を、それでもわずかに桜色に染めて、心からうれしそうに言いました。 「ありがとうございます。一本につき銅貨一枚で買わせて下さい」  たった一本のマッチの値段が銅貨一枚というのは、とても高いのですが、老店主は少女があまりに真剣に頼むので、少女の雇い主が古い品物のコレクターか何かなのだろうと考えて、言われるままの値段でマッチを売ってあげました。  パン屋の老店主からその話を聞いた町の人たちは、家の中を隅々まで探してみました。すると、結構置きっぱなしになっている古いマッチの箱が見つかりました。  箱の中のマッチは数本しかない事が多かったのですが、少女の所へ持って行くと、やはり一本銅貨一枚で買ってくれました。  少女はよほど育ちがいいらしく、マッチを売りに来てくれた町の人たちに、その度に丁寧にお礼を言いました。  どうしてそんな少女がマッチなどという時代遅れの物を欲しがるのかは、誰にも見当もつきませんでしたが、何か複雑な事情があるのだろうと考えた町の人たちは、友人や知り合いに片っ端から声をかけて、マッチを探す手伝いをしてあげました。  少女が街角に立ち始めてからちょうど一か月目の日、宿屋のおかみさんが厨房の戸棚の中に残っていた特大サイズのマッチの箱を持ってきてくれました。  その箱にはマッチがぎっしり詰まっていました。少女は花が開くような笑顔を見せて、銅貨を入れた布の袋ごと、宿屋のおかみさんに渡しました。そしてこう言いました。 「ありがとうございます。これだけのマッチがあれば、もう充分です。みなさんのおかげで、集める事が、やっとできました」  少女は相変わらず、見ている方が震えるような、薄着のままでした。そんな少女からお金を取るのは、宿屋のおかみさんは、気が引けたのですが、少女がただでいただくわけにはいかないと言って譲らないので、仕方なくお金を受け取りました。  少女はマッチの箱を大事そうに胸に抱えて、小雪がちらつく、身を切るような冷たい北風の中、去って行きました。  どうにも少女の事が気になった宿屋のおかみさんは、こっそり少女の後をつけてみました。ずいぶん長く歩いて、少女は町はずれの高台にある、お屋敷に入って行きました。  そこは、町の中でも特に裕福な人たちの屋敷が立ち並ぶ場所でした。少女が入って行った大理石の門に彫ってある紋章を見て、宿屋のおかみさんは目を見張りました。  商売柄、おかみさんは町の事に詳しく、そのお屋敷の主人の事もよく話に聞いていました。平民ながら由緒ある家柄の、裕福な紳士で、たいへん学があり、以前は皇帝の宮殿で役人として勤めた事もあるほどの家です。  では、あの少女は、このお屋敷のお嬢様なのでしょうか? 宿屋のおかみさんは、とても気になりましたが、さすがにそのままお屋敷に入り込むわけにもいかず、その日はそのまま家に帰りました。  次の日の夜は、ちょうど宿屋の一階の酒場に、町の人たちが集まって集会を開く日でした。町の中で変わった事がないかどうか、話し合うための集会です。  宿屋のおかみさんは、思い切ってあの少女の家の事をみんなに話してみました。お金持ち相手の骨董品屋の店主が、言いました。 「ああ、あのお屋敷のご主人は、一年ほど前だったか、仕事中に馬から落ちて大怪我をしたと聞いたぞ」  薬屋の店主が、パンと手を叩いて言いました。 「それで思い出した。確かにあのお屋敷には、それぐらいの年頃のお嬢様がいる。母上は幼い頃に病で亡くなって、お父上と二人で暮らしているはずだ。そのお父上は、その時の怪我がもとで、足腰が立たなくなったんだよ。わしの所の薬でも、手の施しようがなくてな」  法律家が憤懣やるかたないという口調で言いました。 「だとしても、十歳ぐらいの子どもに、そんな仕事をさせてはいかんぞ。この帝国の法律では、十五歳にならない子どもを働かせる事は禁止されている」  寒空の下で一ヶ月も街角に立ち続けていた少女の事を知っていた町の人たちは、みんな、そうだ、そうだ、と言いました。そして次の日に、町の代表者がお屋敷を訪ねて、主人である、少女の父親に抗議する事にしました。  次の日の昼を少し過ぎた頃、町の代表として四人の男と宿屋のおかみさんが、あのお屋敷へ出向きました。門の外から声をかけましたが、何の返事もありません。  門扉は鍵がかかっていなくて、中には入れます。とは言っても、無断で家の中まで入っていいものかどうか、みんなが迷っていると、法律家が屋敷のドアが開きっぱなしである箏に気づきました。  この寒いのに、ドアが大きく空きっぱなしで、強い北風にあおられて、ぐらぐら揺れていました。もしかしたら盗賊でも入ったのかもしれないと思い、みんなは思い切って屋敷の中に入りました。  玄関を抜けて、広いリビングに出ると、バルコニーに通じるガラス戸も開きっぱなしでした。これはますます怪しいと思ったみんなは、屋敷の中を見て回りました。  キッチンに入ると、床一面に小さな木の棒が散らばっていました。拾い上げてみると、マッチの軸でした。一つ残らず、先についていた赤い火のつく部分がこそぎ取られていました。  そして次に入った寝室のベッドの上で、痩せこけた屋敷の主人が横たわっているのを見つけました。薬屋が調べると、屋敷の主人はもう死んでいました。ベッドの脇の床には、陶器の大きなカップが転がっていて、内側には赤い液体が少しこびりついていました。  それはマッチの先の火をつける薬品を溶かした物でした。薬屋の店主が言うには、古い時代のマッチには、着火薬の部分にリンとか硫化リンとかいう、人間の体には毒になる成分が含まれていたのです。  マッチ一本程度なら、間違って飲み込んでも、せいぜいお腹を壊す程度ですが、大量に飲まされたら死んでもおかしくありません。  あの少女がマッチを買い集めていた理由がそれだと悟ったみんなは、とても驚きました。少女を探して屋敷中を走り回りましたが、どこにもいません。  みんながリビングに戻った時、宿屋のおかみさんが、テーブルの上に手紙用の便箋が置いてあるのに気付きました。どこかで拾ったのでしょうか、レンガのかけらが重しとして上に置いてありました。  その便箋には、少女らしい丸っこい文字で、ですが、とてもきれいな筆致でこう書いてありました。 「この手紙を見つけて下さった人にお願いがあります。お父様のお弔いをしてあげて下さい。お父様がおけがでベッドから起き上がる事もできなくなって、私は必死で看病してきました。でも、子どもの私では充分なお世話ができませんでした。薬を買うお金もなくなり、使用人もお給金が払えないので、みんな出て行きました。愛するお父様が、苦しんで弱っていくのを見ているだけなのは、とてもつらいです。私も、もう疲れました」  町の代表のみんなは、そろってアッと息を呑みました。あの少女がマッチを集めていたのは、大量の毒になる成分を集めて、自分の父親を安楽死させるためだったのです。  そして少女が残した手紙の後半部分を読み終わるやいなや、五人はそろってバルコニーへ駆け出しました。その屋敷のバルコニーは、切り立った高い崖に張り出していたからです。手紙の続きにはこう書かれていました。 「親殺しの罪を犯した私は、きっと地獄に落ちるでしょう。私は自分で神様のところへ、お裁きを受けに行きます。マッチを売って下さった町のみなさん、本当にありがとうございました」  バルコニーの端に駆けつけ、下を見下ろした五人は悲痛な叫びを上げました。宿屋のおかみさんは床に座り込んで泣き崩れました。  バルコニーの下の、岩だらけの地面に、あの少女が横たわっていました。その体の周りは真っ赤な血だまりが広がっていました。  町の人たちは、屋敷の主人と少女の亡骸を丁重に棺に入れてあげました。とは言え、人が死んだのですし、もし少女の手紙の通りだとすれば、親殺しの事件という事になります。埋葬する前に、お役人の検査を受けなければなりませんでした。  翌日、犯罪捜査担当のお役人の馬車が屋敷の前に到着しました。その町の人たちは、交代で屋敷に詰めていて、お役人を案内しました。  その後に続くように、四頭立ての、隅々に金の飾りのある豪華な黒塗りの馬車が屋敷の前に停まりました。その馬車から降りてきた、立派なひげと金糸銀糸をふんだんに使った服の人物を見た町の人たちは、腰を抜かさんばかりに驚きました。  その方は、帝国の皇帝の第一王子、つまり皇太子様だったからです。皇太子様は、事の一部始終を詳しく話すよう、町の人たちに言いました。  町の人たちは、一人ずつ、皇太子様の前で床に片膝をついてかしこまり、知っている限りの事をお話ししました。町の人たちは何か罰を受けるのではないかと、内心ビクビクしましたが、皇太子様は話を聞き終えると、黙って去っていかれました。  結局あの少女も死んでしまったので、誰を罰するというわけにもいかず、親子とも埋葬が許可されました。町の人たちは、共同墓地に、親子の亡骸を丁重に弔いました。  それからほどなくして、帝国に新しい法律ができました。四十歳以上の年の国民全員に、わずかな額ですが、新しい人頭税が課される事になりました。そしてその税金で集めたお金で、帝国の各地に養老所が建てられました。  親が病気や怪我で動く事もままならなくなり、困っている民は、親をその養老所に預けて面倒を見てもらえる事になったのです。そういう親の面倒を見なければならないために、働きたくても働けなくて困っていた国民はとても助かりました。  また、息子や娘が仕事場へ行っている昼間の間だけ、年老いて動けなくなり、一人で放っておけない老人を預かってくれる養老所も作られ、無理に無理を重ねて働いていた国民は、ずいぶん暮らしが楽になりました。  それなりにお金があり、暮らしに余裕がある者たちに対しては、自分たちで体が弱った老人たちのためのサロンを作るように、ともお触れがありました。  あの少女が立っていた町では、住む者がいなくなり後を継ぐ者もいない、あの屋敷を町の人たちが共同で譲り受け、商売を息子夫婦に継がせて隠居した老人たちが昼間集まって、お互いに世話をしながら、チェスなどを楽しめるサロンに作り替えました。  ある日、そのサロンに皇太子様から命じられたという絵師が尋ねて来ました。あの少女の事を知っている町の人たちが呼び集められ、少女の姿を詳しく尋ねられました。絵師は少女の顔だけでなく、前後左右から見た時の全身の姿を、それは見事に描き上げました。  すぐ、やはり皇太子様に命じられたという彫刻師たちが三人やって来て、今はサロンになっている屋敷の門にすぐ内側の庭に、ブロンズ像を作り始めました。  町の人たちは、何が起きているのか分からず、いぶかしく思いましたが、皇太子様のご命令と言うからには、口出しするわけにもいきません。  そして一ヶ月ほど後、すっかり初夏のまぶしい日差しが差すようになった頃、突然皇太子様がサロンの屋敷においでになりました。何事かと、町中の人たちが集まって来ました。  庭のブロンズ像は既に完成していたようですが、大きな布で覆われたままでした。皇太子様がお供の者にお命じになり、布を取り除かせました。  それを見た町の人たちは、息を呑みました。それは、あの少女が生き返ったのかと思うほどに、生き写しの見事な像だったからです。  皇太子様は自ら、色とりどりの美しい花束を像の足元に置きました。そして集まった町の人たちに、少女の像を手入れするようにとお命じになりました。町の長老が、皇太子様の前にひざまずいて、尋ねました。 「ご厚情、感謝いたします、殿下。おそれながら、この家の前の主は、殿下の知己を得た者でしたのでしょうか?」  皇太子様は、ゆっくり首を横に振って答えました。 「宮殿に出入りしていたとは聞いているが、私は特に覚えてはおらぬ」 「では、なにゆえに、あの娘にこれほどまでのお情けを?」 「あの娘は尊い最初の一人だからである」 「は? お言葉の意味がよく分かりません」  皇太子様は少女のブロンズ像を見つめながら、こう言葉を続けました。 「何が問題であり、それによって民がどれほど苦しんでおるのか? それは最初の犠牲者が出て初めて、統治者の知る所となる。悲しい事だが、人の文明と言うものは、常に最初の犠牲者が出なければ進歩しない。今回の件に関しては、あの娘がその最初の一人であったのだ。せめて、末永く語り継いでやるがよい」  皇太子様の言った事の意味は、正直、町の人たちにはよく分かりませんでした。ですが、その町の人たちは言われた通り、少女の像を大切に扱いました。  皇太子様が直々に花をお供えになったという噂は、たちまち都中に、そして国中に広まり、その町を訪れた人たちは、少女の像の足元に花を供えて行くようになりました。  一年中、一日も途絶えることなく、あの「マッチ買いの少女」の像の足元には、季節季節の色とりどりの花が供えられたということです。
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