「自分の居場所」をくれた魔女

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「自分の居場所」をくれた魔女

 それほど遠くない、昔のお話です。  ある領主が治める町があり、そこではお金持ちと貧しい人たちの差がとても激しく、人々の気持ちが荒んでいました。  貧しい家の親たちは、子どもにろくに教育を受けさせず、豊かな家でも子どもがみんな勉強熱心でもないので、学校の成績の悪い子どもと親とのケンカが絶えませんでした。  ある時、十人の年若い娘たちが、親との関係がどうしようもなくこじれて、一斉に家出しました。自分の家、自分の家族であるのに、そこには「自分の居場所」がないと感じていたようです。  しかし、お金を持っているわけでもなく、学校へろくに行っていなかった娘ばかりですから、食べてゆく術がありません。  仕事と住む場所を紹介してやると言って来た男に喜んでついて行くと、娼婦の館へ売り飛ばされそうになりました。  あわてて逃げ出して町はずれの野原にたどり着くと、二人の魔女が娘たちの前に現れました。白いフード付のマントで身をすっぽり包んだ、白髪頭でしわくちゃの顔の魔女が言いました。 「おまえたちに魔法で居場所を与えてやろう。報酬として一年につき、金貨一枚、それが条件じゃ」  もう一人の、似たような姿の、ですがこちらは真っ黒なフード付マントに身を包んだ魔女が言いました。 「わしは、金は取らんぞ。隣の町に、住む家と当座の生活費をただで与えてやろう」  娘たちはしばらく考えました。そのうち二人は、白い衣の魔女について行く事に決めました。他の八人の娘たちは、黒い衣の魔女について行く事にしました。  その八人の娘たちのリーダー格の娘が、白い衣の魔女について行く二人を嘲り笑って言いました。 「馬鹿かよ、おまえらは? 金を取る方を選ぶなんてさ」  白い衣の魔女は、二人の娘の体の回りに杖を振り、町へ行って仕事を探すようにと言い、そのまま立ち去ってしまいました。  二人の家出娘は、仕事紹介屋の所へ行きました。紹介屋の老人が、ちょうど若い女を雇いたがっている店が二つあると言って、羊皮紙に書かれた求人票を娘たちに見せました。  それを見た途端、娘たちは二人とも猛烈に腹が立ちました。二人はこう大声を上げました。いえ、そう口に出したはずでした。 「こんな安い給金で、こんなつまんなそうな仕事なんて、できるかよ。ふざけんじゃんねえよ、くそじじい」  ところが、二人の口からは全く違う内容の言葉が出てきてしまったのです。 「あのう、私たち、経験が全然ないのですが、ちゃんと務まるでしょうか?」 「お給金が安くても我慢しますから、使って欲しいのですが」  紹介屋はニコニコとうなずきながら言いました。 「両方とも経験は不問とあるから、心配せんでいいよ。それにそこに書いてある給金は、あくまで見習いとしての額だ。働きが認められたら、もっと増やしてもらえるさ」  こうして二人の家出娘は、酒場の皿洗いの娘とお針子の娘になりました。  一方、黒い衣の魔女について行った娘たちは、別の領主が治める隣の町へ着きました。黒い衣の魔女は、領主の館へ娘たちを連れて行き、領主様にその娘たちがいかに気の毒な身の上であるかを、少々大げさに語って聞かせました。  領主様はすっかり同情なさって、娘たちがその町に住む事を許可してくれました。黒い衣の魔女が自分でお金を出して、八つの部屋があるアパルトマンという形の建物を三か月分前払いで借りてくれました。  八人の家出娘たちは、その家で自由に暮らせるようになりました。領主様は町の人たちに、その娘たちの事を伝え、いろいろ面倒を見てやるようにと、お触れまで出してくれました。  さて、お針子になった娘は、仕立物屋で服やハンカチに刺繍をする仕事につきました。刺繍は小さな子供だった頃に少しやった事があったので、なんとか見よう見まねで仕事をしましたが、仕立て屋の親方からはいつも怒られました。 「まったく、下手くそなお針子だな。たったこれだけの作業を、一日がかりでも終わらせられんのか?」  お針子の娘はこう言い返しました。いえ、心の中では確かにそう思い、そう口にしたつもりでした。 「うるせえんだよ、ハゲおやじ! やって欲しけりゃもっと給金上げやがれ、ボケ!」  なのに、口からは思ってもいない、全然違う言葉がいつも出てきてしまいます。 「はい、すみません。宿舎に帰ってからも練習しておきます」  お針子の娘と皿洗いになった娘は、仕事が終わった後、ちょくちょく会っていました。皿洗いの娘にその話をすると、自分もまったく同じような経験をしていると聞かされました。  心で思っている事と、実際に口から出る言葉が、全然違っている事がしょっちゅうあるというのです。二人の娘は、これがあの白い衣の魔女がかけた魔法なのだという事に、やっと気づきました。  黒い衣の魔女について行った娘たちは、町の人たちが食べ物や服を寄付してくれるので、働く事もなく遊んで暮らしていました。  もともと育ちが悪いか、ガラの悪い娘たちなので、そのうち、町の人たちが恵んでくれる品物に不平不満を言うようになりました。 「あのさ、おばさん、あたしたち若いんだから、こんな地味な服もらったって、恥ずかしくて着て歩けねえよ」 「なんだよ、このパン。あたし、パンとか麦粥嫌いなんだよ。甘い菓子パンとかねえの?」  領主様のお達しだからと、家出娘たちの事を気遣ってやっていた町の人たちは、段々ムカついてきました。  さて、あの二人の魔女と出会ってちょうど一年が過ぎました。皿洗いの娘は、酒場の主人の部屋へ呼び出されました。何か失敗をして怒られるとばかり思って、ビクビクしながら部屋に入ると、酒場の主人とおかみさんが、机の上に木の皿を何枚か並べて、娘を手招きしました。 「おまえが洗うと、木の皿やボウルがずいぶん長もちするんだ。何か特別な洗い方をしているのか?」 「いえ、とんでもありません」  皿洗いの娘はそう答えました。一年が過ぎても、あの白い衣の魔女の魔法は解けていないようでした。娘はそう思って、それについてはほっとしました。 「私の故郷の地区で誰でもやっている洗い方ですけれど」 「それはどんな洗い方なんだい?」  酒場のおかみさんが尋ねました。娘はちょうどエプロンのポケットに入れていた、洗い袋を取り出して説明しました。 「調理場からゴミとして出た、オレンジの皮をもらって小さく刻みます。それをこんな風に、布の袋に詰めて、この袋で汚れをこすって落とすだけですけど」 「あんた、どこの地区の出身だと言ったかね?」  おかみさんに訊かれて娘が答えると、おかみさんはパンと両手を叩いて亭主である酒場の主人に言いました。 「あんた、十年ほど前に、やっぱり人並み以上に皿洗いが上手な女がいたのを覚えているかい? あの女もやっぱり、同じ地区で生まれ育ったと聞いていたよ」  酒場の主人も、ああ! と声を上げました。 「なるほど! そういうやり方があったとは。錬金術ギルドの洗い薬に頼りすぎていたのだな、俺たちは」  そして酒場の主人は皿洗いの娘に思いがけない事を言いました。 「おまえ、来月の酒場組合の会合に一緒に出ろ。その洗い方を他の町の酒場の主人や雇い人に教えてやってくれ。どうやら、オレンジの皮の刻み方にコツがあるようだしな。他の町の酒場まで出向いてそこの皿洗いたちに実地指導してもらう事になるだろう。もちろん、ただでとは言わん。一年続けてくれたら、金貨三枚でどうだ?」  その夜、うれしさを隠しきれない様子の皿洗いの娘は、いつものようにお針子の娘と泉の広場で会いました。お針子の娘は、皿洗いの娘が大きな仕事を任されそうだという話を、自分の事のように喜んでくれました。  そして二人で、最近の自分たちの様子を話し合い、あの白い衣の魔女がかけた魔法が、二人とも今でも効いている事を確かめ合いました。どうやら、あの魔女は二年続くように魔法をかけていたようだと、二人は確信しました。  さて、隣の町に住んでいた八人の家出娘たちは、ある日、教会のシスターたちが貧しい人たちのために夕食を振る舞ってくれる催しがあると聞き、いそいそと出かけました。  が、会場の礼拝堂に入るなり、リーダー格の娘が大声で不平を言いました。 「は? 金取るの? あんたたち、馬鹿じゃないの? 貧乏人のための食事出すなら、無料にしなきゃ意味ないじゃん」  他の娘たちも口々に不平を大声でわめき立てました。 「そうだ、そうだ。あたしたちみたいな不幸な若者には、銅貨二枚あったら、他に使う事山ほどあんだよ。銅貨二枚あったら、砂糖菓子が袋ごと買えるじゃん」 「それに何? この貧相な料理? 野菜ばっかで肉もチーズもねえじゃん。これで金取るって信じらんない!」  その町は土地がやせていて、食べ物は他の町よりずっと高いのです。どんなに安い食堂でもちゃんとした食事をすれば、銅貨五枚は必要です。  それが銅貨二枚というのは、大変安いのです。また、無料にしてしまうと、町にいる旅の途中の傭兵や無法者たちが集まってきてしまうので、あえてお金を取るのです。  シスターたちには、ただで食べ物をもらう事に町の人たち、特に子どもたちが慣れてしまうのは、よくないという考えもありました。だから無料にはあえてしないのです。  ですが、そんな事は思いつきもしない家出娘たちは、さんざん悪態をつきながら、その場を去って行きました。  さて、ほどなくお針子になった娘が働いている仕立て屋の親方は、その娘が刺繍を施した服などの評判が意外に良い事に気づきました。  娘の作業台に親方が近づき、刺繍のやり方をよく見せろと言いました。娘は正直うっとうしく思ったのですが、白い衣の魔女の魔法がまだ効いているいるのでしょう。 「あ、はい。私なんかでよければ」  そう返事して、針を動かし続けました。しばらくじっと見つめていた親方は、突然娘に手を止めるように言いました。 「そうか! そこで糸を捩じっているのか。おまえ、そんなやり方をどうして知っている?」 「は? あたしの故郷の地区では、当たり前のやり方ですけど?」 「おまえ、どこの地区の出身だ?」  娘が答えると、親方は大きく目を見開いて両手をパンと叩きました。 「そう言えば、以前、とんでもなく刺繍の腕がいいお針子がいたが、そいつもその地区の出身だった。なるほど、次の針を刺す前に糸を捩るから、刺繍の表面が盛り上がって出来が良くなるのか」  そして親方はお針子の娘に思いがけない事を言いました。 「おまえ、明日から他のお針子たちに、そのやり方を教える係になれ。ただ糸を捩ればいいというわけではなく、場所やタイミングにコツが要るようだからな。もちろん、ただでとは言わん。一年続けてくれたら、金貨三枚でどうだ?」  さて、隣の町へ行った家出娘たちは、相変わらず働こうともせず、そのくせ、町の人たちがくれる品物にケチばかりつけていました。  娘たちが町を歩くと、町の人たちは眉をひそめるようになりました。家出娘たちは誰も気づいていませんでしたが、あの黒い衣の魔女がこっそり町の中を回って、町の人たちからにじみ出ている黒いオーラを、杖の先に吸い込んで回っていました。  その黒いオーラは、魔女ではない普通の人間の目には見えない物でしたので、町の人たちも気づいてはいませんでした。その黒いオーラが、黒い衣の魔女の、魔力の源だったのでしょう。  やがて、家出娘たちの暮らしぶりをうらやましく思うようになった町の子どもたちが、市場で商人たちにお菓子をただで寄越せと、堂々と言うようになりました。 「あのねえちゃんたちは、ただでもらってんだろ? だったら、俺たちにもただでくれよ」  町の女の子の中には、遊ぶ金欲しさに、娼婦の真似事をする者まで出始めました。町の大人たちはたまりかねて、領主様の館へ押しかけ、こう訴えました。 「あの娘たちがいると、うちの子どもまでが悪い考えを持つようになるんです」 「あいつらがいると、俺たちの商売までおかしくなる」 「あんな連中が町にいると、それだけでみんなが迷惑するんです」  領主様は、町の人たちの剣幕に押されて、家出娘たちに町から出て行くように命じました。  さて、娘たちが二人の魔女に出会ってから、ちょうど二年が過ぎました。お針子の娘と皿洗いの娘は、働きが認められて、予定より少し早く金貨三枚ずつを雇い主からもらい、ある夜、町はずれの野原に行って、空に向かって呼びかけました。 「白い衣の魔女様。あたしたちを覚えておいでですか? どうか、もう一度あたしたちのところにおいでになって下さい」  すると、月の光の中から箒にまたがった、あの白い衣の魔女が現れ、娘たちの前に降り立ちました。二人の娘は金貨三枚を魔女に差し出して、必死な口調で言いました。 「お約束の魔法の対価、二年分の金貨二枚です」 「そして、次の一年分の金貨一枚、合わせて三枚あります。これで、もう一度、あたしたちに魔法をかけて下さい」  ですが、白い衣の魔女はゆっくり首を横に振りました。 「もう一度魔法をかけろと? それはできないねえ」  娘たちは真っ青な顔になり、泣きそうな声で魔女にお願いを続けました。 「お願いです! あの魔法が切れたら、また居場所を失くしてしまう。それは嫌なんです」 「お願いします。やっと自分の居場所を見つけられそうなんです。どうか、もう一度魔法を!」  白い衣の魔女は、急にいかにも可笑しそうに笑いました。そして二人の娘に微笑みながら言いました。 「あんたちにかけた魔法は、一年だけの効力しか持っていなかった。あれからちょうど二年経っている。あんたたちにかけた魔法は、今から一年前にはとっくに解けていたんだよ」  そんな馬鹿な、信じられない、という顔で娘二人は顔を見合わせました。魔女が続けて言いました。 「ちょうど二年過ぎているから、仮にあたしが二年続く魔法をかけていたとしても、もう今は魔法は解けているはずだろう。今から一年前からの、あんたたちの暮らしがうまくいっていたのが、単に魔法のせいなら、さっきあたしが魔法をもう一度かけてくれという願いを断った時、あんたたちはもっとあたしに毒づいたはずだ。たとえば、『ふざけんな、このババア!』とかね」  娘たちはあっと息を呑んで、自分の口に手をやりました。魔女はにっこり微笑みながら、言いました。 「あんたたちの、その話し方や仕事での頑張りは、魔法のせいじゃなくて、あんたたち自身の考え方が正しい方へ変わったからなのさ。だから」  魔女は手を伸ばして、娘たちの掌から金貨を一枚だけずつ取りました。 「魔法が効いていたのは、最初の一年だけなんだから、一年分の金貨一枚ずつだけ、いただくよ。残りは自分のために使うがいいさ。あんたたちも、もういい年頃だ。嫁入り支度がそろそろ必要になるんじゃないかい?」  二人の娘はポッと顔を同時に赤らめました。実は二人とも、町の働き者の娘として評判になっていて、裕福な商人の息子たちから、お嫁に来て欲しいという話が出ていたのです。  戸惑いながらも、お礼を言おうと顔を上げた娘たちの前から、白い衣の魔女は、既に姿を消していました。周りを、空を、くまなく見渡しましたが、白い衣の魔女の姿は、もうどこにもありませんでした。  さて、隣の町の家出娘たちが町を出ていいかねばならない日が来ました。娘たちが町のはずれの川辺に来ると、そこにはあの黒い衣の魔女が立っていました。 「おやおや、可哀そうな娘たち。行くところがないのなら、またわしが、別な領主の町に住めるように、かけあってやろう。もちろん、金は取らないよ」  リーダー各の家出娘は魔女に駆け寄って頼みました。 「ああ、頼むよ。あんたって、本当に親切なんだねえ。それに比べて」  娘は今までいた町の方へ顔を向け、吐き捨てるように言いました。 「あの町の連中はどうしようもねえな。しょせん大人なんかにゃ、あたしらの気持ちなんか理解できねえんだな」  黒い衣の魔女は、少し離れた町でまた、住む場所と、その町の人たちから生きるのに必要な物を寄付してもらえるよう手筈を、整えてくれました。  ですが、娘たちはその町でも、町の人たちの親切に不平不満ばかり言い始め、やがて町から追い出されてしまいました。次から次へと新しい町へ、黒い衣の魔女は導いてくれましたが、娘たちはどこへ行っても、すぐに町中の嫌われ者になってしまい、出て行かざるを得なくなる。その繰り返しでした。  お針子の娘と皿洗いの娘は、それからほどなくして、それぞれの相手と結婚し、子どもが生まれ、しばらく仕事を休みましたが、雇い主にどうしてもと頼まれて、また元気に働き始めました。  自分自身の家族、家庭という、長らく待ち焦がれていた暖かい居場所を手に入れたのです。  一方、黒い衣の魔女に導かれて町を渡り歩いていた娘たちは、また別の町へ移ったという噂が時折聞こえてきました。  ついには異国の土地へまで行ったとのことでした。けれども、娘たちがついにどこかで、自分の居場所を見つけたという噂は、いつまで経っても、誰の耳にも、聞こえてくることはありませんでした。
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