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民意の力
それほど遠くない、昔のお話です。
とある豊かな王国に、魔法使いの一団が旅して来て、都の人たちから大変に手厚いもてなしを受けました。
魔法使いたちはお礼にと言って、魔法の蜘蛛を王国内に放つ事を国王様に許可してもらいました。その蜘蛛は毒を持っていたり人はもちろん家畜に噛みついたり、病気を伝染させたりする心配がない無害な蜘蛛でした。
ひとつだけ不思議な能力を持っていて、壁に糸で布のような四角い膜を張る事ができます。その膜の上に人が指で文字を綴ると、王国中の同じ蜘蛛の糸で出来た膜に、一斉に同時に、同じ文字列が浮かび上がるのです。
羊皮紙を使った手紙のやり取りや、伝書鳩に小さな紙切れを運ばせるぐらいしか、離れた場所にいる人同士でやり取りをする手段がなかった王国では、たちまち蜘蛛の糸のスクリーンは大人気になりました。
国王様は常に民の幸せな暮らしを願っている心優しい君主でしたので、王宮にもあちこちに蜘蛛の糸のスクリーンを張らせ、民のやり取りを毎日ながめていました。
最初の頃は、どこの酒場のワインがうまいとかまずいとか、他愛のない話ばかりでした。が、ある朝、国王様は王宮の蜘蛛の糸のスクリーンに浮かび上がった文章を見て、飛び上がるほど驚きました。
「託児所の抽選落ちた王国死ね!」
そこにはそう書かれていたのです。国王様はただちに大臣や王族を王宮に集め、御前会議を開催しました。
大臣の一人が、書き込んだ者を探し出して罰するべきだと言いました。しかし、もう旅立ってしまった魔法使いたちが言っていたには、どこの蜘蛛の糸のスクリーンから書き込まれた物かは、分からない仕組みになっているそうです。
つまり、書き込んだのが誰なのかは、本人以外は誰にも分からないのです。ということは、その内容が本当なのかどうかも、分かりません。
とは言え、王国の都や大きな町では、働き手が不足気味で、もっと女の人にも働いてもらおうという理由で、託児所を新しく作っており、その数がまだ足りないという話は以前から国王様の耳にも届いていました。
それでも急に託児所の数を増やせるものではないので、引き続き努力をしましょう、という結論になりそうになった時、大公様が突然、それは王として怠慢であると、言い出しました。
大公様は今の国王様の父君、つまり前国王がお妃様と結婚する前に平民の女に産ませた子供で、今の国王様にとっては腹違いの兄にあたる方です。
前国王の正式なお妃様の子ではないので、王位につく資格は認められませんでした。ですが前の国王が亡くなって今の国王様が即位した時、国王様は義理の兄上に気をつかって大公という称号を新しく作り、王族の中にお迎えになったのです。
大公様は自分が国王になれない事を心の中では不満に思っているようで、何かにつけて国王様のする事にケチをつけてばかりいました。今回も大公様は言いました。
「足りぬというのなら、今すぐもっと増やせばよいではないか。子を預かってもらえず、働けぬ女がいるというのなら、王国のGDPが予定通り増えない事になるぞ」
大臣の一人が反論しました。
「まず、この作品は一応童話という事になってりおりますので、経済専門用語の使用はお控え下さい。次に国王に対してあまりに、あの書き込みは非礼でありまして」
ですが、大公様は大臣の話をさえぎって、さらに言いつのりました。
「あれが『国王死ね』であったなら、確かに不敬の罪になるだろうが、『王国死ね』であったはずだ。この場合、王国と言う、特定の誰かに死ねと書いたわけではないのだから、王への非礼にはあたらぬはず」
それから王宮前の広場で、大公様は託児所の数が足りなくて困っている民は集まれと、お触れを出しました。たちまち大勢の女たちが幼い子供を抱いて広場に集まり、大公様の掛け声に続けて、王宮に向かって大声で叫びました。
「託児所の抽選落ちたの私だ!」
「私だ!」
「なんとかしろ!」
「国民総活躍じゃなかったのかよ!」
大臣たちは集まっている女たちの身なりを見て、自分たちで金を払って子守り女を雇えばよいはずだと言いました。しかし大公様が先頭に立って騒ぎを煽っているので、国王様も事がこじれるのを怖れて、王宮の財宝を一部売り払って、託児所を大急ぎで増やすように命じました。
やっとその騒ぎが収まった頃、また蜘蛛の糸のスクリーンにこういう書き込みが出ました。
「市場の売り場抽選落ちた王国死ね!」
また大公様が王宮前広場で不満のある民を集めて大声で不満を言わせ、国王様は軍隊に回す予算を削って、市場の拡張を命じました。
さあ、こうなると、最後に「王国死ね」とつけた書き込みを蜘蛛に糸のスクリーンに出せば、何でも国王がかなえてくれるという話になり、次々とその手の書き込みが現れました。国王様は次から次へと出て来る民の要望をかなえるのに、おおわらわになりました。
もちろん、全ての民の要望を聞いてやれたわけではありませんでしたが。たとえば「小説投稿コンテスト落ちた王国死ね!」という書き込みばかりは、国王様の力をもってしても、どうする事もできませんでした。
それから一年ほどが過ぎた頃、王国の東にある帝国の軍隊が国境を越えて押し寄せて来ました。その帝国の皇帝は大変に冷酷で残忍であると評判だったので、王国の民は恐れおののきました。
皇帝の使者が王宮に乗り込んで来て、やっとその理由が明らかになりました。度重なる民の要望をかなえるために、国王様は王国の財産を全て売り払っても足りず、隣の帝国から莫大な借金をしていたのです。
そして期日までにどうしても帝国への借金が返せない状況に陥っていたのです。必ず返済するからもう少しだけ待って欲しい、と国王様は頼みましたが、皇帝は聞き入れず、自ら大群を率いて攻め込んで来ました。
国王様には大変に聡明で武術の腕の立つ王子と王女がひとりずついました。王子様は騎馬隊と歩兵を、王女様は弓隊を率いて果敢に応戦しましたが、帝国軍の猛攻には成す術がありませんでした。
と言うのも、王宮から軍隊へ回される予算がどんどん減らされていたため、王国軍の兵士はろくな武器を持っておらず、弓隊は弓はあっても射る矢が足りない、という有様だったからです。
あっという間に王宮を占領した隣の帝国の皇帝は、国王様に対し、民を皆殺しにするか、王国の支配権を渡すか、どちらかを選べと迫りました。
誰よりも民の事を思う国王様は、当然王国の支配権を皇帝に譲る方を選びました。国王様、お妃様、王子様、王女様たちは、わずかな数のお供を連れて、南の海岸沿いの土地に落ちのびて行かれました。
帝国の属国になった王国では、収穫した麦が帝国軍によって持っていかれてしまい、パンの値段が十倍に跳ね上がりました。
さっそく蜘蛛の糸のスクリーンに、これでは食べる物がない、という不満の書き込みがあふれました。しかし、王宮前広場に立てられた高札には皇帝の返事としてこう記されました。
「パンが無いならケーキでも食べればよろしい」
これに怒った王国の民は大勢で王宮前広場に押しかけ、「横暴だ!」「民意を尊重しろ!」と一斉に叫びました。
王宮の城壁の上に帝国軍の兵士がずらりと現れ、集まった民衆にいきなり矢を射かけました。広場はたちまち血の海になり、生き残った者たちは必死で逃げ去りました。
新しく王国の支配者になった隣国の皇帝は、噂通り残忍な人でした。王国の農産物を力づくで取り上げて本国へ持ち去ってしまいます。
帝国軍の馬を養うために、ずっと昔から王国の羊飼いたちが利用していた牧草地の使用を禁止した時は、羊飼いたちがさすがに抗議の声を蜘蛛の糸にスクリーンに多数書き込みました。
皇帝は誰か書いたか、そんな事をいちいち確かめなどしませんでした。帝国軍がその辺り一帯の羊飼いを、みさかいなく皆殺しにしました。
王国の民は国内に残っていた大公様に、何とかしてもらおうと屋敷に詰めかけましたが、大公様は門を開けてさえくれません。大公様は、皇帝のご機嫌取りばかりして、もう王国の民の言う事になど、耳すら貸してくれませんでした。
もはや、蜘蛛の糸のスクリーンに書き込みをする民はいなくなり、ただ大公様とその取り巻きが、皇帝を偉大な支配者ともてはやす様な書き込みしか、蜘蛛の糸のスクリーンには出て来なくなりました。
そうこうしているうちに、冬が近づいて来ました。食べ物すら足りない今の状況で、厳しい寒さに襲われたら、王国の民、特に子どもや老人が、凍死、餓死してしまう危険があります。
帝国に乗っ取られる以前に、王国の騎士団の団長をしていた二人の勇者が、国王様を連れ戻し帝国から王国を解放しようと考えました。二人の勇者はひそかに都を出て、馬にまたがり、国王様が今暮らしているという海辺の村へ行きました。
国王様に勇気を取り戻していただこうと、二人の勇者はかつて自分たちが率いていた騎士団の旗をそれぞれ高く掲げて村に入りました。その騎士団の紋章はリスとトラでした。
国王様が住んでいる家は、そこそこ大きなお屋敷でしたが、かつての王宮の主の暮らしぶりとしては、あまりに気の毒なものに勇者たちには思えました。
突然訪ねてきたかつての王国の騎士を、国王様とお妃様は喜んで迎えてくれました。ですが、勇者たちが、自分たちと一緒に立ち上がって帝国と戦ってほしい、と言った時、国王様は意外にも即座に断りました。勇者たちが驚いて理由を尋ねると、国王様、いえ、前国王はこうおっしゃいました。
「わしは帝国より、民意という物の方が怖い。あの次から次へと出て来る、民意という物に応えようとすれば、無限に金貨が湧いてくる魔法の財布でもなければ、到底無理だ。わしももう年だし、あとはこの海辺の地でおだやかに老後を暮らしたい」
勇者たちは、それなら、王子様と王女様に帝国と戦う反乱軍のリーダーになっていただきたいと申し上げました。ですが前国王様はまたも意外な事をおっしゃいました。
「息子と娘もわしと同じ事を言っていて、今はもう二人とも海の向こうの王国へ引っ越した。王子は新しく作られた中ぐらいの王国の、子どもがいない国王の養子になっておる。王女は別の小さな王国の皇太子に見初められ、じきその妃になる。二人ともなんとか幸せに暮らしているのだから、そっとしておいてやって欲しい」
勇者たちは、なんとか前国王様に決心を変えてもらおうと、王国の民の窮状を必死で訴えました。ですが、前国王様は首を横に振り続け、最後にこうおっしゃいました。
「帝国と戦いたいなら、そなたたちには強い力があるではないか」
何か王国に伝わる魔法の力でもあるのかと思った勇者たちは、身を乗り出してそれは何かと尋ねました。前国王様はこうお答えになられました。
「民意の力という物を持っておるではないか。このわしを国王の座から追い出したほどの力が。それを使って、新しい君主と、戦うなり仲良くするなり、うまくやってくれ」
二人の勇者たちは、とうとうあきらめて、もと来た道をとぼとぼと引き返す他はありませんでした。
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