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月日は控えめに過ぎ去り、身体は少しずつ大きくなっていた。それでもまだ、少女と言うべき純粋無垢さを備えている。庭に無制限に放置されていた暖炉用の薪は徐々に少なくなり、ある日大ぶりな斧が切り株の上に置かれていた。少女は振り回されるようにして薪を割っていった。初めのうちは血豆だらけになっていたが、手の平は段々と獣のように強固になり、きちんと冬に備えれるようになった。
洗濯物の類いは包まって寝る分厚い毛布しかないが、それも自ら川で洗うようになった。いつからか、臭い始めたのだ。凍結しない井戸から飲み水を汲んでログハウスへ運ぶようにもなった。幾つかの桶に貯めておけば、いつでも飲める。前までそうなっていたことの模倣でもあった。いつの間にか、生活はほとんど自立して行うようになっていた。食べることだけは、不定期にやって来る土嚢袋に含まれる乾燥した栄養源に頼るしかなかった。尽きてしまうと、地面を抉り取ると希に出てくる、高タンパクな幼虫などを食べて過ごしていた。
ある日の夕暮れ時、生きるためにやらなければならないことを終え、貝殻を持って夕日を眺めていた。平地の方はもう喧しい光が灯り始めている。こんなにも紅蓮オレンジな美しい世界なのに。人工的な光で満たされてしまっている。忙しない人々は、きっと空を見上げるのも億劫なのだろう。
月明かりが少女の艶めかしく生白い裸体を執拗に舐め回す頃、やっと少女は起き上がった。夕日に見とれているうちに寝てしまっていたのだ。カモンダカラの貝殻が無いことに焦ったが、髪の毛に髪留めのように引っ掛かっているのに気がつき安心する。熊が寄り添ってくれていたのか、妙に身体が温かく、最も寒い季節でもなんともなかった。寒空の方が輝く星達は、今宵も意気揚々としていて、月とは対照的に優しい雰囲気を醸しだしている。いつも通り、星と星を結んで、宇宙一大きな絵を描く。まず子猫を描いて、それから今までで一番大きなブリキのロボットを描いた。いつ目にしたかは全く覚えていない、様々な動物や海洋生物を描いた。少女はふと、天井に描くこれらの生き物を、実際に見てみたくなった。
ログハウスから、大きな物音がした。キャンバスの絵は地面に飛び散って、空には奇妙に途切れた残像が映し出された。駆けて戻り蝋燭を点けると、特に変わった所はなかった。安心していると、大きな木のテーブルの上に手紙が置かれてあるのに気がついた。
――メリィクリスマス――
いつも通り、殴り描かれていた。足下でガタンと音がした。飛び跳ねて少しばかり警戒した後、何がいるのか確かめてみると、錆び付いた小さな金属製の箱の中に、少女の手の平ほどの子猫がいた。外側からは簡単に開くようになっていたので、少女は直ぐさま子猫を外に出して抱きしめた。子猫は逃げなかった。それは、安心していたからではなく、完全に憔悴し切っていたからだ。子猫の視線は少女の顔ではなく、どこか宙を見つめていた。片方の目は潰れて開かなくなっていた。目やになどではなく、目の玉が潰れてしまっているらしい。片眼がない分、小さく潤んだ、工芸品のように美しいもう片方の目は、しばらくしてやっと少女の目を捉え、小鳥のさえずりのような声で鳴いた。少女は笑った。初めて口角を上げた喜びが、体中の臓器の、どこかの器官で認知された。両手で包むようにして抱いていると、子猫が力なくコトンと顔を下げたので不安になり、一旦金属の箱の中に戻すと、桶と土嚢袋で送られて来た栄養源のストックを慌ただしく揃え、水で少しふやかしてやると、扉を開けて子猫の口元へ手で差し伸べた。すると無我夢中で食らいついて、あっという間に食べ尽くした。危うく少女の指まで食べようとしていたので、持って来た分の残りの栄養源も全てあげた。子猫は輝き潤んだ片眼を閉じて、両方の目を瞑った状態のまま徐に食べ続けた。一日分のストックを食べ尽くした後は、少し大きくなったお腹を擡げて、少女の方へユラユラと歩いて来た。両手で包み込むように抱きしめると、直ぐさま深い眠りについてしまった。少女はその姿を愛おしく眺めると、起こさないように自身の寝床へ一緒に連れて行った。
次の日の朝、少女は起き上がると子猫の不在にすぐさま気がついた。夢だったのかも知れないと思いもしたが、それにしては両手にしっかりとした感覚が残っていた。ログハウス中の少ない物を漏れなくバタバタと倒しながら慌ただしく捜索していると、か細い声が聞こえた。灯台下暗し、寝床の方からだ。雑に放り出された分厚い毛布の層の隙間に、上を向いて転がっていた。小さな手足を泳ぐようにバタつかせて、力なき断末魔のような、優しい悲鳴を上げていた。少女は心から安心した。読んで字のごとく、胸を撫で下ろした。抱きかかえて撫でると、子猫の方も安心したようで、まだ慣れてない猫鳴りを始めた。
一段落した後、少女は身体中が痒いことに気がついた。ノミやらダニやらが子猫に付着していたのだろう。川へ水浴びに行くことにした。布類は寝床の毛布しかないので、それに子猫を息ができる形で包み、近くの川に出掛けた。着いてみると、水位も丁度良く、極寒の季節にしてはのどかで、温かくも感じた。少女はどの季節にも慣れているのだ。まずは子猫を小川の方で丁寧に洗った。不思議と水を嫌がることはなく、少女にされるがまま、気持ちよさそうに目を瞑って洗われていた。それが済むと、少女は毛布で子猫を丁寧に拭いて、未だ乾燥している部分で優しく包んだ。子猫は太陽と毛布と、少女の優しさに包まれて、最高の日向ぼっこを堪能しながら眠りについた。その間に、少女は大きくて深い川の方で、痒い身体を治療のように洗い流した。その際、今まで何も無かった部分に毛が生えていることに気がついた。これは子猫の影響で、同じ種族に近づいているのだと少女は考えて歓喜した。川で喜びを舞う少女の溌剌さに、子猫は目を覚まし、少女と喜びを共有したいがために、大きくて深い方の川に飛び込んだ。流される軽い子猫に気付くと、少女は形相を変え一目散に助け出し、抱きしめた。目線が合う所まで抱き上げ、少女は記憶の中にある大切な言葉で約束をした。
「ずっと一緒だよ」
少女と子猫の、白昼夢のような温かいベールに包まれた幸せな生活は、ここから永遠に続くのだ。
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