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市役所である名前が呼ばれた。
「安藤はるはりさん」
「私」の隣に座っていた男が名前の持ち主であった。無地の白Tシャツに黒のチノパンといった服装で身長170㎝程の細身、その他は、その男を記憶に残すにはあまりに特徴がない。
しかし、呼名に対する返答が「私」に男を鮮明に記憶させた。
「ハイ、それ私ですわ」
直立で真顔のまま女の口調で巨大なゴリラのような大声が役所中に男の所在を伝えた。
「私」は大学4年で就活中である。自分の長所や短所を考えていくと出身地、名前などのあらゆる自分の情報に目が移った。そして、何気なく自分が生まれた年の名付けられた名前のランキングを調べた。するとその時、ランキングの上位に「私」の名前があり、どこまで特徴のない人間なんだと侘しく思った。
市役所に行った後も名前のことを考えながら自宅近くの商店街で夕食の買い物しようとしていた。そこは、全体が青を基調とした街並みで春と夏にそこで買い物して冷涼感を感じるのが好きであった。しかし現在の心情ではその青が一層憂鬱にさせた。どこまでも付きまとう青に耐え切れず、引き返そうと考えた瞬間、「私」は市役所にいた男を確認した。自宅に帰った後、そこでの一部始終を自宅で日記に記すことにした。
私は夕食の買い出しのために町の商店街に来ていた。
私が商店街を入って八百屋に向っていると前方からある男が歩いてくるのが目についた。
派手な服装や動きをしていたわけではなく、むしろ特徴が無に近い容貌。あの男である。服装も全く変わらず、表情も果てしなく真顔であり顔の向きは正面に固定されているように思えるほど動かない。
男は奇しくも八百屋に入っていった。私も必然的に男についていく形になる。決して男の一挙手一投足を観察に試みたわけではなく、野菜を買うためである。
八百屋の名前は「山屋」といい、膝ほどの高さの台に多様な野菜が種類ごとに頂点は見上げるほど山盛りに盛られている。方々に野菜の所狭しと山が連なっており、峰を形成している。
私は八百屋に入った。男と同じ空間にいるからだろうか、とてつもない緊張感が八百屋にあった。例えばあそこにあるリンゴ山の曲がり角で価値あってしまうのではないか。そう思いながら曲がるとかち合いはしなかったが、目の前でリンゴの山と対峙していた。私は瞬間心臓を刈り取られたかのように微動だにしなくなった。しかし、野菜の購入目的の私に緊迫の瞬間など来ないのである。そう言い聞かせ、男の背中を通り過ぎ、30秒に一回ほど視界に入るように八百屋中を歩き回った。男は山の下から上へ目をやり、真顔のままリンゴを一つひとつ嘗め回すように見ながら買い物かごへ入れていく、約30分間。途中、おばちゃんの店員に段ボールごとの購入を進められたが、男は実に単純に今自分がしている行為の意味を伝えた。
「僕が選ぶ」
サイズが大きいものや質の良いものを選別しているわけではなく、およそ熟していないものやのような傷のついたものを選り好んでいたように思われる。
おおよそ切って食べるリンゴに芸術性を求めているのかと私は思いながら、セロリを一本入ったかごをもって店を歩き回りながら観察していた。
その間も男は全くの真顔であったが、男が山の様々な箇所から一かけらを取り選別する様は楽しそうに見えた。
30分もの間、山の前で選別しているのでかごの中はおよそ赤色に染っており、床を染めようとする勢いであった。そして、一かけらが床を染めた瞬間、男は染まった床を一瞥した後、対面していた山に別れを惜しむように3秒山を間眺めた後、男は急に体の向きを変えレジへ向かった。男に続いて私もレジに並ぶ。
時間帯からして客は少なく男と私の二人だけであった。無論、男の後ろに私が立っている。先ほど男に話しかけた店員がレジをしていた。よって、さほど表情を変えずかごを受け取り、清算を始めた。
店員は金額を告げ、男はポケットから財布を取り出し会計を済ませる。
男が赤色に染まるビニール袋を受け取るときに店員が質問をした。
「最近、この辺に引っ越してきたのかい。」
男の格好から近所に住む男だと推察した結果であろう。客兼追跡者の私からは実行したくてもできない問いであったため、私は思わず目を見開き、口を縦長に開いてしまった。
男は顔を縦に振った。それを見て続けて質問する。
「名前は何だい」
男はこう答えたと思う
「ジョレジョキエッソーニだ」
偽名である。私はこう記すが、日本語の発音ではなかったため確かではない。男が答えた後、店員がそう確認したためである。
なぜ偽名を使用したのであろう。こんなところで偽名を使用したところで大きな影響は考えられない。買い方に羞恥心を覚え、とっさに自分の情報を隠したのだろうか。
そう考えているうちに、男の会計は終わり店を後にしていた。私もとっさに会計を済ませ店を出る。大量のリンゴ、偽名の使用、これらの異常が私の男を追うにたる理由を生んだ。最早、これだけの理由があれば、ストーカーという不名誉で変態的な行為であるということは無視することができた。
男を探しながら道を歩いていると橙色のビニール袋を確認した。青色の反対色のため翌月映えており見つけやすかった。露店の量り売りの肉屋にいた。肉屋は店員と客の間に胸の高さまであるケースに肉の塊が20種類ほどが入っていた。また、ケースの上には量りがおいてある。私は一挙手一投足を逃さず観察するため、男の後ろに立つ。
何をどれだけ選ぶのだろうと静かに興奮していると、男はひれ肉を指さし、こう言った。
「これ、下さい」
店員がグラム数を聞くと、すぐに答えがきた。
「この塊ごと下さい」
店員は少し驚いていたが、それ以上の質問をせず、塊をケースから取り出し包装し最後にはビニール袋に入れ、男に渡した。
やはりこの男は異常である。大量のニンジンと80kgはある肉を片腕に提げ、財布を取り出し会計をしている。細身の男の片腕に100kg以上のものがぶら下がっている時点ですでに異常であるが、それに加え表情は依然として真顔であった。最早、大道芸の域であり、私は拍手を送りそうになった。
会計を終えるとまた道を歩き出そうとしたその瞬間、真顔を私の方に向けた。
私は恐怖で口を力なく開けたままセロリを手に持ったまま棒立ちしていた。体感では10秒であろうか。顔の向きを正面に戻し行ってしまった。
そして、会計を終えると片手にリンゴと肉を提げて行ってしまった。
店員が私に「どうかしましたか」と聞いたと思った。やっと正気を取り戻し、店員に一瞥もせず男を探すために走り出した。
男への感情が興味から恐怖へと変化した。私を見たのは市役所で隣にいたことに気づき偽名の使用を知られたからであろうか。それとも私の追跡に気付いたからか。いづれにしても私への警告か。そもそもこのような場所で偽名を使う理由は何であろうか。八百屋に次来店するときに大量のリンゴを買った人だと思われないように必死の嘘をついたのだろうか。名前だけでも隠しても意味はないと思うが、つかないよりはましと考えれば...。 私は男の追跡を続けるべきか考えた。犯罪的な臭いは感じられなかった。しかし、八百屋での偽名の使用と割りばしのごとき腕に赤の巨大な塊2個を支えていたという疑問が湿った恐怖を感じさせていた。
私は男を追跡することを決めた。こうなったら男に私の湿った疑問を直接解決してもらうことにしたのだ。
あたりを歩き回ると薬局にいた。ちょうど店を出て来たところで片腕に巨大な赤2つ、もう片方の手には大量の歯ブラシが入ったビニール袋を持っていた。
私は、「あの...。」と声をかけた。すると男は両手に荷物を持っているとは思えない程きれいなフォームで走って向こうへ行ってしまった、リンゴの喧騒を残しながら。
「私」が日記を書き終わり、夕食を作ろうとした時、チャイムが鳴った。出ると男であった。男は相変わらずの真顔で直立していた。「私」の中にあった湿った恐怖を火種にして死を前に体中が燃え盛るように熱くなった。それを鎮火させるかのように失禁し、しりもちをついた。
男はこう質問した。
「どこまで知っている」
そう聞いた途端、最早考えるという手段は使用できないうえに質問の理解すらできなかった。よって、男の質問を引き金に日記に記した内容が頭に書き出されマシンガンの連射ような速さで一言一句違わずそれを読んだ。
日記が読み終わると男は真顔のまま愉快そうにこう話した
「見事についてこられていたのね。あの子たち大分派手に遊んでいたのね。」
そういった途端「私」の目の前は真っ白に包まれた。
「君は、宗教の勧誘にしに来た人の話があまりに素晴らしくて、失禁するなんて。あと、さっき話した通り日記はすぐにやめること。すぐに燃やしてすてること。いいわね。」
男はそう言い、両手を胸の前で手を合わせた後ドアを閉めた。
「私」は、おもむろに日記をコンロの橙色の火で燃やし始めた。すると、虚ろだった目が覚めた。しかし、既に日記は燃えつくされていた。しかい湿った恐怖が日記の欠片を思い出させた。すぐに商店街の八百屋、肉屋、薬局へ行き、「何か変わったことはなかったか」と聞く。
すると男の名前は覚えていなかった。ただ、大量のニンジン、肉の塊、大量の歯ブラシを購入、提げていたのは確かだと答えた。さらに八百屋と肉屋はセロリだけをもって走っている男のことも話した。人の記憶に佇んでいたのは、橙色と赤を買い、持っていた男と一筋の緑を買い、持っていた女の行動の記憶であった。
男は、「私」のもとへ記憶を消しに行った後、150mほど離れたとことにある畳一畳分の倉庫に入った。中は安藤はるはりを収納するスペースと倉庫の高さぎりぎりまで伸びた団地があった。ここが彼女らの種の住まいである。彼らは人間には認知されていない高度な知的生命体である。身長は10㎝程度で、中肉中背。形は人間と同じである。しかし、ここにいるのは全員男である。元々はある山で人間を超えた技術力で栄華を極めていた。しかし、ある理由で種は2つに割れたことにより、戦争が勃発した。その敗北側がダラクという物から現在の住処の提案がなされ可決された。
安藤はうはりは、彼女らが人間の領域へ侵入するための遠隔操作可能なロボットであり、勝利側の恩情で開発中のものを輸出してくれたのである。
足元にリンゴと肉、歯ブラシが置かれた。彼らは協力して肉を切り分ける。また、リンゴの一つは団地にある大層な祠に祀られ、その他はダラクにあげるのだ。歯ブラシは柄の部分を切り取り、ベッドにする。
記憶を消した翌日の昼、ジョレジョキエッソーニは安藤を操作して謝罪用の綺麗なリンゴを手に提げ、「私」の自宅を訪れた。インターホンを押すと鍵が開き、「私」が出てきた。安藤の顔を見て一瞬緊張の面持ちで広角を下げたが、すぐに上げ満面の笑みで「こんにちは」とあいさつした。安藤はそれに呼応するように「こんにちは」といった。
「私」は安藤が持っていたリンゴを見て何か気づいたように部屋へ戻ってしまった。ジョレジョはやはり悪いことをしてしまったと思い、帰ろうとした。すると、「私」がドアを開けた。手には昨日、安藤が買ったリンゴが入っていた。
「これ落としていったでしょ」
そう安藤に言い、そしてこう続けた。
「ありがとうございました。」
安藤は、差し出された芸術性のあるリンゴと綺麗なリンゴを交換した。
ジョレジョはお礼の意図はわからなかったが、照れてしまい何の返答もなく倉庫へと歩を進めた。
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