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#1 闇に嗤う獣
1.
どろりとした闇が、夜の森にわだかまっている。
上を向けば、ガラス粒を散りばめたような星々が、晩春の夜空に瞬いているのが見えた。
人間種の目にはまったく頼りにならない光だが、獣人──狗人種である赤尾一冴には、充分な明るさだった。真昼のよう、と形容するには程遠いが、それでも周囲のものを把握することは出来る。
頭頂部にぴんと立った三角耳をそばだて、黒く濡れた鼻で夜の空気を吸い込む。湿った土と芽吹き始めた新緑の香りで、頭の隅々まで冴え渡るようだった。
彼自身の息や鼓動すらもはっきり聞こえるほど、辺りは静まりかえっていた。虚穴が開くときの耳鳴りにも似た音や、そこから這い出る侵獣の気配や物音、体臭などは感じられない。
よし、と頷き、右手に持ったブッシュナイフで灌木をかき分けながら進む。草木の枝葉は柔らかだが、それでも時折妨げとなった。
いつもの癖で、チョーカー型のウェアラブル端末のスイッチを入れようとするも、思いとどまる。普段ならば、侵略的来訪種の研究者であり相棒の小青田武が、端末を通じて事あるごとにあれこれまくし立てるのだが、今は静かだ。
辺りの空気はすっかり冷え込んで、昼間の暖かさが嘘のようだった。夜気に混じり、心に忍び寄る寂しさを、ぶるぶると頭を振ってそれを追い払う。
肩から提げたカービン銃に手を添える。細かい傷跡がいくつも刻まれているそれは、一昨年に祖父から形見として譲り受けたものだ。
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